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「性と柔(やわら)」で「男のムラ社会」をあぶり出す(溝口紀子)

 2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したとき、私は、拙著『性と柔~女子柔道史から問う』(河出書房新書・河出ブックス)を書き下ろしている真っ最中だった。その報を聞いて、私は、オリンピアンとして大いに嬉しく思うと同時に、ホッと胸を撫でおろした。これで告発した女子柔道選手たちが魔女扱いになることはないだろう……と。

 2013年1月29日に女子柔道の国際試合強化選手15名が、園田隆二全日本女子ナショナルチーム監督を始めとした指導陣による暴力行為やパワーハラスメントを訴えていたことが発覚した。その後、園田氏は暴力行為を認めて監督を辞任し、さらに強化担当理事の吉村和郎氏、コーチの徳野和彦氏が辞任した。

 女子柔道選手への暴力事件が公になった際、私自身が高校時代に経験した「柔道ムラの報復」が頭によぎった。というのは中学から高校への進学時に、私は、ある有名な柔道指導者の薦める柔道名門校への進学を断り、自分が行きたいと思っていた高校に入学したのだ。すると試合で不利な判定を下されたり、いろいろ不快な思いをさせられるなど、様々な妨害行為に曝された(ちなみにこのエピソードは、内田良氏の『柔道事故』=河出書房新社=に紹介されている)。

 だから、今回の15名の女子選手の訴えでは、OGとして、なんとしても女子選手たちを保護し、柔道の悪しき慣行、暴力文化を打破するきっかけにすることで、東京五輪の招致成功へとつなげたい、と思っていたのだった。

<改革半ばの全柔連>

 全日本柔道連盟(全柔連)は内閣府の勧告を受けて、8月下旬、一連の不祥事の引責として上村春樹前会長および執行部が退陣し、宗岡正二氏が会長に就任した。宗岡会長は早速、理事会、評議会の改組に取り組んでいる。また山下泰裕リーダーを筆頭に「暴力の根絶」プロジェクトを立ち上げ、大会会場や講演会等の場面においても、暴力根絶に関する活動を行っている。しかし、プロジェクト発足後も天理大学の暴力問題、相模原中学の暴力、セクハラ問題が明らかになり暴力体質は、依然と根深いものがある。

 もっとも、勝利至上主義で強化を進めてきた強豪校でも、次つぎとの不祥事が表面化してきたことは、全柔連の執行部だけでなく、柔道界全体にも。草の根である地域の柔道家たちにも、意識改革が行き渡ってきたことの証といえるのではないだろうか。

 全柔連の改革だけすれば日本の柔道がよくなるわけではない。いまだ女性理事不在である家元組織の講道館の組織改革、指導者資格の問題、プチ全柔連化している都道府県の柔道協会のガバナンス問題、中高体連の部活ムラ社会、柔道被害者会の関係など、課題は山積している。

 私は、新体制後、全柔連の幹部や現場の指導者と直接、意見交換してきた。そこで感じたことは、現場は本気で全柔連を変えたいという強い意気込みを持っている、ということである。例えば、私が属している全柔連広報委員会では、これまで「No」といえなかった雰囲気が一転し、自由な発言ができるようになった。そこに、理事がオブザーバーとして参加することもあった。そんな動きをさらに押し進め、全柔連のガバナンスを高めるためには、「男たちのムラ社会」の構造にメスを入れることこそが真の改革につながるはずだ。


<女子柔道はいつから蔑視されるようになったのか>

 今回、拙著の出版に至ったのは、全柔連の不祥事がなぜ起きたのかを歴史的研究と結びつけることで「男たちのムラ社会」をあぶり出し、ロジックで解体したいと考えたからだった。

 なぜなら海外では女性選手の帯は黒帯であるのに、日本の女子柔道だけが白線の黒帯を締めなければいけないことに、常々疑問を感じていたからだ。たとえば日本の他の武道でも、空手や剣道では男女ともに同じ段位制度であるうえ、女性でも男性と同じ白線のない黒帯を絞めている。が、女子柔道だけが、なぜ「白線入りの黒帯」なのか? なぜ、そう言う形で、差別されなければならないのか? なぜ、蔑視されなければならないのか? いつから蔑視されるようになったのか?……それらを明らかにしたいと思ったのだった。

 なぜ日本の女性柔道家だけが、海外でも日本でも異なる扱いを受けるのか……。戦後になって、なぜ講道館女子部のみが柔道正史として扱われてきたのか……といった問いに対しても、拙著では、男性の目線のみによって書かれてきた既存の「柔道史」を問い直し、女子柔道が誕生した背景や、柔道の本質的な価値を再発見することを試みた。 さらに、なぜ一連の不祥事が起こり、女子15人の選手が告発に至ったのかを、リアリティのある女性柔道家たちの記述を集めることで、柔道史の延長線上でとらえなおして解説することを試みた。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催も決定した現在、最近の柔道界の一連の事件が、男性中心の「柔道ムラ」のなかで起きたという事実を直視し、一人でも多くの日本人に、「柔道とは何か」を、もう一度考え直すきっかけにしていただいと願ってやまない。