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1964年東京五輪聖火台を被災地へ!(玉木正之)

 10月5~6日の2日間、宮城県石巻市で恒例の武道フェスティバルが開かれ、剣道、柔道、空手などの指導や模範演技が行われた。

 今年で3年目を迎えたイベントは、3・11の震災後に生まれたもので、震災時の被災地で特に大きな混乱も起こらず、誰もが整然と行動したのは、日本の武道の精神につながるものとして、武道を通じた復興を目指し、東京のオリンピック・パラリンピック招致運動と連動して始まったものだった。

 そして今年は、2020年東京五輪開催も決定し、石巻市のスタッフの人々は、新たな夢を実現するプロジェクトをスタートさせた。
 それは、新国立競技場の建設に伴い、来年から解体工事の始まる現在の国立競技場の聖火台を、石巻市に移転してもらおう、という運動だ。

 日本の鋳物技術の最高傑作とも言われ、1964年の東京オリンピックのために作られたる聖火台は、今のところまだ「落ち着き先」が決まっていない。製作者の鈴木萬之助・文吾親子の工場があった場所、映画『キューポラのある街』でも有名な埼玉県川口市は、新国立競技場に新設される博物館での展示と保存を望んでいるらしい。

 が、石巻市の有志の人々は、その聖火台を、ただ展示品にしてしまうのではなく、新たに建設予定の石巻市武道館の前に設置し、活用したい考えだ。

 2020年にギリシアのオリンピアで採火される聖火は、まず仙台空港へ運ばれ、石巻市に移設された1964年東京五輪の聖火台に点火される。そこから聖火は最初に被災地各地を回り、全国を回って東京へ到着。

 聖火は復興五輪のシンボルとなると同時に、聖火台はそのまま海に隣接した公園内の武道館の前に据え置かれ、毎年武道フェスティバルが行われる時期や、様々なスポーツ・イベントが開催されるときに点火される。さらに3・11で犠牲になった人々への追悼と祈りの場所の鎮魂の火としても用いたいという。

 毎年武道フェスティバルに参加している私も、この素晴らしいアイデアの実現に向けて応援したいと思う。

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 この原稿は、11月2日付毎日新聞朝刊スポーツ面の連載コラム「時評点描」に書いたものに、少々手を加えたものです。この内容の原稿や発言は、これからいろんなメディアで、繰り返し主張していきたいと思います。

(毎日新聞「時評点描」+NBSオリジナル)