日本のビーチバレーボールの「未来」が日本のスポーツ界を左右する!(小崎仁久)
42万5000人。昨年夏のロンドンオリンピック、ビーチバレーボールでの総観客数である。街の中心部(バッキンガム宮殿の東、首相官邸の北隣にあるホース・ガーズ・パレードの特設会場)で行われたこのスポーツは、昨年の五輪で最も観客の入った競技のひとつと言われている。
事実、13日間に渡っての108試合は、1日12ゲーム、朝9時から始まり、終わりは深夜零時をまわることもあったが、全試合1万5千席のスタンドはほぼ満席となっていた。
バレーボールは、イギリスではメジャースポーツではなく、ルールさえ知らない観客が多い。ビーチバレーボールも同様。しかし大会前から最も注目を集め(純粋な競技への興味だけではなかったが)、最もチケットの入手しづらい競技と言われていた。そして最も成功を収めた競技となったことは、フットボールとクリケットの国、イギリスでは驚きだった。
ビーチバレーボールはイギリスよりも日本での方が認知度は高い。2004年に突如現れた一人の女子選手によって、広く知られるようになった。昨年、現役を引退した浅尾美和は、9年間、選手と同時にテレビを中心にタレント活動も行い、ビーチバレーボールの認知度向上に大きく貢献した。今ではこのスポーツを知らない人は少ない。
しかし、スポーツの認知度がありながら、競技としての認知はまだまだ低い。競技よりも遊戯の延長と捉えている人が多く(間違いではないが)、「やるスポーツ」としても「観るスポーツ」としてもマイナーの域を出ていない。また数年前まで高かったメディアの注目度も、最近は大きく低下しており、浅尾をはじめ男子の朝日健太郎など、人気、実力者の引退も大きなダメージを与えている。
今月、シーズンが閉幕した国内ツアーの規模も小さくなっている。
JBVツアーの大会数は、過去、全国で最大8大会あったが、今季は5大会。2012年のツアーの観客数(大会あたり)は1860人。2007年(2130人)から13%減少している。取材メディアの数(大会あたり延べ)はさらに顕著であり、2007年108から、2011年38と約1/3になった。テレビ中継、メディアへの露出度が減ったことに伴い、当然ながらスポンサー規模、数も縮小している。
また、日本バレーボール協会(JVA)によると、ビーチバレーボール選手の登録人数は1070人。バレーボール全体43万人のわずか0.2%(!)でしかない。非登録の競技人口も決して多くはなく、近年、大きく増加もしていない。加えてトップレベルにおいては、男子はロンドン五輪で奇跡的に出場権を得たものの、女子は、正式競技になったアトランタ五輪(1996年)以降、初めて出場権を逃した。
トップレベルの実力が低下し、底辺の拡大もままならず、興行も難しくなりつつある。これが日本のビーチバレーボールの「現在」である。東京五輪決定で追い風が吹いていると言われるが、「未来」のマイルストーンである7年後、バレーボール後進国であったイギリス同様の盛り上がりは期待できるのだろうか。
専門誌「ビーチバレースタイル」の吉田亜衣編集長は「現在・過去・未来」をこう語る。「注目や人気を、強化にも普及にも繋げなかったことが『現在』を生んでいる。最も重要な底辺の拡大においてジュニアスクール、指導者育成などの活動はほとんど行われてこなかった。東京五輪で予算が増えたとしても、現状では『未来』は明るいとは言えないように思う」
今に始まったことではない危機的状況だが、JVAもようやく重い腰を上げた。JVA会長が「ラストフロンティア」と掲げ、これまで傘下の日本ビーチバレー連盟に「丸投げ」してきた育成、普及などを一括して推進するビーチバレーボール評議会を7月に新設した。さらにこの評議会で強化、イベント運営も行うという。しかし、いまだ具体的な動きが見えない上、JVAの年間約20億円の予算のうち、どれだけをビーチに割り当てるのか定かではない(現在は1億円にも満たない)。
ビーチバレーボールがあと7年で、東京五輪の1万2千席のスタンドを13日間満席にできるだけの人気を掴めるかはわからない。ただこの競技の行く末は、日本のスポーツの有り様にも関わってくるはずだ。
1895年にアメリカで創られたバレーボールから派生し、1920年代にはアメリカ西海岸やオーストラリア、ハワイで、レジャーとしてすでに存在していたと言われるビーチバレーボール。室内で行うバレーボールへの「カウンター・スポーツ」として開放感、陽気さ、ミュージック、ダンスを取り込みながら発展した(これが、学校スポーツが基本の日本で受け入れられづらい要因のひとつでもある)。そして、さらに競技性も加わり、人気も高まって、オリンピックの種目となった。
つまり「遊び」から「競技」へ変化していく他のスポーツと同様の歴史を、足早に駆け抜けたスポーツであること。日本においては、学校スポーツ(体育)の雄であるバレーボールと対極の位置にありながら、融合していかなくてはいけないこと。またこの変化が、日本にスポーツが(体育として)根付いた後に起こっていること(ビーチバレーボールが輸入されたのは1980年代)。
これらのことを考えると、「ファン(楽しみ)」の印象が強いビーチバレーボールが本当の人気を得て発展することは、学校体育、企業スポーツ一辺倒で、スポーツを「遊び」と捉えきれなかった日本のスポーツの概念が変わることにも繋がると思う。その点において、ビーチバレーボールの「未来」には、大いに期待したい。