体操界の新星「シライ」は「人間の可能性の大きさ」を教えてくれる(玉木正之)
日本体操界の新星、弱冠17歳の白井健三が、ベルギーのアントワープで開催された世界体操選手権で大活躍。床で「後方伸身宙返り4回ひねり」を成功させ、種目別で見事、金メダルを獲得。跳馬でも「伸身ユルチェンコ3回ひねり」を成功させたものの4位となり、日本史上最年少優勝の床運動に続く2つ目のメダル獲得はならなかった。この前例のない技を、国際体操連盟は、「シライ」と命名した(床は「シライ」、跳馬は同時に成功させた韓国選手と連名で「シライ/キム」となった)。
このニュースを聞いて、私がすぐに思い出したのは、塚原光男氏にインタヴューしたときのことだ。
それは今から約10年前のこと。《スポーツライター》という肩書きを用いるようになって30年ばかりがたった頃のことで、その間、数多くのスポーツマンと出逢い、様々な出来事に遭遇してきたが、体操競技の塚原光男氏へのインタヴューは、そのなかでもきわめて印象深く、いつまでも心に残り、考えさせられる「言葉」の連続だった。
塚原氏といえば「月面宙返り」や「ツカハラ跳び」といった独自の技を開発した体操の金メダリスト(メキシコ・ミュンヘン両大会)で、子息の直也さんもアテネ五輪で日本の男子体操団体に28年ぶりの金メダルをもたらしたことで有名だ。
この日本体操界の大功労者に話を訊いたとき、私は一つの疑問を持っていた。それは、体操では誰かが一つの技を創り出すと、何故すぐに他の選手たちもその技を次々とやってのけるのか? ということだった。
「それは、当然のことですよ」
と、塚原氏は事もなげに言ってのけた。
「体操競技とは、不可能への挑戦でなく、人間に可能なことを発見する行為です。だから誰かがそれを発見すると、誰もが真似をできるのです」
たとえば「月面宙返り」の「発見」は、体操の歴史のなかで、真に革命的な技だった。2回転を3回転にしたり、2回ひねりを3回ひねりにするのは、回転やひねりのエネルギーを増す方法と、そのエネルギーの着地時の吸収の仕方を考えればいいだけだ。が、「月面宙返り」は身体の回転エネルギーを、ひねりに転化しなければならない。
回転をひねりに……というのは、力のベクトル(方向)が90度異なっているため、本来ならば伝わるわけがない。が、人間の身体には、首、腰、膝……その他、折れ曲がる箇所が数多くある。そこで、回転エネルギーをひねりのエネルギーへと転化するための方法として、塚原氏は、回転している身体の頭や肩や腰を、いつ、どこで、どのような配置にすればいいかを「発見」した。そして、その身体の動かし方、身体の運動の仕方を見た他の体操選手は、なるほど、あのようにすればいいのか、と納得し、それを真似た、というわけなのだ。
一見、超人的にも見える体操の技も、すべて「人間なら誰でもできる身体の動き」なのだと塚原氏は言う。
「ええ。倒立も月面宙返りも、あなたにもできることなんですよ」
こう言われたときは、苦笑いするほかなかったが、この言葉は、スポーツライターの私がスポーツを見るときの基本姿勢となっている。
最近……(という以上、最近も!)、スポーツ界には、毎年のように「驚異の出来事」が相次いで起きている。ジャマイカのウサイン・ボルト選手は、4年前の2009年8月、ベルリンで開かれた世界陸上選手権で、100メートルで9秒58、200メートルでも19秒19という世界新記録をマークした(2009年8月)。また、つい最近、今年の9月29日に行われたベルリン・マラソンでは、ケニアのウィルソン・キプサング選手が、2時間3分23秒の世界最高記録をマークした。
これらの「超人的」な両記録に対して、メディアは「人類の身体はいったいどこまで『進化』するのか?」と騒いだ(騒いでいる)。が、これは、はたして『人類の進化』といえるものだろうか?ひょっとして、体操競技と同じように「人間にできること」を発見した結果と言えるのではないだろうか?
私は、後者の意見のほうが「正しい」と思う。そう思う確たる証拠は(まだ)示せないが、「超人の出現」などと言うより「人間の可能性の発見」と考えるほうが、人間として嬉しく思えるのではないだろうか。
白井選手の跳馬の技は韓国の選手も成功させたという。床の「4回ひねり」も、いずれ「4回半ひねり」が出現するに違いない。たぶん、人間は「進化」するのではない。われわれ人間がまだ気づいていない「計り知れないほど大きな可能性」を、人間は持っているに違いない。スポーツは、その人間の大きな可能性に気づかせてくれるのだ。
(NBSオリジナル)
写真提供:フォート・キシモト