東京パラリンピック ~ 愛と栄光の祭典
前回の東京オリンピックが開かれた昭和39年。もうひとつの平和の祭典、第2回大会となるパラリンピックも東京で開催されていた。11月8日、代々木のオリンピック選手村にあった練習用の競技場である織田フィールドで行われた開会式には、世界22カ国369人のパラリンピアンが集まり健闘を誓ったのだった。
ただ当時の日本ではまだ、身障者スポーツへの理解は乏しく、手さぐりの部分も多かった。そのため大会は、各国の脊髄損傷者が競技を行う第一部と、視覚や聴覚、手足などに障害を持つ日本人選手が出場する第二部とに分けて、全部で7日間実施された。
この昭和の東京パラリンピックの記録映画が撮影され、翌年に公開されていたと聞くと、驚く人も多いのではないだろうか。
監督・脚本・撮影をつとめた渡辺公夫は、映画会社「大映」のカメラマンで「日本橋」(市川崑監督・1956年)、「宇宙人東京に現わる」(島耕二監督・56年)、「憂国」(三島由紀夫監督・66年)などの撮影を担当している。この「東京パラリンピック」に関しては、手弁当での協力だったようだ。
市川崑監督の名作「東京オリンピック」の印象があまりに強いせいか、こちらの作品は取り上げられる機会もほとんどなく、商品化された形跡もみつからない。
2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定したが、未来を語るには過去を知る必要がある。次の東京大会を素晴らしいものにするためにも、今後この映画が何かしらの形で上映、もしくは放送されることを期待したい。
なお、昭和39年の東京パラリンピックについては「日本障害者リハビリテーション協会」製作のホームページに掲載されている大会報告書と写真集によって、競技結果はもちろんのこと、開催の経緯や1円単位の決算報告、競泳プールに用意したゴムぞうりの数にいたるまでを、知ることができる。