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どすこい土俵批評③秋場所展望/"マフィアのボス"に挑む高安(荒井太郎)

 白鵬が3年前の63連勝に続き、先場所は双葉山や大鵬も達成し得なかった2度目の40連勝超えという昭和以降、誰も果たせなかった金字塔を打ち立てた。その盤石ぶりには改めて脱帽するしかない。

 しかし、称賛の一方でささやかれる「周りがだらしないから」という声。ある親方は白鵬の連勝中、「挑戦する力士は腕の一本、献上するぐらいの覚悟を持たないと。『胸を借りるつもりで』と言っているうちは勝てるはずがない」と忸怩たる思いを押し殺してそう語った。

 白鵬の2度にわたる歴史的連勝は、同時代を戦う他の力士にとってはまさに屈辱の記録に他ならない。

 特に稀勢の里以外の大関陣は不甲斐ないの一語に尽きる。本気で連勝記録を止めようと思ったら、少しは見ごたえのある内容になっていたはずである。琴奨菊は横綱に左の廻しを取られた瞬間には上手投げで転がされ、琴欧洲も廻しにまったく触れさせてもらえず、いいところなく寄り切られた。

 そして、鶴竜は特にひどかった。「待った」と勘違いして棒立ちの横綱に、頭をつけて右を深く差し、左も前褌を取る絶好の体勢になって土俵際まで攻め立てながら、白鵬の捨て身の小手投げにいとも簡単に横転した。あの形になって勝てないのなら、大関としての資質に疑問符をつけざるを得ない。「行司が止めるかと思った」というコメントも、大関という以前に勝負師としていかがなものか。

 ところで昨今の支度部屋では、若いモンゴル出身力士が着替えを終え、帯を締めるとそのまま帰るのではなく、一番奥で準備運動に勤しむ横綱のほうに出向き、挨拶を済ませてから場所を後にする場面をよく目にする。

 給金を直した日には、風呂から上がると一目散に横綱のところへ行き、勝ち越しの報告をすることも珍しくない。横綱とは部屋も違えば一門も違う場合でも、だ。入れ代わり立ち代わり、"同胞のボス"のもとへ出向く光景に、ある監察委員の親方は「まるでマフィアのボスだな」と苦笑いするしかなかった。


 おそらく、こうした風潮は朝青龍が横綱になったあたりから、蔓延していったと記憶している。異国の地で同胞の先輩に挨拶をするという行為は、人間的に至極、まっとうな感覚であって気持ちも理解できる。プライベートでは何かと世話になっているのかもしれない。

 ただし、"ボス"だからといって、対戦する可能性のある相手に支度部屋でペコペコと頭を下げる必要はあるだろうか。しかも横綱は取組前である。これには異質さを感じるとともに、対戦が実現する日のことを思うとがっかりとさせられる。日ごろの謝辞を述べたいのなら、せめて公の場以外のところで行ってほしい。

 このような環境に慣れきった後輩力士が同胞の"ボス"と土俵上で対峙したとき、私情を一切排除し、殺気にも似た緊張感を醸し出すことができるのだろうか。そして我々に「何かやってくれるのではないか」という期待感を抱かせてくれるのだろうか。こうした風潮のなれの果てが、前述した白鵬対鶴竜戦のようでならない。

 同胞であろうと学生時代の同窓であろうと、同部屋以外の力士はすべて敵である。日本人外国人にかかわらず、それを強く意識することで火の出るような熱戦が、数多く生まれるのである。
 
 先場所3日目、高安が横綱日馬富士に対し、立ち合いで右で張って左四つ、右上手を取ると間髪入れずに右から上手ひねり。横綱はたまらず左膝から崩れ落ちた。
 「自分を奮い立たせて弱気にならず、攻めていこうと思った」
 胸を借りるつもりであれば、横綱に張り手などできない。23歳の若武者は初めから勝つつもりで土俵に上がったのだ。

 「畳の上では敬意を表しますが、土俵の上では上も下も関係ない」と痛快に言い放った高安に、気後れするところは全くない。新三役の今場所はさらに楽しみになってきた。

 「勝負師は孤独であれ」とは、高安や大関稀勢の里の師匠だった先代鳴戸親方(元横綱隆の里)の教えである。その孤独に打ち克ってこそ、道は開けると弟子たちに説いていた。

 平成18年1月場所の大関栃東以来、"国産力士"の優勝は途絶え、以降は20年5月場所の琴欧洲、24年1月場所の把瑠都を除けば、すべての場所でモンゴル出身力士が賜盃を抱いている。先代師匠の教えを守りながら、7年半ぶりの日本人力士優勝を目指す稀勢の里。そのためには、こうした"モンゴルシンジケート"を打破しなければならない。

 先場所は綱取りに失敗したものの、2横綱を完璧な相撲で撃破した。悲願の初優勝はもう手の届くところまで来ている。

(写真提供:フォート・キシモト)