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早大ラグビー部員暴言問題。なぜマスコミは取り上げないのか?(松瀬 学)

『早大ラガーマンの暴言を考える』

寂しい話である。

実は複数の人から相次ぎ、海外滞在中の私のパソコンに「どう思うのか」とのメールをもらった。何のことかというと、早大ラグビー部員が対戦相手の選手に向かって、「五流大学!」「クロンボ!」とヤジを飛ばしたというのだった。事実とすれば、ひどい話である。あまりにも程度が低い。特権意識の表れ、差別的な発言である。

情けない、と思う。私の立場を少し説明すると、早大ラグビー部のOBである。問題発言があった長野・菅平の夏合宿の早大×帝京大のグラウンドにはいっていなかった。だから発言を直接、聞いたわけではない。「ワセダクラブ」のメンバー制のサイトで、早大OBのフリーライターの木村俊太さんが書いたコラムを見て知った。

単なるイチ選手の暴言、単なるイチ大学のクラブの問題というなかれ。早大関係者に限らず、多くの人にこの類の発言の愚かさ、問題意識を共有してもらいたいから、本コラムでも触れることにする。

木村さんによると、8月26日、早大は大学選手権3連覇中の帝京大に0対43で大敗した。その際、観戦中の早大の選手から相手チームに対し、「五流大学!」「クロンボ!」といったヤジが飛んだそうだ。

このコラムを初めて読んだ時、「ほんとうかな」と思った。でも木村さんとは親交がある。あの人がウソを書くわけがない。木村さんは帝京大学のサイトにも原稿を書いているから、フェアな立場から暴言を問題視したのだろう。

木村さんからメールももらった。驚いたのは、マスメディアの記者たちもこの発言は聞いていたそうだ。なぜ、原稿にしないのか。どうでもいいこと、と思ったのか。記者のセンスを疑う。問題意識の欠如を嘆く。

確かに言葉の一部の切り取りは危険である。前後の流れがあろう、何か言葉の応酬、伏線があったかもしれない。それでも、この言葉は幼稚である。悪質である。品がない。相手に対する信頼も敬意のかけらもないのだ。

個人の発言だろうが、問題の深刻さは、他の部員が怒らなかったことである。この差別発言を容認したことである。ある意味、周りの部員たちも同等の罪があると思う。

差別には、理由と歴史がある。突発的な言葉ではなく、少しずつ早大ラグビー部のカルチャーが崩れていっているのではないか。早大には先輩たちが脈々と築いてきた「伝統」がある。緊張と継承と創造の歴史がある。早大ラグビーを継承しているとの緊張感があれば、こんな発言は絶対、出ない。

早大ラグビーに限らず、大学スポーツは、勝つためだけにやっているのではない。人格の形成のためでもある。ただ勝てばいい、というのであれば、さっさとプロ選手になって、どこぞのクラブでプレーすればいい。

自分は決して上等な人間ではないけれど、早大ラグビー部時代、日本一を目標に自己鍛錬に励んだ。正直、全国の覇権を争うようなチームにいる誇りを感じていた。一流チームに属している優越感が皆無だったとは言わない。だが、むしろ責任がきつかった。

私生活でも、早大ラグビー部の一員であるという自覚があった。そりゃ、時にはけんかややんちゃもしたけれど、チームには、それにふさわしい見識と品位を持たなければならないとの雰囲気に満ちあふれていた。

OB、学生一体となったクラブにあって、常に周囲への「感謝」を感じていた。寮で共同生活を送る中で、先輩たちからそう、自然と教え込まれていた。とくに対戦相手、レフリー、非レギュラーの部員への感謝である。チームスポーツにあって、敵なくして、試合は成立しない。スクラムでも相手がいなければ、ちゃんと組めないのである。

相手をバカにするなぞ、試合以前の問題だろう。「品格」など大そうなものでなく、「常識」の範疇である。常識なくして、試合に出るだけなら、単なるスポーツバカである。

この発言を些事として見過ごしてはならない。きっちり検証し、問題の解決、クラブのカルチャーの再建に努めなければならない。このところ感じるのは、意外に早大ラグビーを嫌いな人が多いということだ。

なぜなのか。セミプロ化しているとみられているのか。行動や言動に品がないのか。とても悲しいことである。

大学スポーツの目的のひとつは、心の葛藤をコントロールする訓練の積み重ねで、いいか悪いか、きれいか汚いか、パッと判断し、その瞬間、正しく行動できるようになるためであろう。自由の中にも、ディシプリン(規律)を確立するためである。

なぜ、こうなってしまったのか。早大ラグビー部は現役、OBともども、猛省しなければならない。早大ラグビーの継承者としての使命感を忘れるな。

【NLオリジナル】