ブラックセプテンバー ~ ミュンヘン・テロ事件の真実(原題「ONE DAY IN SEPTEMBER」)
1972年ミュンヘンオリンピック。大会10日目が終わった9月5日未明。「ブラックセプテンバー」を名乗るパレスチナ人武装グループが選手村に侵入。イスラエルの選手、コーチを人質に立て籠もり、収監されているパレスチナ人の釈放を要求した。ドイツ政府の救出作戦はことごとく失敗。最終的には人質全員と犯人グループあわせて16人もの死者を出すことになった。丸2日に渡ったこの惨劇を、犠牲者の遺族、政府警察関係者、犯人グループ唯一の生存者であるジャマール・アル・ガーシーなどの証言を基に、当時のニュース映像や報道写真などで再現している。
このテロ事件を扱った作品には、ほかにウィリアム・A・グレアム監督の「テロリスト・黒い九月 ミュンヘン」(76年)、スティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」(2005年)、ドロール・ザハヴィ監督の「ブラックセプテンバー ~ ミュンヘンオリンピック事件の真実」(2012年)などがある。
いずれもオリンピックが舞台になってはいるが、スポーツを描いた作品かといえば、疑問符が付く。そもそもオリンピックは政治だからだ。スポーツを通じて差別と抑圧のない平和な世界をつくるというIOCの理念、それ自体が政治である。オリンピックとスポーツは別物であり、陸上なり水泳なりの具体的な競技が実際に始まったときから、オリンピックはスポーツの大会になる。
アメリカや日本、パキスタンなどがボイコットしたモスクワオリンピックの開会式に、西欧諸国の選手たちは五輪旗を持って出場した。北京オリンピックの聖火リレーに対しては、チベット問題をめぐる抗議活動が行われた。それでも陸上競技や水泳競技を阻止しようとはしなかった。スポーツ選手個人の態度として、オリンピックの政治利用に異議は唱えても、スポーツは行う。それが正しいやり方だと言える。オリンピックの歴史を振り返ったとき、政治に負けたかに見えて、いつも勝ち残ったのはスポーツだったからだ。スポーツは政治に勝ち続けるほどに強く、尊いものなのだ。