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国籍移動とコスモポリタニズムとロンドン五輪(玉木正之)

この原稿は、共同通信配信で、5月下旬~6月上旬、地方紙各紙の『現論』のコーナーに掲載されました。

お笑い芸人であり、マラソン選手でもある猫ひろしサンの「国籍移籍」の問題点を考え直したものです。御一読下さい。
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国籍移動とコスモポリタニズムとロンドン五輪

お笑いタレントの猫ひろしさんがカンボジア国籍を取得し、ロンドン五輪のマラソン出場を目指した問題は、結局、国際陸連が国籍条件を満たさないと判断。猫さんは次回4年後のリオ大会を目指すことになった。

その間、日本国内では「一流選手の国籍移動は今や世界的に常識」と言う人もいれば、「カンボジアの選手が可哀想」という声も出て、賛否両論が渦巻いた。

しかしスポーツにおける国籍問題というのは、ただ単にスポーツマン個人の選択の問題ではあるまい。それほど単純に語れる問題でもなければ、賛否を口にできる問題でもないのだ。

ロングセラーとして評判の『世界史』(ウィリアム・H・マクニール著・中公文庫)によれば、第二次大戦後の国際社会は民族や国家を超えた地球規模でのコスモポリタニズム(世界主義)の社会になりつつあるという。

《一九五〇年以来、富んだ都会人口が減少し、これと対極的に貧しい農村人口が増加》した。そうなると、《何百万人もの人々が、しばしば文化や政治の境界線を越えて、農村から都市に移動する。その結果、異なった民族が混じり合って、国の性格がぼやけ》てきた。

そうして今回のロンドン・オリンピックは《何百万というイスラム教徒が西ヨーロッパに移住》したなかで、移民の街としてスラム化しつつあったロンドン東地区(イーストエンド)の再開発の一環として行われる。それは、現代コスモポリタン社会の象徴的オリンピックといえるだろう。

しかも「地元」イギリスの五輪代表選手にはアフリカやアラブ出身の選手が数多く含まれ、メディアが黒人のイギリス代表選手に「イギリス国歌(ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン)は歌えるのか?」と質問するなど、開催地ロンドンでも国籍問題が新たに浮上した。

それもまた地球規模での移民の爆発的増加という歴史の流れから生じた現象といえるだろう。

最近では世界の移民の流れも少々変化し、国籍の変更まではしないが、アフリカ(や東南アジア)からオイルマネーで潤う中東諸国へ、多くの建設労働者が移住している。

その「流れ」に沿って、スポーツ(主に陸上競技)という特殊技能を持った多くのアフリカ人選手がカタールやUAEに国籍を移し、自らの収入と引き替えに「国威発揚」に一役買っている。

また最近は、中国の卓球選手が中南米、中央アジア、ヨーロッパの国々に国籍を移し、とくに南米の卓球大会では中国人同士の決勝戦も珍しくなくなったという。これは、レベルの高い本国では国際試合に出場できない中国人選手が、新たな活躍の場を海外に求めての国籍変更で、何やら古くからの華僑の伝統が息づいているようにも思える。

ならばカンボジア国籍でのロンドン五輪出場を目指した猫ひろしさんの選択と行動は、どういう捉え方ができるのか?

先に紹介した『世界史』には次のような興味深い表現がある。
《さまざまな移民が雑多に混じり合って(略)豊かな都市化した国々に移住する》なかで、《日本だけは例外である。日本人は外国人労働力を入れるよりは、工場を海外に作る道を選んだ》

地球規模のコスモポリタニズムが進行するなか、是非はさておき、日本は移民の流入を避け、海外での経済活動に目を向けた。そんな日本経済と同じ、いかにも日本人的なやり方を、猫ひろしさん(と彼の支援者は)無意識のうちに選択したというわけか……。

日本の海外での経済活動が現地社会の利益と幸福の増進に役立つケースも少なくないだろう。が、ODA(政府開発援助)がしばしば批判されるように、現地政府高官と日本企業だけが利益を手にして現地社会の人々の生活向上にまったく寄与しない例もある。

ならば次のリオ五輪を目指す猫ひろしさんも、まず自分が国籍を取得したカンボジア国民の利益と幸福を第一に考え、今後の活動に取り組むべきだろう。そうすれば五輪挑戦の結果がどうあれ、すべての日本国民も拍手を送るに違いない。

元の国籍と現国籍の両国民から拍手を浴び、世界中の人々からも支持される。それこそがコスモポリタン・スポーツマンの目標であり、矜恃といえよう。

それにしてもスポーツとは、なんと国際社会の現状を見事に映し出していることか……。