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夏の甲子園・高校野球取材レポート決定版「大甲子園祭」(玉木正之)

(この取材記事は、今はなき月刊『現代』1987年10月号に掲載されたもので、拙著『プロ野球の友』(新潮文庫)に収録したものです。今年もまた「夏の甲子園」の季節が訪れ、毎年変わりない高校野球がくりかえされている。が、最近のスポーツ・ジャーナリズムは、この「異常なイベント」について、きちんと真正面から評論を加えようとしようとしない。そこで、今は読まれる機会がほとんどなくなった古い原稿を、改めてアップさせていただく。ほんの少し、書き加えて……)

『夏の大甲子園祭』
陽気(やうき)の所為(せゐ)で神も気違(きちがひ)になる
――夏目漱石『趣味の遺伝』より

毎年夏が来ると、この国では全国都道府県から、のべ何十万人という人々が甲子園に集まる。そして総人口1億2千万人の半数以上と思われる耳目が、その一点に釘付けにされる。新聞は、どんな事件よりも大きな紙面を割いて、たかがボール遊びに興じる高校生の一挙手一投足を詳しく報じ、テレビやラジオは朝から晩まで、その模様を逐一漏らさず中継する。おそらく、あらゆるマスメディアは、たとえイラン・イラク戦争で核兵器が使われたとしても、その報道以上のスペースと時間と労力を用いて、高校野球の試合内容を伝えることだろう。

全国高等学校野球選手権大会――いわゆる「夏の甲子園」が、いまや高校生のスポーツ大会という領域を大きく逸脱し、異常なまでにその規模を肥大化させていることは、誰の目にも疑いようのない事実といえる。

それは、もはや単なる高校生のスポーツ大会などというものではなく、この国で最大のスケールを誇る年に一度の「大甲子園祭」とでも呼ぶほうが適切なイベントと言えるに違いない。そんなふうに考えながら、昨年(1986年)私は、「夏の甲子園」へ足を運んだ。そして、そこで、見て、感じたことは、「夏の甲子園」が、比喩や修辞ではなく、紛れもない「祭り」そのものである、という事実だった。

まず、そこには、猛烈な「夏」があった。
「関西の夏」は、とてつもなく暑い。それは言語を絶する強烈な熱気を帯びている。私自身、じつは関西の出身で、その暑さは心得ているつもりなのだが、関東に住み慣れるともう駄目だ。はじめて東京へ出てきた年の夏、まわりの人が暑い暑いといって私だけは、その過ごしやすさ(暑くても風のあること)に、涼しい顔をしていたものだ。が、それから10年以上が経ち、東京の夏も暑いと感じるようになった現在、皮膚も毛穴も脳細胞も、「関西の夏」の暑さには耐えられなくなってしまった。

新幹線に乗って新大阪駅に着き、列車のドアが開いた瞬間、まるで安物のエアコンの背後に立たされたかと思えるような熱気が、モワアッと全身を覆う。しかもその熱気は、今にも空中から水滴となって滲み出しそうなおびただしい量の湿気を含み、べっとりと重く身体にまとわりつく。しかも風は、まったくない。いったん身体の周囲によどんだ水蒸気のような熱気は、そよとも動こうとしない。そのうち身体中から汗がジトジトと滲み出し、その汗が湿った空気に含まれるチリやホコリと混じり合い、シャツやズボンをベトベトと皮膚に張り付かせる。その不快感たるや、服を着たままサウナに入れられたような気持ちの悪さだ。

そのうえタチの悪いことに、「関西の夏」は夜になってもその猛威をおさめない。陽が落ちてからも身体のまわりにベットリとまとわりついた熱気は、糊を含んだかのように皮膚から離れず、体感温度はいつまでも軽く30度を超える。

東北地方から来たある高校生は、「うちん田舎よか20度以上暑い」とうんざりしていた。九州や沖縄から来た高校生ですら、この蒸し暑さにはネをあげていた。私はスポーツライターとして、これまで多くの甲子園出場者に思い出話を聞いたことがあるが、彼らのすべてが(江川も愛甲も藤王も槙原も)、まず口にしたのは、この「関西の夏の暑さ」だった。

「夏の甲子園」とはよくいったものだが、このイベントは、野球に限らずあらゆるスポーツを行ううえで、これ以上はあり得ないと思えるほど、最低の劣悪な季節と場所をわざわざ選んで行われているのだ。

かつて浪商高校のエースとして「夏の甲子園」に出場した経験を持つ牛島和彦氏から、次のような話を聞いたことがある。
「あの暑さの中で、ピッチャーは準々決勝、準決勝、決勝と3連投、クジ運が悪ければ4連投せなあかんわけで、そんなんマトモにやったら、必ず身体を壊しますよ」

しかし、このような劣悪な環境を改善しようという声はまったく聞かれない。たとえば会場を北海道へ移すとか、準々決勝以降のスケジュールはすべて一日置きにするとか、せめて炎天下の真昼の試合は避けて、少しでも気温の低い早朝か、薄暮やナイターで試合をしよう……といった意見は出てこない。それは経費が少々嵩んだとしても、選手立ちの健康管理を考えれば、あるいは高校生に野球という素晴らしく楽しいスポーツを思いっ切り楽しませようと考えれば、当然検討されてしかるべき正論と思われる。

しかし、それどころか現状では、準決勝や決勝のように、1日に1~2試合しかゲームが行われないときですら、灼熱の太陽がギラギラと輝きを増す、最もスポーツに不向きの時間帯をわざわざ選んで試合を行っているのだ。


これほどまでの反スポーツ的ナンセンスが、「夏の甲子園」でも、さらに全国各都道府県での予選大会でも行われてる……ということは、ただ不用意に、無定見に実行されているとは到底思えない。そこには何らかの「意図」が働いていると考える以外にない。

その「意図」とは、一言でいって「祭り」の演出効果を高めることだ。
国民体育大会は、「スポーツの秋」というスポーツに適した季節に開催されるため、「祭り(スポーツの祭典)」であることを示し、「祭り」のムードを演出するためには、オリンピックの聖火にも似た「炬火」という「太陽の火」が必要になる。が、「夏の甲子園」は、そんな間怠っこいことをせず、本物の太陽をバーンと大空に掲げているのだ。それがスポーツを行ううえでいかに劣悪な環境であっても、「祭り」のムードを高めるため、その陶酔感に浸るうえでは、最高の効果を発揮する。

選手は野球をプレイする以上に、泥まみれの汗に酔う。観客も、クラッと目眩を感じるほどの暑さの中に身を置くことによって、異常な興奮状態を味わう。そして「輝く太陽」は、高校生の稚拙なプレイを美しく覆い隠す。そして「関西の夏」の暑さに選手が倒れ、審判までが倒れると、「祭り」の興奮はさらにいやがうえにも昂まる。ナルシシズムとサディズムとマゾヒズムが混沌と混じり合った精神世界が出現し、人々は、叫び、喚き、雄叫び、絶叫し、涙を流す……。さらに、そのように集団ヒステリーに陥ったとしか思えない連中を、テレビは捜し出し、クローズアップして茶の間に伝え、大甲子園祭」の「祭り」の興奮と熱狂を全国手に盛りあげる。

そこには「祭り」に不可欠な2つの要素である、肉体的危険と精神的錯乱が存在する。このイベントが涼しい北海道で行われたり、ナイター中心の1日置きの日程で行われたりすれば、プレイの質は向上し、スポーツの清々しさは表れても、「祭り」の人気は確実に凋落するに違いない。

逆に、そういった劣悪なスポーツ環境に対する改善策は、肥大化したビッグイベントを本来あるべき高校生の野球大会に戻すための最善策と思われるのだが、おそらく選手の試合中の死亡事故でも起きない限り、そのような策には手が付けられないだろう。いや、そのような事故が起きたところで、事故のほうが「異常な出来事」と見なされるかもしれない。なにしろ「夏の甲子園」は、スポーツ大会ではなく、「祭り」なのだから……。

久しぶりに「関西の夏」の強烈な暑さの中に身を置いて、私は次のように確信した。「夏の甲子園」の主催者は、野球をよりよく行える条件を整えることよりも、明らかに「祭り」の雰囲気を盛りあげることに力を注いでいる――。

この「祭り」の行われる場所が、「甲子園」というスタジアムであることも無視できない。かつて1958(昭和33)年の第40回大会や、1963(同38)年の大5回大会は、記念大会ということで各県から代表校が出場し、スケジュールの都合で(多くの試合を短い期間のうちに行うため)甲子園球場と西宮球場が併用された(当時の通常大会は、地域によって複数の県から1校の代表しか選出することができなかったのだ)。

ところが西宮球場では地方予選大会以下の観客しか集まらず、閑散とした雰囲気の中で試合が行われた。そのため、1968(同43)年の第50回記念大会は、代表校の強い要望により、西宮球場の併用をやめて「甲子園」だけで開催され、以後、現在のような1県1校(東京、北海道は2校。註・のちに大阪も2校)の代表制度になってからも、全試合が「甲子園」で行われるようになったのだ。

もともと「甲子園」は、1924(大正13)年、高校野球(当時は中等学校野球)の人気が上昇し、それまで大会の行われていた鳴尾浜球場では観客が入りきれなくなったために建てられたスタジアムで、その名が高校野球の代名詞になっているくらいだから、代表校になった選手たちが「甲子園」でプレイしたいと思うのは当然といえる。

が、「甲子園」という場所が特別な意味を持つのは、そのような歴史的背景があるからだけではない。このスタジアムには、他の野球場にはない独特の雰囲気があるのだ。鬱蒼と生い茂る蔦で覆い尽くされた高さ15メートルの外壁。大歓声をぐわーんと(まるでバイロイト祝祭劇場で鳴り響くワーグナーの楽劇のように)反響させる巨大な銀傘。後楽園球場の2倍以上あると思える思えるすり鉢状のスタンド。なかでも高々と聳えるアルプス・スタンド。そこでは、身体をジリジリと焼け焦がすような太陽の光と暑さの中で、ふっと塩の香を漂わせる一陣の浜風が吹き抜ける……。それら、他球場にはない舞台装置が、「祭り」の雰囲気を一段と昂めるのだ。

このスタジアムは、ファウルゾーンが非常に広く、神宮や横浜に較べてけっして野球の見やすい球場ではない。とりわけ各校の応援団の陣取るアルプス・スタンドは、内野からの距離が遠い上に角度が悪く(真っ直ぐ座ると外野の芝生ばかりが目に入る)、選手のプレイを見るには、最悪の場所といえる。が、それだけに、観客(応援団)は、野球よりもいっそう「祭り」の雰囲気にのめり込むのだ。じっさい高校野球の応援団は、野球のプレイとは掛け離れたところで(点数と、勝敗だけに大騒ぎして)、「応援」という「祭り」になくてはならない行為に没頭している連中が多い。

かつて長嶋茂雄氏は、「甲子園には人の心を燃やす不思議な魔力がある」といった。また、テレビのアナウンサーが「甲子園では何が起こるかわかりません」と、事あるごとに絶叫するように、このスタジアムは日常とは隔絶した非日常的な「祭り」の空間を生み出す力を有している。オリンポスの神々を讃える場所を表すギリシア語に由来する「スタジアム」とは、本来このような空間を生み出す建造物を指す言葉に違いない。

一昨年のタイガース・フィーバーと呼ばれた乱痴気騒ぎも(註:1985年阪神タイガースの21年ぶりの優勝・日本一で、ファンが大騒ぎしたこと)、「甲子園」という空間を抜きにしては語れない。もちろん「夏の甲子園」という「祭り」も、その名のとおり「甲子園」という人々を狂気に駆り立てるような雰囲気を持つ場所が、大きな威力を発揮しているに違いない。


「祭り」は、開会式という「儀式」で幕を開ける。が、その前に「祭り」ならではと思える光景が繰り広げられる。それは、若い男女の出逢いである。

開会式が始まる前、選手たちは一塁側アルプス・スタンドの外側に集合する。49校約750人の選手と、60人余りのプラカードを持つ女子高生。さらに約200人のブラスバンドと女声合唱団。そして報道陣や甲子園ギャル(高校野球ファンの女子中高生)で、そこはラッシュアワーの新宿駅や梅田駅異常の混雑と喧噪に包まれる。その混乱の中で選手たちと女子高生のプラカード嬢(または甲子園ギャル)との交歓が始まる。

「シャッター押してもらえますか」「ええ、いいですよ」「今度は一緒に並んでください」「いやあ、恥ずかしいわあ」「写真、送りますから、住所、教えてくれますか?」「いやあ、うれしいわあ。ほな、ここに送ってもらえますかあ」……

恥じらいとためらいを含んだ、ちょっと古風な石坂洋次郎的な世界とでもいおうか、「儀式」の直前には、若い男女によるきわめて健康的な集団見合いの場が出現する。それは、なかなか美しい光景だ。何しろ、このときの選手たちと女子高生の顔が、じつに素晴らしい。瞳はキラキラと輝き、肌はつやつやと光り、満面に微笑を浮かべた彼らと彼女らを見ていると、全国から選りすぐられた美男美女ばかりが集まったかのような印象を受ける。長いあいだ抱き続けた夢が叶った瞬間の顔というのは、これほど美しいものかと驚くほかない。

じっさい、この交歓の場で恋が芽生えることも少なくないらしい。それも「夏の甲子園」が「祭り」である証拠といってもいいだろう。

もちろん「祭り」が健康的な男女の出逢いばかりを生むというわけではない。宿舎の窓から「おいでおいで」と手を振ると、部屋に入ってきて服も下着もサッサと脱いだ女子高生と一夜を共にした話。午前2時までベッドを共にした女が、翌朝隣の部屋のドアから出てきて驚いた話。宿舎でアルバイトしていた女子高生が、Tシャツ、ノーブラ、ミニスカートで挑発し、夜になって缶ビールを手に部屋に押しかけたところが、監督に見つかって「写真雑誌にだけは気をつけろ」といわれた話……。

バイトの女子高生と一夜を過ごしたあと、コンドームの捨て場所に困り、トイレに流したところが、パイプを詰まらせてしまい、水が溢れてしまった話。そのパイプを詰まらせたのは誰か、知らん顔で噂し合った話。実力派有名投手を中心に騒がれながら、試合に負けてしまった夜、自動販売機のビールを買い占め、見て見ぬふりをしてくれた監督の隣室で、朝までナイン全員で飲み明かした話……などに体験談、武勇談(?)を、いまはプロ野球選手となった元高校球児から聴いたことがある。
こんな火遊びもまた、「祭り」ならではの出来事といえるだろう。

それはともかく、開会式直前の素晴らしい交歓の場を、ぶち壊す人物が何人かいた。野球部の部長の先生だか、監督だか、高野連の役員だか、主催新聞社の役員だか、ようわからなかったが、ともかく中年の男が、喜びにあふれている選手たちに向かって怒鳴りまくり、懸命に彼らの顔から微笑を取り除こうとしていたのだ。

「いいかッ!元気よく胸を張り、大きく腕を振れッ! 腿を高く上げて、きちんと手足を揃えるんだぞッ! 顎を引けッ! 白い歯を見せるなッ! 恥ずかしくない態度で行進するんだッ! わかったなッ!」
何と馬鹿なことをいってるんだ、恥ずかしいのはテメエのほうじゃねえか、と思った。

いま、この瞬間、「元気よく」などといわなくても、選手はみんな元気に充ち満ちている。「胸を張れッ!」などといわなくても、誰もが胸を張っている。おそらく「教育者」と思しき人物が何もいわなくても選手たちは素晴らしい爽快感あふれる見事な行進を見せてくれるに違いない。その見事な行進は、手足が寸分違わず揃うこととは別問題であるはずだ。

ところが元気あふれる選手たちに向かって「元気よく」などと、自分の目が節穴であることにも気づかず怒鳴りまくってる何人かの「教育者」たちは、たぶん、ナチス・ドイツかソヴィエト赤軍か旧帝国陸軍の兵士たちのように、手足をピタリと揃えて行進することこそ「恥ずかしくない態度」と考えているのだ。

開会式のあと、ネット裏の審判員席で、「最近の高校生は行進が下手になった」と嘆く声を聞いたが、下手になって当然だ。そもそも「夏の甲子園」の開会式の入場行進は、戦前の陸軍の指導のもとに始まったらしく、軍隊調の整然とした行進は、誰か(または何か)に対する忠誠の証(あかし)であり、現在の高校野球には(あるいは他のスポーツ大会にも)忠誠を誓う対象など存在しない。なのに手足だけをロボットのように揃えろといっても、それは無理な注文というものだ。

スポーツを軍隊の分列行進と同じレベルでしかとらえることのできない「教育者」は、スポーツが個人の感情を最も素直に解放する手段であるなどとは、思いも寄らないことなのだろう。が、この国には、そういう「教育者」がまだまだ大勢いるため、オリンピックの入場行進は手足を揃えたほうがいいのか、客席に向かって手を振ったほうがいいのか、などという外見の体裁だけを考えたナンセンスな議論が起こるのだ。

そして、このように何でもかんでも揃えなければ気の済まない(髪の毛まで丸坊主に揃えさせる)「教育者」のために、選手たちの喜びにあふれていた感情は抑圧され、開会式の始まる直前になると、彼らの顔に浮かんでいた素晴らしい微笑が、ほとんど消え去ってしまった。

もっとも、他のスポーツ大会とは異なり、「夏の甲子園」の開会式の場合は、これでいいのかもしれない。なぜなら開会式は、選手たちが晴れの舞台に出場することができた喜びを表す場ではなく、「祭り」のなかの退屈な「儀式」であり、そういう「儀式」も「祭り」のなかには必ず伴うものでもあり、退屈な「儀式」の主役は「若衆たち」ではなく、「司祭たち」なのだから――。


「儀式」は儀式らしく、伝統に基づき古くからの式次第どおり、無内容(!)に進行する(伝統とは起源の忘却である、というフッサールの言葉が思い出される)。

「ただいまよりーッ、第68回全国高等学校野球選手権大会のおーッ、開会式をーッ……」という、いつもの底抜けに明るいカウンター・テナーの司会者の声が張りあげられ、ファンファーレが鳴り響き、選手たちの入場行進が開始される。もちろん行進する選手たちに頬笑む顔は見られない。しかも感情がむりやり抑え込まれているせいか、動きもどこかぎこちない。

この「儀式」として形骸化された軍隊調の行進に対して、選手たちはどのような気持ちで臨めばいいのか、戸惑っているようにも見える。この日、この場の、彼らの喜びのあふれる気持ちを、素直に表に出せばいいはずなのに……。

行進が終わると国歌と大会歌を唄い、国旗と大会旗を掲揚する。そして「司祭」たちによる、ワケのわからない祝詞(のりと)のような言葉の羅列が始まる。
まず、大会会長――「日本一の栄冠目指して……母校の栄誉と郷土の期待を担い……正々堂々と……高校野球の伝統を守り……」

続いて文部大臣――「みなさまがたは……試練を乗り越え……全国民に感動を……気力と技量で……全力を尽くして争われるなかから……21世紀に向けて……皆様方の感動は……みなさまがたの子供たちにも……全国1億の国民にも……ですから高校生らしく……みなさまがたは……」
この大臣は選手を選挙民と間違えたのか、「みなさまがた」という言葉を21回も口にした。

次に主催者のひとり――「選手のみなさん……みなさんの野球は……お客さんのために見せる職業野球とは性格を異にするもので……学生野球は自分を鍛える……フェアプレイと不撓不屈の精神……それをもう一度胸に刻みつけ……」
職業野球という古い言葉に思わず吹き出してしまったが、相も変わらずプロ野球を蔑視し、敵視し、高校野球を神聖視するような言い回しにはうんざりさせられる。

最後に高野連(日本高等学校野球連盟=当時)会長――「真夏の炎天下のもと(?)……若さにあふれるプレイを……ところで最近のアマチュアリズムの後退は……だから高校生であることを自覚し、アマチュアリズムを守って……勝敗を度外視し……もちろん勝つことは目的だが、負けたときにも教育的に大きな意義が……野球を通じて立派な人間に育てていくのが目的……」
これまたひどい無内容な挨拶である。

以前の大会の閉会式の挨拶で、横浜商業高校を横浜高校と間違えて呼んだこともあるこの人物は、アマチュアリズムという思想が貴族階級の特権擁護から生まれたという歴史的事実を御存知ないのだろう。いや、そのような事実を知っていて隠しているのか? そうしてアマチュアリズムと教育という美名のもとに、選手や関係者全員を「夏の甲子園」というビッグイベントにノーギャラで参加させ、週刊誌報道によると、毎年1億円近い利益を上げているらしいのだから……。

アマチュアリズムとは、スポーツで金を儲けるときには最高に有効なお題目となるのである。それよりも、このビッグイベントをどのように運営してさらに利益をあげ、全国の高等学校の教育施設の充実に役立てるか、といったことを商業高校の高校生たちに考えさせたほうが、よほど教育的といえるだろう。もちろんそのとき、高野連を各年度の全収支を資料として高校生に公開しなければならないが……そのくらいのことは、簡単なことですよね。

さらに高校野球は「教育」だとよくいわれるが、その教育効果は集めたデータはどのくらい存在するのだろうか? 野球を通じた教育の結果、甲子園出場者のなかから、いったいどれだけの人間がヤクザになり、泥棒になり、あるいは真っ当な社会人になったかという追跡調査はしているのか? 甲子園周辺にある宿舎のトイレが、どれだけの煙草の吸い殻やコンドームで詰まったかという調査も行わず、データも示さず、ただただ何の意味もない美辞麗句を十年一日のごとく並べるだけなのだ。それに「教育」が目的ならば、どうして「勝者」を表彰したりするのだろう? スポーツは勝利を目指すものだが、勝者を讃えることが教育的であるかどうかは、検討する余地があるように思えるが……。

いやいや、所詮はどれもこれも「儀式」の祝詞なのだから、こんなものでもいいのかもしれない。「アマチュアリズム」「学生野球」「高校生らしく」「教育」といった言葉は、「祭り」にダシとして引っ張り出す御神体のようなもので、誰もその実態を知らなくても、ただありがたく拝んでおけばいいものだから。なまじ真剣に「御神体」の実態について考えたりすれば、1学期の期末試験期間中に「夏の甲子園」の地方予選を行うこともできなくなってしまうのだから……。

言葉の意味などわからなくてもいい祝詞が続いたあとは選手宣誓――「……スポーツマン精神に従い、羽ばたく高校生として、力いっぱい試合をすることを誓います」
最近の選手宣誓は変化が著しく、絶叫調が姿を消したのは悪いことではないだろう。が、「羽ばたく高校生」という意味がよくわからない。今春のセンバツにでは英語も使われ、それは外国語大学の附属高校だったかららしいが、内容は別にオモシロイものではなかった。それは「羽ばたく高校生」という言葉と同様、宣誓する高校生が「自分の言葉」として選び、用いている意志が伝わってこないからだろう。

その意味では、最近の宣誓も過去の絶叫調の宣誓も、本質的に変わるものではない。それは宣誓者の素直な気持ちを率直な言葉で表現させないという点で同じである。いや、「儀式」とは「伝統」に則ればいいのであって、素直な気持ちなど吐露させてはいけないというワケなのだろう。「儀式」は、スポーツではないのだから。

スポーツの醸し出す爽快感とはまったく裏腹の堅苦しい「儀式」を終えた選手たちは、球場の外へ出た瞬間、再びいっせい、あの素晴らしく爽やかな微笑を取り戻す。開会式という「儀式」のあいだは、「祭り」の表舞台よりも裏舞台のほうが、清々しいスポーツマン精神にあふれているのだ。
いや、「夏の甲子園」という「祭り」は、万事がこの調子……といえるかもしれない。


「儀式」が滞りなく終わると、いよいよ「祭り」の本番である「野球」が始まる。その中味については詳しく書くこともないだろう。読者の皆さんもよく御存知の通り、高校野球では素晴らしい感動にあふれたプレイが続出する。たとえどんなに技術が稚拙であっても、見る人の心を揺り動かすシーンが次から次へと出現し、人々はテレビの前に釘付けになる。

しかし間違えてはならない。感動的なプレイが続出するのは、よくいわれるように「全力疾走」や「高校生らしい溌剌としたプレイ」や「汗と涙の全力プレイ」といった場面が見られるからではない。

野球というきわめて大きな偶然性に支配されるスポーツのなかで、さまざまな偶然の出来事が次つぎと勃発し、選手たち自身がその出来事に心の底から驚きつつ一喜一憂する姿が、見ている人の心をも動かすのだ。ひとつのエラー、ひとつの失投、ひとつのイレギュラー・バウンド、いや、ひとつのクリーン・ヒット、ひとつのタイムリー・ヒット、ひとつの素晴らしいホームランも、技術が未熟で未完成な高校生にとっては、すべてのプレイが偶然の出来事であって(あるいは偶然に近い出来事であって)、選手自身がまず自分のプレイに驚き、心を大きく動かす。そこには、青少年期の変化、変身、成長の喜びが充ち満ちている。あるいは、挫折や苦悩が含まれる場合もある。が、ともかくそんな若い選手の心の振幅に、見る人の心も共鳴させられるに違いない。

プロ野球と高校野球の差異は、まさにこの選手自身の驚き方の違いにある。そして、その「驚き」=「未知のものを発見する驚き」「未知の自分を発見する驚き」があるからこそ、高校野球は素晴らしい「教育の場」といえるに違いない。

ところが、なぜか高校野球の多くの監督は、そのような素晴らしい教育的効果を踏みにじろうとしているとしか思えない行動に出る。ベンチから、やたらと「待て」「打て」「バント」等のサインを出し、何とか効率よく得点をあげることだけに腐心する。偶然性と発見の喜びに充ち満ちた野球というスポーツから、勝利につながる蓋然性のあるプレイだけを抽出し、「驚き」にあふれた「発見」よりも、練習で身に付けた平常心での繰り返しを、高校生に強いるのだ。

その最も典型的な例といえるのが、この年の松山商業だった。準決勝で11人連続安打という、まさに「甲子園」でしか起こりえないような体験をし、「未知の我ら」を発見して感動にふるえるナインに対して、このチームの監督は、続く決勝戦でバントやスクイズを多用し、彼らの精神と肉体の躍動と新たな飛躍に水を差したのだ。その結果、松商ナインがその作戦をことごとくミスし、天理高校に敗れ去ったことを、私は断じて偶然の結果だとは思わない。こんなことなら、高校野球の監督は高校生がやることを義務づけ、大人は試合中グラウンドに入らず、観客席から見守るようにしたらどうかとも思う。高校生が、話し合って作戦を決める。それこそ高校野球ではないか!

しかし、このような大人の監督の「反動」をしばしば突き破り、「祭りの若衆(高校生)」の肉体と精神は、大きく躍動し、飛翔する。そして、見る人の心をも揺るがす。

「真夏」の強烈な暑さのなか、ギラギラと輝く「太陽」のもと、「甲子園」という不思議な空間で、「儀式」を伴って行われる「大甲子園祭」――。

多くの他の祭りが、豊作、無病息災、邪気払い……といった本来の目的から離れて、民衆の精神と肉体の解放の場と化しているのと同様、「夏の甲子園」も、「司祭」たちが口にする「教育」などとは最も掛け離れたところで、今年も素晴らしい「祭り」のエネルギーを噴出させるに違いない。来年も……再来年も……。おそらく、何かがキッカケとなって、「祭り」ではなくスポーツにしなければ……という声が大きくなるまで、この巨大な「夏祭り」は、続くに違いない。

写真提供:フォート・キシモト