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パラリンピックは誰のものか(3)(大貫 康雄)

〈デフリンピックとスペシャル・オリンピック〉

せっかくの機会なので障害者スポーツ競技のパラリンピック以外の団体にも簡単に触れておく。

国際ろう者スポーツ委員会が4年に1度、夏と冬開く聴覚障害者のための国際競技大会、いわゆる、デフリンピック(Deaflympic Gamesはそのひとつで、これも世界規模の大会だ。

すでに夏季大会は1924年、フランスで、冬季大会は49年にオーストリアで第一回大会が開かれている。

IOCの承認を得て2001年以来、現在の名称「デフリンピック」となった。

また、知的発達障害のある人たちの社会参加と自立を目指すスポーツの試みも重ねられた。成果発表の場としての競技会は60年代にアメリカで始まった。

この競技会はあくまでも参加すること、努力することに最大の価値をおいている点で、他の競技会と異なる。

62年6月、ジョン・F・ケネディ大統領の妹ユーニス・ケネディ・シュライバーが知的発達障害のある人たちに自宅の庭を開放

この活動が、のちにケネディ家の財団の支援を受けて全米に広がり68年7月、第1回夏季国際大会がシカゴで開かれる(富豪が福祉や慈善活動を進める、極めてアメリカ的な展開だった)。

そして、この年の12月、企業「スペシャル・オリンピック」が設立。この競技会も88年、「スペシャル・オリンピック」の名称使用をIOCから認められる。

現在「スペシャル・オリンピック」は、夏冬26種の競技に増え、スポーツ活動は世界150を超える国と地域に広がっている(本部はワシントン)。

競技は個々の競技能力に応じ、競技の水準が同じ程度になるようきめ細かく配慮されている(先にも述べたが、オリンピック精神の原点、勝つこと自体が目的ではなく選手が自己の最善を尽くすことが最大の価値とされているのが、他の競技会とは異なる)。

表彰式も一番下位の選手から始まり、参加選手全員が拍手を送られるように配慮されている。「参加することに意義あり」のオリンピック本来の精神を絶えず意識させる試みだ。

日常の練習を大切にして、選手の努力と勇気をたたえるいくつもの工夫がなされ、出来るだけ同じ水準の選手の間で競い合うように競技の組み分けにも配慮している。

知的発達障害のある選手と、同じ競技能力のある健常者とでチームを組む競技も考えだされている。

競技会には医師、看護婦なども待機し、選手の万一の事態に備えている。

単にスポーツ競技だけでなく、知的発達障害者への理解を促進する教育プログラムを作って、小中学校、高等学校との交流を図っているのも際立っている。

日本では80年、鎌倉市市民団体・ジャパン・スペシャル・オリンピック委員会が作られ(世界で42番目と認定される)、83年にルイジアナ州バトンルージュでの第6回夏季大会に選手が派遣されている。

この団体の解散後、熊本にSON・「スペシャル・オリンピックス日本委員会」が設立される(94年、国際本部が認定)。

2001年、NPO・特定非営利活動法人となり、さらに今年4月からは公益財団法人SON「スペシャルオリンピックス日本」として活動している(理事長は、シドニー・オリンピックの女子マラソン優勝者、有森裕子さん)。

(了)

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