ノーボーダー・スポーツ/記事サムネイル

パラリンピックは誰のものか(2)(大貫 康雄)

〈パラリンピックの問題点〉

IPCとIOCとの関係が密になるに連れ、障害者のリハビリや生きがいの向上、という福祉の性格だけでなくスポーツ性本格的な競技の側面も顕著になっていく。

(日本ではIOCの加盟団体JOCはスポーツ行政に関わる文部科学省の管轄団体であり、IPCの加盟団体であるJPCのある日本障害者スポーツ協会は障害者福祉行政に関わる厚生労働省の管轄となっている。それぞれに官僚出身者が常勤役員となっているのが極めて日本的だが)

IOCとの関係が強まり社会の認知度が高くなる、という光の面が出る一方で、障害者スポーツの影の側面も明確になる。

いくつもメダルを獲得する有力選手はスターとなって社会の脚光を浴び、企業のスポンサーも付いて経済面でも豊かになり、人生が一変する。

一方で、シドニー大会では知的障害者の男子バスケットボールで金メダル獲得のスペイン選手の中に障害を偽装した健常者がいたことが発覚。このため2002年の冬の大会から知的障害者の競技を実施しないこととなった。

この問題解決のためIPCは障害の基準を明確にし、各国のNPCがきちんと実施しているかどうか、各国関係者のモラルが問われている。

障害者といっても傷害部位も程度も異なるため、障害の度合いに応じ平等に階級を分けた結果、100m競走などが幾つもの階級に分かれ、メダル数が多くなってしまった。数が多増えるとありがたみも薄れるのは人間社会の常だ。

そこでメダルの数が増えるのを防ぐため、階級を統合しようとすると傷害部位の差異をどう公平に判定するか別の問題が出てくる。

傷害の度合いに応じて選手に点数が加算(ハンディを付ける)たりする競技も作られた。

 

また、豊かな国、技術先進国では補助器具などの改善・改良が進み、競技上有利になるのに対し、貧しい国や発展途上国の選手は、そうした器具を利用できないし、練習する機会もない、という不公平も顕著になっている。

夏季ロンドン・オリンピックには膝下から両方の下肢がない南アフリカのオスカー・ピストリアス選手が炭素繊維製の義足をつけて陸上男子400mなどに出場した。ピストリアス選手はパラリンピックで何度も優勝しており、引き続き夏季パラリンピックに出動する。

他方、ロンドン・パラリンピックでは、カンボジアは貧しく、選手の練習施設も満足な器具もないため出場選手はひとりしか出せなかった、とカンボジア・パラリンピック関係者が問題点を指摘している。

脊椎損傷患者のリハビリと生きがいのために車いすのスポーツ競技会を始めたストーク・マンデヴィル病院は、スポーツを取り入れた脊椎損傷治療の中心医療機関として発展、現在では世界最大の脊椎損傷医療機関になっている。

60年ローマ、64年東京と、マラソンで連続優勝したエチオピアのアベベ・ビキラ氏はその後交通事故を起こして脊椎を損傷して、ストーク・マデヴィル病院に8カ月入院し、治療を受けている。入院期間中に病院で開かれた車いす競技会にも参加している。

ストーク・マンデヴィル病院で始まった障害者スポーツの小さな競技会は、世界中の医療関係者、障害者を刺激し勇気を与え、障害者の人生に大きな影響を及ぼし、現代社会の欠かせない要素になった。

障害は一様ではなく、それぞれの傷害に応じたスポーツ競技会も独自に始められ発展してきている。

(続く)

【NLオリジナル】