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日本書紀

『日本書紀』

出版社:岩波書店

価格:¥1,296

 

 

〈則ち、當麻蹶速(たきまのくゑはや)と野見宿禰(のみのすくね)にと捔力(すまひと)らしむ。二人相對(あひむか)ひて立つ。各(おのおの)足を擧げて相蹶(ふ)む。則ち當麻蹶速が脇骨を蹶(ふ)み折(さ)く。亦其の腰を蹈(ふ)み折(くじ)きて殺しつ。故(かれ)、當麻蹶速の地を奪(と)りて、悉(ことごとく)に野見宿禰に賜ふ……〉


 日本人の肉体観、セックス観、闘争(競技)に対する考え方、風俗、慣習等をあらためて知るには、『古事記』のほうが読みやすく、かつ面白いのだが、残念ながら、相撲の起源といわれる當麻蹶速と野見宿禰の闘いに関する記述がない。その点、『日本書紀』には、前記のように相撲に関する記述もあれば、中臣鎌子(鎌足)と中大兄皇子が「打鞠(くゆるまり)」をやりながら「大化改新」を企てる謀議をはかるシーンもある。


〈法興寺の槻樹(つきのき)の下に、打鞠の侶(ともがら)に預(まじ)りて、皮鞋(みくつ)の鞠の隨(まま)に脱け落つるを候(まも)りて、掌中(たなうち)に取置(とりも)ちて、前(すす)み跪(ひざまづ)き恭(つつし)みて奉(たてまつ)る中大兄……〉


 ちなみに、この「打鞠」を「蹴鞠(けまり)」と解説している書物が少なくないが、打鞠から蹴鞠へと発展したのではなく、蹴鞠は奈良時代後期から平安時代に唐から日本へ伝えられ、打鞠はそれ以前に大陸から伝わったメソポタミア起源の球戯(毬打(ぎつちよう))であるという説もある。
 毬打は、蹴鞠よりもむしろサッカーやホッケーに近い球戯であり、『平家物語』のなかにある次の記述――〈南都(注・奈良)には、大きなる毬打の玉をつくりて、これを平相国(へいしやうごく、注・平清盛)の頭(かうべ)と名づけて、「打て」「踏め」なんぞと申しける〉も、平安時代以降に発展した優雅な蹴鞠ではなく、それ以前に日本に伝えられた荒々しい毬打と解釈するほうが、玉を平清盛の頭とみなして(棒で)打ったり(足で)蹴ったりしたという記述に合致する。近代スポーツはヨーロッパで整えられたが、球戯をふくむスポーツが世界のあらゆる地域で同時発生的に生まれ発展したことは、東洋の島国に住む人間として知っておくべきだろう。(全5巻)