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佐野稔の4回転トーク 17~18シーズン Vol.⑱ 驚きの連続のなか、樋口、宮原が日本女子11年ぶりのダブル表彰台を達成 ~「世界選手権・女子シングル」を振り返って

思わず涙した、樋口新葉渾身のフリー

五輪女王のアリーナ・ザギトワ(ロシア)が大きく崩れると、ショート・プログラム(SP)首位発進した地元イタリアのカロリナ・コストナーも失速。カナダ勢ではじつに45年ぶりとなるケイトリン・オズモンドの初優勝と、女子シングルは驚きの連続した。なかでも樋口新葉のフリー(FS)の演技には「うわぁ良いモノを見たなぁ」と、心を震わせてもらいました。土曜の早朝から、テレビの前で思わず涙した人も多かったのではないでしょうか。かく言う私も妻とふたり、涙をぬぐうティッシュペーパーが手から離せませんでした。

去年12月の「全日本選手権」で4位に終わり、平昌(ピョンチャン)五輪の出場を逃したことで、一度は緊張の糸が切れたと聞きます。右足首の痛みもありました。自身のSNSで「これから倍返しの始まりだ」と発信したのは、そのように公言することで、目標を見失った自分を自分で奮い立たせる部分があったのかもしれません。五輪と同じ期間にオランダで開催された「チャレンジカップ」では、気持ちを立て直して優勝していました。

じつは大会前に、日本での樋口の練習を見ていた限りでは、いまひとつの調子。集中している感じがあまり伝わってきませんでした。ですが、本人のなかでは、私は絶対にやれるんだと確信めいたものがあったようです。岡島功治コーチが「頼もしかった」と言うくらい、現地に到着してからカチッとスイッチが入ったのでしょう。ショート・プログラム(SP)では、軸の傾きを修正できなかった連続ジャンプでの転倒が響いて8位でしたが、身体はすごく良く動いていました。

中1日で迎えたFSでは、持ち味であるスピード感あるジャンプをすべて成功。表現力も際立っていました。ジャンプとジャンプの間のつなぎの部分も美しく、全体の流れも滑らかで、本当に素晴らしかった。鬼気迫った渾身の演技でした。

特筆すべきは、振り付けと樋口新葉らしさとが、見事に融合していたところです。今シーズンの彼女のプログラムは、音楽も振り付けもひじょうによく練られています。さすがは世界に名だたる振付師シェイ=リーン・ボーンと言ったところです。ただ、今回の樋口の演技は、その振り付けられた要求を完璧にこなした上で、さらに「私の演じたいジェームズ・ボンドは、こうやって踊るの」といった感情が随所にあふれ出ていました。シェイ=リーンの求めた振り付けを完璧にこなすのが100点だとしたら、樋口はそれに自分の個性を上乗せして120点にも、130点にもしてみせたのです。

フィギュアで「007」と言えば、やはりバンクーバー五輪のキム・ヨナのイメージです。ですが、歌手アデルのヴォーカル入りの音楽を使ったことも奏功して、樋口はまったく違う「007」をつくりあげました。まさに集大成。ほかの誰にも真似のできない。‘樋口若葉バージョンの「007」’が、シーズンの最後に完成しました。


エアポケットにはまったような宮原の転倒

SP冒頭の連続ジャンプのトゥ・ループが回転不足に。FSでも前半の連続ジャンプの3回転ルッツと、後半の3連続ジャンプの2回転ループが回転不足の判定。宮原知子は平昌五輪で克服したはずの課題に、再び見舞われる形になりました。

ただ、それ以上に痛恨だったのは、予定していた3回転サルコゥが2回転になった上で転倒したことです。2位の樋口と、3位宮原のスコアは、わずか0.82点差。もしあそこで転倒していなかったら、メダルの色が入れ替わっていてもおかしくありませんでした。抜群の安定感を持つ宮原にしては、まるでエアポケットに陥ったような、ちょっと考えられないミスでした。ちょっとしたミスや不運が原因で、思ったようにはスコアが伸びない。今シーズンの宮原を象徴していたかもしれません。

ただ、それだけのミスを犯していながら、続くザギトワ、そして最終滑走者のコストナーが、まさかのミスを連発。終わってみれば、SPで3位、FSも3位と大崩れしないで、しっかりとまとめてみせました。それを支えているのは、高いレベルのスピンやステップ、ジャンプ以外のスケーティング技術です。思えば昨年の世界選手権は、左股関節の骨折のため欠場を余儀なくされました。そこからの長いリハビリ、NHK杯での復帰、全日本4連覇、そして平昌五輪。今回の銅メダルは「今までで一番色んなことが詰まった」(宮原)シーズンの締めくくりに、彼女が地道に積み重ねてきた努力に対するご褒美だったのかもしれません。


日本フィギュア界に脈々と流れる「枠獲り」の責任感

世界選手権での日本女子のダブル表彰台は、11シーズンぶりとのこと。樋口と宮原ふたりの活躍のおかげで、来シーズンさいたま市で開催予定の世界選手権の出場枠が「2」から「3」に復活しました。スケート連盟の小林芳子強化部長は「価値のあるメダル。来年の3枠どころか、お釣りがきた」と喜んでいたほどです。

今大会が終わったあと、樋口は「去年は自分のミスで枠が減った」「来年の日本開催に向けて、3枠を獲れて本当によかった」と話していました。男子でも、宇野昌磨がFSの採点が発表されたあとのキス&クライで「枠、獲れたかな」と確認する様子が、中継の画面に映し出されていました。

もちろんどの国の選手たちも、自国の「枠獲り」を気にしてはいるのでしょうが、最も強い責任感を持っているのは日本の選手かもしれません。私の現役時代もそうでした。フィギュアは個人競技ですし、選手同士はそれぞれがライバルです。ですが、チームとしての日本のため、あるいは後輩たちのために、なんとか最大「3枠」をみんなで確保しよう。今回出場した選手たちの言動から、こうした意識が日本のフィギュア界には脈々と受け継がれているのだなぁと、あらためて実感できました。