佐野稔の4回転トーク 17~18シーズン Vol.⑯ 4回転ループの回避とミスの 小ささが、羽生の連覇を導いた ~「平昌五輪・男子シングル」を振り返って
メダルの色を分けた「ミスの度合い」
男子フィギュア66年ぶりとなる五輪連覇と、日本フィギュア界初の1位、2位同時表彰台。ふたつの快挙が現実となりました。私は大会前から「金メダルの大本命は羽生結弦。最大のライバルは宇野昌磨」だと言ってきましたが、いざ本番になると、最後の最後まで安心して観ていられない。せめぎ合いの続く大混戦になりました。もし宇野のフリー(FS)がノーミスだったら、金と銀のメダルの色が入れ替わっていてもおかしくありませんでした。羽生、宇野、そして3位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)。表彰台に昇ったこの3選手は、いずれもFSでミスを犯しました。3人のメダルの色を分けたのは、それぞれの「ミスの度合い」でした。
宇野は冒頭の4回転ループで転倒、そして後半の4回転-2回転の連続トゥ・ループで左足が早く氷に着いたため、GOE(出来栄え点)がマイナス評価になりました。2種類の4回転ジャンプ3本でプログラムを構成したフェルナンデスはそもそもの基礎点が低い分、完璧な演技が求められました。にも関わらず、後半最初の4回転サルコゥが2回転になったため、約10点分のスコアを手放してしまいました。
それに対して羽生は、4回転トゥ・ループからの3連続ジャンプの予定が、単独になったものの、続くトリプル・アクセルからの2連続ジャンプを3連続にすることで、すぐさまリカバリーしてみせた。3回転ルッツは軸が傾き、GOEはマイナスになりましたが、痛みの残る右足首でなんとかこらえた。勝利への強い意志を感じさせる場面でした。転倒はしなかったことで、減点が少なく済みました。
痛恨のミスを犯した宇野とフェルナンデス。ミスを極力小さくとどめて、致命傷は負わなかった羽生。この差が、金、銀、銅のメダルの違いになったのです。
故障が完治していないなか、勝利にこだわり4回転ループを回避
今大会の接戦は、羽生のケガに起因しています。試合が終わってから、選手生命の危機を覚えるほど重たい症状だったことや、右足首にはまだ痛みが残っていること、強い痛み止めを飲んで、ようやく氷上の練習ができたことなどを明かし始めましたが、そういった自分の置かれた状況を冷静に見極めて、勝つために4回転ルッツ、そして4回転ループを回避。自身がこれまで磨きあげてきた質の高さで勝負に出たことが、偉業につながりました。4回転ループを外すことを決めたのは、FS当日の朝だったそうですが、私の知る限り、羽生が平昌(ピョンチャン)入りしてから、練習で4回転ループに成功したのは1度だけでした。勝つためにはベストな選択だったと思います。完成度の高いトゥ・ループ、サルコゥの2種類に4回転ジャンプを絞った結果、出場選手中トップとなる96.62の演技構成点を獲得して、なおかつ高水準の技術点もマークすることができました。
4年前のソチ五輪では、首位で迎えたFS冒頭の4回転サルコゥでいきなり転倒。日本男子フィギュア初の金メダルを手にしながら「自分のスケートができなかった。満足していない。すぐにでもサルコゥの練習がしたい」と、19歳の羽生は悔しがっていました。2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)のミスの連発に、助けられた感は否めませんでした。
それが今回は、まずSP冒頭の4回転サルコゥを完璧に成功。とても4ヶ月ぶりの実戦とは思えないジャンプでした。翌日のFS冒頭の4回転サルコゥに至ってはGOEが満点の3.0。さらにFS後半の4回転サルコゥ+3回転トゥ・ループのコンビネーションも2.71のGOEを獲得と、4回転サルコゥが大きな得点源になりました。ソチでは成功率の低かった4回転サルコゥでしたが、この4年間で「ループをやらなくても、4回転サルコゥを決めれば勝てる」と思える武器になるまで、その質を高めていたのです。
試合後に「ソチ五輪のフリーのリベンジがしたかった。特に課題としていたジャンプをしっかり決めることができた」と、くり返し話していたのは、4年前の悔しさがあったから。五輪の借りを、五輪で返せたからなのでしょう。
欠場中の追い込みをうかがわせた演技の細部
復帰していきなり、自身の世界最高得点に肉薄するSPをやってのけ、世界中を驚かせた羽生ですが、その演技の端々から、欠場している間に、かなり身体を追い込んできた様子がうかがえました。演技中、背中のラインが真っ直ぐ綺麗に伸びていましたし、スピンのときのフリーレッグ、つまり宙に浮かしたほうの足が、欠場前より高く上がっていたのです。また滑ることのできない時期が続けば、少なからず顔つきがふっくらしていてもおかしくないのですが、久々に公の場に現れた羽生の表情は、むしろ引き締まって見えました。
氷に乗れない時期が2ヶ月ほど続いたそうですが、その時どきのコンディションに応じて、許される限りの陸上トレーニングやイメージトレーニングを積み重ねてきたのでしょう。
SPは良くても、2分近く演技時間が長くなるFSになったとき、はたして最後まで体力が持つだろうか。五輪に合わせて充分な練習をしてきていながら、FSの後半になると失速する選手がいるくらいなのです。当然ブランクのある羽生のスタミナ面が不安視されましたが、実際には演技が終わるまでギリギリのラインを保っていました。
すべてが終わってから、負傷の具合を聞けば聞くほど、満足な滑り込みができていたとは思えません。であれば、この3ヶ月間、人知れずいったいどんな取り組みをして、どれだけのことに耐えてきたのでしょうか。
よく「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのが五輪」と言われます。予想もしない波乱が起きたり、いわゆる‘魔物’が暴れたり。大本命と目された選手が、その通り金メダルに輝くばかりではありません。ですが、今回の羽生は勝ちに行って勝ちました。万全な状態だったら、圧倒的な大差で優勝していたのではと想像させるくらい、羽生結弦は強かった。連覇にふさわしい。まさに王者でした。
いきなりのミスを引きずらなかった宇野が銀メダル
FSの最終24番目、宇野昌磨の滑走順になったとき、1位の羽生の上を行くには213.69点が必要でした。宇野のFSのパーソナル・ベストは214.97点ですので、それに極めて近いスコアを出せたら、逆転での金メダルに手が届いたのです。そのことは本人も理解していたと言っています。ですが、自己最高の演技をしなくてはと意識したのが裏目に出たのか。最初の4回転ループで転倒。ここで勝負あり。羽生結弦の金メダルがほぼ決定しました。ただ並の選手であれば、ズルズルと崩れるところでしたが、そこで踏み止まって、まるで動じることなく最後まで自分の滑りをやり切った。そのことがひとつ順位を上げての銀メダルに結実しました。
初出場の五輪で銀メダル獲得なのですから、よく頑張ったと言うほかありません。ですが、宇野はこれで昨シーズンの世界選手権、今シーズンのグランプリ・ファイナル、四大陸選手権、そして平昌五輪と、ことごとく2位が続いているのです。このままでは「シルバー・コレクター」との、あまりありがたくない称号を頂戴しかねません。
シニア転向3シーズン目。宇野のめざましい成長ぶりは、誰もが認めるところです。羽生が4回転ジャンプの種類を絞っていたからとはいえ、今回FSの技術点では羽生を上回っていました。北京五輪までの次の4年は、これまで追い掛けてきた羽生の背中を、追い抜くための4年間にしても良いのではないでしょうか。宇野本人も「自分にはジャンプの完成度が足りない」と、今後の課題を自覚していました。演技構成点をさらに伸ばす努力も必要でしょう。ひとまず来月の世界選手権(イタリア)では「2位」の座を返上して、ぜひ表彰台のてっぺんに立って欲しいと思います。
ネーサン・チェンの演技が示す、4回転時代の難しさ
もうひとりの金メダル候補だったネーサン・チェン(アメリカ)は、団体戦で大きく崩れたことが尾を引いたのか。SPの3つのジャンプすべてでミス、まさかの17位スタートとなりました。一転してFSでは、悔しさをすべてぶつけるような捨て身の演技。4種類の4回転ジャンプ6本に挑んで、そのうち5本を成功させました。なかなか真似のできない。たしかに凄いことではあるのですが、昨シーズンまでのチェンの演技に戻ってしまっていました。技術点はダントツトップの127.64でしたが、引き換えに表現面をないがしろにしたため、演技構成点では3人のメダリストたちと大きな差がつきました。
前回のソチ五輪では、羽生結弦が史上初めてSPで100点超えを達成したことが大きな話題となりましたが、平昌では100点超えした選手が4人いました。メダリストの3人は揃って総合300点を超えています。この4年間で、スコアはどんどん上昇しました。背景には、若手を中心に2種類・4本以上の4回転ジャンプを跳ぶ選手が、大幅に増えたことが挙げられます。ですが、ネーサン・チェンの例でも分かるように、4回転ジャンプを5~6本成功させようとすれば、表現の面を犠牲にしないと難しい。これが男子フィギュアの現状だと言えそうです。
4種類、5種類と4回転ジャンプのレパートリーを増やして、技術点で荒稼ぎするのか。それともジャンプの種類ではなく、ひとつひとつの精度を高めながら、演技構成点を含めた総合力で勝負するのか。国際スケート連盟では基礎点の引き下げなど、4回転ジャンプを抑制する方向でのルール変更が検討されていると聞きます。しばらくは自分の能力をできるだけ引き出せる最適なバランスを、各選手が模索していくことになりそうです。