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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(209) “現役レジェンド”土田和歌子選手が競技転向。「退路を断って、可能性を広げたい」

パラスポーツは競技歴が長く、かつトップクラスで活躍を続ける選手も少なくありません。そんな“現役レジェンド”の一人で、車いすマラソンの第一人者、土田和歌子選手(43/八千代工業)が1月18日、東京都内で会見を開き、陸上競技からトライアスロンへの競技転向を発表しました。

「23年間、陸上競技と真摯に向き合い、取り組んできました。やり残したことがないと言えばうそになりますが、身体的状況と心境の変化から退路を断ち、自分の新たなる可能性を広げるために、未知の競技である、トライアスロンへの挑戦を決意しました。1年1年積み重ね、最大の目標である東京パラリンピックでのメダル獲得を目指したい」

1月18日都内で行われた会見で、競技転向について自らの言葉で語る土田和歌子選手。(撮影:星野恭子)

土田選手は冬と夏の両パラリンピックで金メダルを獲得している、日本人としては唯一、世界でも数少ない選手です。高校2年の時に交通事故で車いす生活になりましたが、1994年リレハンメル冬季大会にアイススレッジスピードレースで初出場し、98年長野大会でメダル4個(金2、銀2)を獲得。陸上競技転向後、2000年シドニー夏季大会から5大会に連続出場し、5000mでの金を含む3つのメダルを獲得しています。車いす(T54クラス)のフルマラソンでは世界最高記録保持者。2013年大分国際車いすマラソン大会で樹立した1時間38分7秒はまだ破られていません。

とはいえ、トライアスロンへの挑戦は「たまたま」でした。リオパラリンピック後の2016年11月、ニューヨークシティマラソン出場時に突然、激しい運動で発作が起こる運動誘発性喘息を発症。治療のために水泳を始めると、「せっかくやるなら、スキルも磨きたい」とスイムスクールに入学。ほぼ同時期にマラソンの強化を目的に、海外のライバルたちも取り入れているハンドサイクルの練習をスタート。

パラリンピックのトライアスロンは、スイム(750m)、バイク(20km)、ラン(5km)の計25.75kmで競います。こうして専門のランにスイム、バイクが揃い、力試しに出場した昨年4月のアジア選手権(フィリピン)、5月の世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会で、PTWC(車いす)クラス女子で優勝。いきなりポテンシャルの高さを示したのです。

とはいえ、転向へと強く背中を押したのは、「挫折」だったそうです。それは昨季前半の実績により、初出場を果たした9月の世界選手権(オランダ)でのこと。スタートしようと水に入ったところ、それまで体験したことのないほどの低水温が原因で過呼吸を発症。そのままレースは棄権となりました。

「スタートさえ、させてもらえない過酷な競技」ではあったものの、「あの経験で自然を相手にするトライアスロンの壁の高さを知り、超えてみたい、この競技を極めてみたいと思うようになった」と転向理由を語りました。


トライアスリート、土田和歌子の誕生

土田選手が長くこだわって挑戦しつづけてきたのは、車いすマラソンでのパラリンピック金メダルでした。ボストンマラソンなど世界大会を数多く制したものの、パラリンピックではシドニー大会での銅メダルのみ。2008年北京大会は5000mレースでクラッシュに巻き込まれて負傷し、マラソンは棄権となりました。巻き返しを図った12年ロンドン大会では途中で転倒があり、5位。そして、16年リオ大会ではトップと1秒差の4位……。リオのレース後は悔しさをにじませつつ、すべてを出し切って、「満足感もあるレースだった」と語っていた姿が印象的でした。

トライアスロンへの挑戦についてはマラソンとの両立も考えなかったわけではなかったそうですが、「二兎を追う者は一兎をも得ず。一つの目標を定めて向かっていくことが必要だと考えた」ときっぱり。現時点での最大目標は出身地でもある地元東京で開催される2020年パラリンピックでのトライアスロンでのメダル獲得と言います。

アイススレッジスピードレース、陸上競技につづき、「トライアスロンはたぶん最後」という土田選手。「残りの競技人生を、あえて厳しいものに挑戦したい」。(撮影:星野恭子)

ただし、「壁」はまだあって、実は今年1月現在で国際パラリンピック委員会(IPC)はトライアスロン、陸上、水泳の3競技に関して東京大会での実施種目(クラス)をまだ正式発表していません。トライアスロンについては障害別に男女6つずつあるクラスのうち、IPCは東京大会では同3クラスずつ、出場選手数は男女40人ずつ計80名とし、詳細は今年12月末までに発表するとしているだけです。

パラリンピックでのトライアスロンは2016年リオ大会で初めて正式競技となりましたが、その際も当時男女5クラスずつあったなか、3クラスずつのみが実施されるにとどまりました。IPCの判断基準としてはクラスごとに選手層や競技レベルなどを鑑み、現在検討中とのことです。

つまり、現時点で土田選手のPTWCクラス女子が実施種目に含まれるかは不透明です。それでも、車いすマラソンへの復帰について、「今は考えていない。トライアスロンへの魅力を感じて転向するので、2020年がなかったとしても、トライアスロンに1戦1戦参戦して、自分の力を試していきたい」と前だけを見据えています。

ランについては慣れ親しんだ種目ですが、スイムは以前から泳げたものの、プールでなく海など自然環境の中でタイムを競うという意味では課題が多いと言います。また、バイクは仰向けになって手で漕ぐハンドサイクルを使うので、競技用車いすとは動作も異なり、また、道具との相性も探りながらとなります。

昨年1年の挑戦を通し、「新しい発見や目にするものすべてが新鮮だったのは確か。自分の身体を使い、分けることができれば、スキルもあがっていくのかなと思う」と話し、43歳という年齢についても、「トライアスロンは80代の方もいらっしゃる」と、まだまだ自身の伸びしろにも手応えを感じている様子。

転向会見の様子。左から、八千代工業の山口次郎社長、土田和歌子選手、日本トライアスロン連合(JTU)の岩城光英会長、JTUパラトライアスロン対策チームの松山文人マネージャー。また、左のポスター下段の写真にはハンドサイクルに挑む土田選手の姿が。(撮影:星野恭子)

そんな強さを見せる土田選手に対し、日本トライアスロン連合(JTU)の岩城光英会長は、「競技成績はもとより、アスリートとして競技に取り組む姿勢は他の(JTU)強化指定選手の模範となるもの。ナショナルチーム全体の意識を高め、新しい風を吹き込んでもらった。JTUとして全力で応援していく」とコメント。

また、2014年から土田選手の競技用車いす(レーサー)を開発・製作する八千代工業の山口次郎社長も、「彼女の取り組む姿勢やトップを狙う挑戦、この笑顔が皆さんに感動と勇気を与える。全力でサポートしていきたい」と継続支援を約束。

土田選手は、「これまでの陸上人生があって与えられた(新たな)挑戦です。パラ陸連をはじめ、ご尽力いただいた多くの方々に深くお礼申し上げます。挑戦は生半可ではないが、残りの人生をあえて厳しいものに挑戦したい。必ずレベルアップし、笑顔でのゴールに向け高みを目指していきたいと思っています」と強い覚悟を示しました。

土田選手はこのあと国内合宿を経て、2月から海外転戦を始める予定で、国内で最初に雄姿が見られるのは5月12日に横浜市で開催される、「ITU世界パラトライアスロンシリーズ」になりそうです。“レジェンド”の新たな挑戦をぜひ応援してください!

(文・写真: 星野恭子)