「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(201) 伝統ある、唯一無二の車いすマラソンの国際大会。「史上初の中止」に今、思うこと。
3連休は比較的、行楽日和に恵まれましたね。でも、10月後半の週末は2週続けて台風の襲来を受けた日本列島。おかげで、いくつかの競技大会も中止を余儀なくされました。その一つに、10月29日に大分市内で予定されていた「第37回大分国際車いすマラソン大会」があります。中止の理由は、「台風22号に伴う気象状況の悪化により、安全な大会運営が困難なため」と発表されています。大会中止は1981年に始まった同大会史上、初めてのことでした。私も取材のため、前日から大分市入りしており、異例の事態に驚きました。
この大会は1981年に世界で初めての車いす単独の国際マラソン大会として誕生して以来、毎年開催されています。車いすだけの大会で、これだけの歴史を重ねているのは世界唯一。世界中の車いすランナーたちから、「オーイタ」として憧れをもって親しまれ、毎年多くの選手が国内外から集まる世界最高峰の車いすレースです。今年も、マラソンとハーフマラソン合わせて16カ国から224選手がエントリーしていました。
開会式の記者会見に臨んだ有力選手たち。左からマルセル・フグ選手、鈴木朋樹選手、山本浩之選手、喜納翼選手、マニュエラ・シャー選手、土田和歌子選手。各選手とも、翌日のレース戦略につて「雨対策がカギ」と話していたが…。後列は、大会スペシャルサポーターの塚原直貴さん(撮影:星野恭子)
大会前日の28日夕方には恒例の開会式がスタート地点近くの大分市の繁華街広場で行われ、雨天のなか大勢の観客も詰めかけました。大会は大分市民にとっても「恒例イベント」として根付いていて、毎年約2000人のボランティアが支えます。開会式にも、大会会長でもある広瀬勝貞・大分県知事や、同副会長の佐藤樹一郎・大分市長も顔を揃え、有力選手も会見し、これもまた恒例となっている参加選手やボランティアによるパレードなども近隣商店街で行われ、大会機運は高まっていました。
それだけに、「中止」の判断はかなり大きな決断だったろうと思われます。実際、大会中止が発表されたのは大会当日のスタート3時間前にあたる、午前7時。市内目抜き通りもコースとなっている今大会は交通規制の問題もあり、気軽にスタート時間や日程をずらすことは難しく、予定通りの開催にけてギリギリまでその可能性を探っていたのでしょう。
私も大会事務局に判断の経緯を取材したところ、「選手の安全確保を最優先に考えた結果の判断」とのことでした。大分地方気象台に何度も天気予報を確認し、29日の午前3時頃にはコンディションの確認のため、車でコース全体を巡回したところ、海沿いにあたる25キロ地点前後のコースは風もかり強く、路上にも水たまりがいくつも確認されたそうです。
そして、未明に気象台から暴風警報が出されたところで、今大会の技術代表で世界パラ陸上競技連盟陸上競技国際技術委員でもある三井利仁氏にも相談し、スリップ事故などの危険性もあるといった意見も検討した上での、苦渋の決断だったとのことでした。
大会中止の旨はすぐに大会サイト上で発表された他、事務局は選手一人ひとりに電話をし、海外選手にも通訳ボランティアを通して伝えられました。関係各所などにも伝えられた他、レースの生中継を放送予定だった大分放送(OBS)は午前7時以降の番組内で何度も速報テロップを画面上に流していました。また、選手を応援しようと沿道で待つ市民を想定し、コースを回って中止を伝えて回ったと言います。
それでも、事務局には問い合わせが相次いだそうです。また、電話で中止を知らせた選手たちからは、「調子もよく、レースを楽しみにしていた」など中止を残念がる声は多く、また、レース3時間前というギリギリのタイミングで、レース準備を済ませていた選手も多く、事務局の対応に疑問を呈する声も聞かれました。
私はレース時間に合わせて車でコースを回ってみました。事務局の説明通り、風雨は強く、軽自動車では時折、ハンドルを取られるような感覚もありました。何よりも路上の水たまりは確かに気になりました。周囲の車が飛ばす水しぶきを見ると、かなり水嵩の深さも感じたし、それはつまり、道路に凹凸があるということになります。スリップもそうですし、そのままつっこんで転倒などの事故につながる危険性も大いに感じました。
レース時間中のコースは風雨が強く、水たまりも多数あった。(撮影:星野恭子)
実はこの大会は障害の程度が最も重いクラスも実施されています。また、選手の年齢層も10代から上は90代まで(!)と幅広く、競技ビギナーも受け入れています。それだけに世界でも貴重な大会であり、人気も高く、国内から多くの選手が参加しているのです。
それに、選手だけでなく、ボランティアや観客の「安全」も考慮されなければなりません。少なくとも大会開催時間中のコース状況を見る限り、「中止」の判断は妥当なものだったと私は感じました。
皮肉なことに、大会終了予定時間頃には悪天候のピークは抜け、雨も風も少し弱まり、時折、薄日が射すほど天気は回復傾向でした。会場近くの大分川河川敷では選手10数名が自主的に集まり、合同練習会を開かれていました。河川敷を20~30キロほど往復したそうで、模擬レースのように気持ちのこもった練習ができたようでした。
まだ雲は厚めながら、大会中止を受け、自主練習に励む選手たち。
練習会に参加した一人、洞ノ上浩太選手に声をかけると、「中止は残念だけど、台風だから仕方ない。注意報ならまだしも、警報が出てしまっては。次のレースで頑張ります」と気持ちを切り替えていました。また、優勝3回のエレンスト・ヴァン・ダイク選手(南アフリカ)は、「オーイタは遠方から多くの選手が実力試しに集まってくる大会なので、残念です。でも、安全が第一。来年、また来ます」と話していました。
大会中止を受け、天候回復後に河川敷で行われた自主練習会。先頭はエレンスト・ヴァン・ダイク選手。(撮影:星野恭子)
また、練習会を見学していた山本浩之選手は昨年、10大会ぶりの日本人優勝を果たし、今年は大会連覇がかかっていました。偉業挑戦の機会が来年に持ち越しとなった心境を尋ねると、「大会に向けて練習してきたので、走りたい気持ちはある。天候が回復し、『開催できたかも』という声もあるが、それは結果論。中止という判断がされたから、こうして何の事故も起きなかった。大会には選手だけでなく、ボランティアも含め大勢の人が関わっている。そういう人たちの安全も大事。来年は多くの人に感謝しつつ、“2年越しの連覇”に挑みます」と力強く語ってくれました。
河川敷の練習会を見学中の前回覇者、山本浩之選手。来年、2年越しの連覇に挑戦!(撮影:星野恭子)
よく見ると、対岸にも車いすランナーたちの姿が確認できました。きっと皆、体がウズウズしていたのでしょう。山本選手が言うように、何事もなかったからこそ、「残念」と思えるのだし、走るチャンスも残っています。もし、事故やアクシデントが起こっていたら、伝統あるオーイタ大会の存続さえ危ぶまれる事態になっていたかもしれません。
出場3回目で選手宣誓の大役を務めた、鈴木朋樹選手。「応援してくれる全ての人に勇気と感動を与えられるよう、秋の大分の街並みを力いっぱい走り抜けます」は、来年に期待!(撮影:星野恭子)
オーイタは、車いすマラソンの世界記録が、男子(1時間20分14秒)、女子(1時間38分7秒)とも誕生している権威あるコースでもあります。選手にもボランティアにも、ファンや市民の皆さんにも、来年また開催できるチャンスがあることを喜び、大きな目標としてもらいたいです。私も、2年分の熱戦を楽しみに、来年また大分に飛びたいと思います!
(文・写真:星野恭子)