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「星野恭子のパラスポーツ・ピックアップ」(189) 世界パラ陸上選手権、日本のメダルは16個! 2020年東京パラへ、ロンドンから学ぶこと

7月14日からロンドンで開かれていた、世界パラ陸上競技選手権大会が23日、閉幕しました。2年に一度の世界王者決定戦で、約90の国と地域から1150人以上の選手が集い、10日にわたる熱戦を繰り広げました。

世界パラ陸上競技選手権大会3日目の、ロンドンスタジアムの様子/写真提供: ロンドン2017組織委員会

パラリンピックの翌年ではありましたが、世界記録更新は約30、大会新記録は100以上、またアジア記録などエリア記録も100を超えるなど、あいかわらず競技力向上を感じさせる大会でした。

日本代表は50人(身体障害男子21名、女子18名、知的障害男子7名、女子4名)が出場し、過去最多となる、メダル16個(金2、銀5、銅9)を獲得。前回ドーハ大会(15年)の9個、前々回フランス・リヨン大会(13年)の10個を上回る躍進を見せました。

金2個は、リオパラリンピックでの銀2個で悔しい思いをした佐藤友祈選手(車いす)が400mと1500mでリオ金メダリストとの直接対決を制して獲得。走り幅跳びで3連覇を狙った山本篤選手(左大腿義足)が惜しくも銀、リオ銅メダリストの辻沙絵選手(上肢障害)らが銅獲得と期待に応えました。

心強いのは、「世界大会初メダル」を手にした選手も多かったことです。記録的には、世界トップとの差はまだ少し大きいという選手もいますし、また、パラリンピック翌年の大会なので、休養中の世界上位選手もいました。したがって、今回の順位がそのまま世界での位置とはいえないケースもありえます。それでも、「世界選手権のメダルを手にした」という事実は大きな自信となるはずです。

実際、リオでは走り幅跳び4位(3m68)と悔しい思いをした前川楓選手(右大腿義足)、走り高跳び4位の鈴木徹選手(右下腿義足)今大会ではそれぞれ銀(3m79)、銅メダル(2m01)を獲得。まずはホッとした表情を見せ、さらなる飛躍を誓っていました。

20代の若手では、400mを日本新(1分8秒32)で銀メダルを手にした高松佑圭選手(脳性まひ)や三段跳び銅メダル(13m58)の芦田創選手(上肢障害)選手らが初のメダルを手にし、充実の表情を見せました。同時に、世界との差を肌で感じたことは課題克服への足がかりにもなるはず。今大会は2020年東京パラリンピックへの第1歩。ここで得た手ごたえと課題を次につなげてほしいと思います。

もう一つ、今大会は、パラリンピック以外のパラスポーツ大会として、エポックメーキングであり、大きな成功を見た大会となりました。主催者発表によれば、チケット売上枚数は約30万5000枚。これは、過去パラリンピック大会以外のパラスポーツ大会で販売された有料チケットの総計を大きく上回る数字だそうです。チケット代金は大人10ポンドから45ポンドでしたが、一日2万人から3万人がスタジアムに訪れたことになります。

障害のあるパラアスリートの姿から、子どもたちはいろいろ学ぶことが多いはずだとの考え方で、今回も学校単位で招待チケットが配布されたこともあり、期間中10万人以上の子どもたちが観戦に訪れていました。

イギリス全土から子どもたちが来場/写真提供: ロンドン2017組織委員会

実際、観客席はかなり埋まっていて、選手たちに大声援を送っていました。ロンドンの観客はパラスポーツの観戦マナーも心得ていて、視覚障害者の種目ではシーンと見守り、選手のパフォーマンスを後押しました。

また、イギリスチームは総計39個でメダルランキング3位に入るなど大活躍を見せましたが、ロンドンの観客は自国選手だけでなく、どの選手にも温かく、また、世界トップ選手の名前もよく知っています。スタート前には静寂を保ったり、跳躍種目では手拍子で応援したり、など、「陸上を知っている」観客がほとんど。選手たちも口々に、「競技に集中しやすかった」「手拍子にのせられ、気分良く記録更新できた」など好評でした。

会場となった「ロンドンスタジアム」は5年前に、ロンドンパラリンピックが開催された舞台です。パラリピック史上に残る大成功を収め、新たなパラリンピックのスタンダードとなったロンドン大会の、「レガシー」を今大会に強く感じました。

メインスタジアムとサブトラックはわずか数10メートルの距離に並び、あらゆる設備は過不足なく、運営もスムーズでした。

今大会は初めて、パラ陸上といわゆる健常者の陸上競技の世界選手権(8月4日~13日)が同じ夏に同じ都市で開催されるということで、組織委員会も合同です。そのため、ボランティアも同時に募集がされ、15000人以上の応募者から面接などを経て選抜された4500人が活躍。うち250人は何らかの障害があったり、出身も24カ国と多彩で、65言語にも対応できる精鋭たちだったそうです。2012年大会でのボランティア経験者も少なくなく、こうした「マンパワー」にもレガシーを感じました。

とはいえ、やはり、ロンドンも2012年大会開催前は、パラスポーツの人気はおろか、認知度もかなり低かったそうで、「2020年までまだ3年。日本にもきっとできる」という言葉をいろいろな部署の方から言われましたが、さてどうなることやら・・・。

他にも、いろいろ面白い取り組みがあったのですが、この原稿を書いている段階では、大会が閉幕してまだ数時間。もう少し落ち着いてから改めて振り返りたいと思います。そして、今回ロンドンで見聞きしたことを、2020年の会場満員化に向け、少しでも役立てていけたらと思っています。

(文:星野恭子)