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小林 至

小林 至 :江戸川大学教授

小林圭(こばやしけい)《生年月日/ 出身地》1968年1月30日/神奈川県。1992年に千葉ロッテマリーンズからドラフト8位指名を受け入団。東京大学史上3人目のプロ野球選手となるもプロ2年間で1軍登板はなく、1993年に自由契約となり現役引退。翌年から2000年まで渡米。コロンビア大学経営大学院でMBA(経営学修士号)取得。その後フロリダ州のテレビ局(ゴルフチャンネル)に就職。

通訳、翻訳、解説などに従事。2005年、著書「合併、売却、新規参入。たかが…されどプロ野球!」の取材の縁で渡邉恒雄氏(読売新聞主筆)から孫正義氏に紹介があり、福岡ソフトバンクホークス取締役に就任。パ・リーグ6球団の事業会社(PLM)の初代執行役員や、NPB12球団共同事業のプロジェクトチームでは座長を務め、侍ジャパンや事業会社構想などの提案書をオーナー会議で提出。

2010年からは王貞治球団会長指導のもと、フロント実務の責任者としてチームづくりに携わる。他球団の主力や外国人選手を積極的に補強、さらに信賞必罰の年棒制度や、球界初となる三軍制の導入するなど、刺激的な活性策を講じる。
2014年、日本一を奪回できたこと、勤続10年という節目になることから福岡ソフトバンクホークスを退任。2016年に経済産業省、国土交通省、スポーツ庁が主宰する「スタジアム・アリーナ推進官民連携協議会」の幹事選出。
1986年神奈川県立多摩高等学校卒業、1987年東京大学経済学部文科Ⅱ類入学、1992年東京大学経済学部経営学科卒業、1995年コロンビア大学大学院経営学修士課程入学、1997年コロンビア大学大学院経営学修士課程修了MBA(経営学修士号)取得。

職歴

1992年千葉ロッテマリーンズ入団、1993年千葉ロッテマリーンズ退団、1996年The Golf Channel(フロリダ州・オーランド) 入社、同時通訳者、翻訳者、コメンテーター、2000年The Golf Channel 退社、2002年江戸川大学社会学部助教授(~2006年3月31日)、担当講義:経営学、スポーツ経済学、経営統計学、ゼミナール、海外経営研修、2005年福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役(~2011年12月31日)、2005年福岡ソフトバンクホークスマーケティング株式会社取締役(~2014年2月28日)、2006年江戸川大学社会学部教授(現在に至る)、2008年サイバー大学客員教授(現在に至る)、2012年福岡ソフトバンクホークス株式会社海外兼中長期戦略担当部長(~2014年2月28日)、2014年福岡ソフトバンクホークス株式会社執行役員球団統括本部副本部長(~2014年12月31日)、2015年福岡ソフトバンクホークス株式会社顧問(現在に至る)、2016年スポーツ庁スタジアム・アリーナ推進官民連携協議会幹事選出。

学会および社会活動

2002年競輪自治体懇談会委員(~2002年12月31日)、2002年国際安全保障学会(~2011年3月31日)、2003年日本スポーツ産業学会(現在に至る)、2003年NPO一橋総研(現在に至る)、2003年北米スポーツマネジメント学会(現在に至る)、(MASSM:North American Society for Sport Management)、2006年福岡五輪招致アドバイザー(~2006年8月31日)、2006年モバイル放送番組審議委員(~2009年3月31日)、2007年東京都スポーツ振興審議会委員(~2009年12月31日)

著書

「僕の落第野球人生」(NHK出版・1994年)、「僕はアメリカに幻滅した」(太陽企画出版・2000年)、「不幸に気づかないアメリカ人幸せに気づかない日本人」(ドリームクエスト・2002年)、「プロ野球ビジネスのしくみ」(宝島社新書・2002年)、「アメリカ人はバカなのか」(幻冬舎文庫・2003年)、「アメリカの傲慢スタンダードに飲み込まれる日本」(オーエス出版・2003年)、「合併・売却・新規参入。たかが・・・されどプロ野球」(宝島社・2004年)

学術論文

「スポーツ球団と地域経済との正しいありかたを築くために」、「産業としての日本のプロ野球とマネジメント」

主な口頭発表(特別講義を含む)

「幸せに気づかない日本人」、「現代アメリカ社会の偽らざる姿」、「日米スポーツビジネスを探る」

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