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石原信雄氏が死去 歴代最多の7内閣で官房副長官

歴史の証人が世を去りました。
竹下内閣から村山内閣まで七つの内閣でおよそ7年3カ月にわたって事務方トップの官房副長官を務めた石原信雄(いしはら・のぶお)さんが1月29日、多臓器不全のため死去しました。96歳でした。
石原さんは群馬県出身で、1952年、当時の地方自治庁に入り、旧自治省で事務次官を務めた後、1987年11月に発足した竹下内閣から宮沢内閣、村山内閣まで7つの内閣で官房副長官を務めました。
1989年の昭和天皇の崩御の際は、体操の礼を取り仕切りました。
事務の官房副長官として支えた内閣の数は歴代最多となります。
1995年4月の東京都知事選挙に立候補しましたが、青島幸男(あおしまゆきお)さんに破れました。