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オバマのAU(アフリカ連合)本部訪問 最後のアフリカ植民地解放がクライマックス! (平田伊都子)

アフリカ・アメリカ大統領オバマが第二の故郷ケニヤを7月末に訪問するそうです。 そして、エチオピアのアジスアベバにあるAUアフリカ連合本部を訪れ、旅を締めくくります。

 

 AUにはアフリカでモロッコだけがAUを馬鹿にして、加盟していません。 西サハラはAU正式加盟国です。 西サハラはモロッコの植民地支配下にあり、国連をはじめ国際社会からアフリカの<ラストコロニー>と規定されています。 6月15日、16日のAUアフリカ連合首脳会議では、<ラストコロニー西サハラの脱植民地化を促進させること>が決議されました。

 

 アルジェリアにある西サハラ難民キャンプは色めきたってます。 西サハラ難民政府はオバマへの直訴を準備中です。ラマダンなんてやってる場合じゃな~い! 40年待ち続けていた<国連西サハラ住民投票>実現につなげましょう、、AUはオバマ・アフリカ会議にUN事務総長も招待しています。

 

UN とUSに物申せるまで力をつけてきたAUを覗いてみましょう、、

 

 

(1)   オバマのレガシー(遺産)創り:

 このところオバマ・アフリカ・アメリカ大統領は、レガシー(遺産)創りに忙しい。 戦争とか紛争とかの<負の遺産>ではなく、弁護士で人権活動家に相応しい、融和と平和ムードで残り任期を全うしたいようだ。 平和を渇望する世界市民にとって、誠に歓迎すべき企画である。

 

2015年6月19日、ホワイトハウスの恒例記者会見でジョシュ・アーネスト報道官が、「7月下旬に大統領はアフリカのケニヤに里帰りする。 そして、エチオピアのアジスアベバにあるAUアフリカ連合本部を訪れ、AUアフリカ連合参加国代表やAUアフリカ連合職員と<アフリカの現状と未来>について討議する」と、発表した。 勿論、アメリカ大統領がAUアフリカ連合本部を訪問するのは、初めてのことである。 アフリカの脱植民地化を進めているAUアフリカ連合とアルジェリアの働きかけが功を奏したと、国際世論は拍手した。

 

6月23日、アルジェリアの首都アルジェで、ブラヒム・ガリ駐アルジェリア西サハラ大使は、「パン・ギムーン国連事務総長が近々に西サハラ紛争地域を訪れる。 国連は西サハラ住民投票の具体的な日時を公表すべきだ。」と、記者会見で国連に注文をつけた。 6月13日に、スザンナ・マルコッラ事務総長室長が西サハラ難民キャンプの下見に行った。 オバマとパンはアジスアベバのAU本部で、デートするつもりらしい。

 

6月23日、ホワイトハウスの報道官が、「過激派からアメリカの人質釈放に関して、その家族に身代金を要求してきたら、支払っても罪に問わない。 アメリカ政府は過激派と交渉することも厭わないが、過激派との対決姿勢は崩さない」と、発表した。 6月24日にはオバマ自ら、人質救出作戦の180度転換を発表した。 未だにアメリカは海外で、30人以上の人質を取られている。 心優しいオバマ・アフリカ・アメリカ大統領としては、人質を家族の元に帰すことを優先させたかったようだ。 <ラストコロニー解放>もオバマの優しさにかかっている。

 

 

(2)   AUアフリカ連合を創ったのは誰だ?:

AUアフリカ連合の前身はOAU(アフリカ統一機構)で、1963年5月25日、アフリカ諸国の独立を支援し、連帯を強めて旧植民地主義と冷戦による新植民地主義に対応するために創設された。

 

OAU提唱者はエチオピア皇帝ハイレ・セラシエとギニア大統領セク・トゥーレで、エチオピアの首都アジスアベバに本拠を置いた。 当時のアフリカ独立国33か国のうち、30か国がOAUに加盟した。

 

 1982年にOAUが、西サハラ難民政府が創ったRASD(サハラ・アラブ・民主共和国)を正式加盟国に承認したことに反発して、モロッコは1984年にOAUから脱退した。 そして、モロッコは脱退のまま、現在に至っている。

 

 1999年9月9日、生まれ故郷シルトでのカダフィは、得意の絶頂にあった。 約50人のアフリカ首脳陣を前に、「ワーヒダ.アフリキーヤ!(アフリカは一つ)」と拳を振り上げ連呼した。首都トリポリでの軍事行進では、「リビア軍はアフリカ人民のためにある!」と、檄を飛ばした。 行進にはリビア兵に混じってアフリカ傭兵の姿もあった。 筆者は15日間、アフリカ諸国のプレスと一緒に取材をしたが、アフリカ取材陣のお目当てはカダフィがくれるお小遣いで、「アフリカは一つ」の気運は乏しかった。 ある国の新聞記者は「まるで監獄だ」と本国に送信し、それがリビア情報省にばれて「金を返すか、記事を書き直すか」と、迫られた。その記者は金の方を取った。

 

 カダフィはアラブの盟主になろうとしてアラブ連盟からそっぽを向かれ、北アフリカ.マグレブの盟主になろうとして北アフリカ諸国から馬鹿にされ、やっと、資金援助の代償でブラック.アフリカ諸国の喝采を浴びることができた。 2002年7月9日には、OAUを発展させて、カダフィ念願のAUアフリカ連合を創った。

 

 

(3)モロッコだけがAUアフリカ連合に不参加:

 その後のカダフィは国連経済制裁に屈して欧米の言うがままに<反テロ有志連合>に名を連ねた。 が、国連総会で国連憲章と思しき本を投げつけ国連を侮辱すると、再び欧米の狂犬にされた。 終に、2011年10月20日、当時のアメリカ国務長官が下した命令によって、故郷シルトで惨殺された。

 

 広いアフリカ大陸で、ただ一国、モロッコだけがAUアフリカ連合に加盟していない。 モロッコの言い分は、「モロッコは、資金不足のために、構造的問題に苦しんでいるアフリカ連合を、正直なところ当てにはしていなかった。実際、75%の予算を拠出しているのは、南アフリカ、エジプト、アルジェリア、リビア(旧)、ナイジェリアの五か国で、残りのアフリカ諸国は割り当て金を支払っていなかった、、(サデイル・ムサーウィ、<西サハラをめぐる紛争と新たな文脈>より)」と、未だに一国だけ、AUアフリカ連合に入っていない。

 

モロッコはAUアフリカ連合を馬鹿にし、UN国際連合を無視しようとしている。 が、カダフィが受けたような、国連制裁にビクついているのも事実だ。 昨年、クリストファー・ロス国連事務総長個人特使の西サハラ地域視察を妨害した後、「モロッコの行動を国連安保理に報告するつもりか?まさか国連安保理制裁を招くようなことはしないよな!」と、ロス個人特使に牽制球を投げている。 ロス個人特使は、「私は国連安保理と事務総長の下で働く仲介者だ」と、明確な立場をモロッコに示した。

 

 さて、AUアフリカ連合のアジスアベバに翻るAU旗は誰が創ったのでしょうか?

 

アメリカが殺したカダフィです。 その旗の下でオバマは、アフリカ・アメリカ大統領としてのクライマックスを繰り広げようとしています。 アメリカではサウスカロライナ州チャールストン虐殺事件をきっかけに、人種差別の象徴である南軍旗を降ろすの降ろさないのと問題になっています。

 

大見得を切る前に、オバマ・アフリカ・アメリカ大統領殿、アフリカの空に翻るAU旗に哀悼と敬意を表してください。

 

 

文:平田伊都子 ジャーナリス、 写真:川名生十