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インド・グジャラート州を巡る旅 ①〜マハトマ・ガンディーの面影を求めて〜 (東海林美紀)

インド西海岸に面するグジャラート州。インドの中でもとりわけ日本企業の進出が顕著で、産業育成に積極的な州だ。グジャラートはナレンドラ・モディ首相の出身地であり、インド首相になる前の2001年から2014年にかけてグジャラート州首相を3期務めながら、インフラ整備や世界的企業の投資の呼び込みを進めて高い経済成長を遂げている。工業化が進み、ビジネスの分野で熱い注目を集めている州だが、観光地としてもユニークな場所で見所が多い。

 

日本からグジャラート州へ行く場合、直行便はないのでデリーを経由して入ることになる。グジャラート州最大の都市アーメダバードは、1411年にグジャラートのスルタンであったアーメド・シャー1世によって建設された。その後、アクバル大帝に征服されてムガール帝国の統治下になり、イギリスの植民地支配下時代には綿織物工業が発展したことから「インドのマンチェスター」と呼ばれていた。また、グジャラート州はインドで最も交通の便のよい州のひとつといわれ、インドのほとんどの州都と鉄道で結ばれており、高速道路を含む幹線道路も整備されている。

 

グジャラート州は、インド独立の父として知られるマハトマ・ガンディーの出身地でもある。1869年10月2日にポールバンダルで生まれたガンディーは、父のカラムチャンド・ガンディーが中部サウラシュトラ州の総理大臣を務めるためにラジコットへ移り住んだ。ラジコットでガンディーは1881年からアルフレッド高校に通い、その2年後に結婚。1921年には織物を含む手工芸員を復興させるための協会、ラシトリヤ・シャラを設立した。

 

 

その後、アーメダバードで大学に進み、しばらく海外で学ぶ為にインドを離れた後に再びグジャラートに戻り、自由、不可色選民の根絶、労働の尊厳、全ての宗教を尊重する思想の浸透、何事にも恐れない精神の構築、そして自国製品の推奨を行うための活動の拠点として、アーメダバードを選んだ。サバルマティ川沿いにあるガンディー・アシュラム(修道所)はガンディーが活動拠点としていた場所で、現在は博物館になっている。

 

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ガンディー・アシュラムの設計を行ったのは、インド独特の宇宙観に基づいた設計とインドの気候や文化に適した建築を行ったことで世界的に評価の高い、インドを代表する建築家のチャールズ・コレアだ。アシュラムの敷地の中に入るとサバルマティ川から吹く風が心地よく、木々の緑が美しい。博物館には、ガンディーが生前受け取った手紙や写真などが展示され、彼が生涯にわたって行った活動がまとめられている。

 

 

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実際にガンディーが使っていた糸を紡ぐ車や、寝起きしていた部屋も公開されている。インド国内からの見学者の姿も多い。

 

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ガンディーは1930年3月12日に「塩の行進」を行ったが、このアシュラムはそのスタート地点となったことでも有名である。塩の生産の独占権を英国に与えるという法令の不公平に抗議するために始まった行進は、沿岸地点へ向かって彼が進むにつれ、支持者の集団は膨らみ続けた。このアーメダバードからダンディまでの抗議行進はインドにおける英国支配に最大のダメージを与えたと言われている。現在でもグジャラート州は塩の採取地としても知られている。

 

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偉大なる魂を意味する「マハトマ」は、インドの詩聖ダゴールがガンディーに贈った称号だ。世界がマハトマと呼び、愛したガンディーは今でもその精神が引き継がれ、街中でも彼の面影を感じることができる。

 

(続く)

 

〈文・写真:東海林美紀〉