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重い精神疾患に苦しみ、一時生活保護を受ける苦難の末「ゲームの理論」でノーベル経済学賞受賞の数学者・経済学者ジョン・ナッシュJohn Forbes Nash博士交通事故で死去(86歳)(大貫康雄)

ナッシュ博士は、プリンストン大学大学院応募の際の推薦文に大学の恩師が「この人物は天才だ」としか書かなかったとの逸話がある。

 

ノーベル経済学賞の授賞理由となったのが若きナッシュ博士らの「ゲームの理論」。博士らは、多くの者が関わる紛争・対立に関する研究から、相互に利得のある経済行動、駆け引きのメカニズムにまで広げて理論化したと言われる。

 

(筆者が正確に詳述するのは不可能だが、)本業の数学の分野でも、難問を解決するなどめざましい貢献をしたと評価されている。

 

博士の生涯は有為転変の人生だった。

29歳にしてMITの教授(終身職tenure)に就任するも束の間、30歳の時、偏執狂型精神分裂症(統合失調症ともいわれる)に襲われ、31歳でMITでの職を失う。

絶頂からいきなりどん底に突き落とされたような、なす術がない転落。

 

一時アメリカ・ヨーロッパを放浪後、徐々に回復。32歳でプリンストン大学に復帰するが、その後も精神科への入退院を繰り返す。

学界からも忘れられ、生活保護で暮らす期間もあった。

この間アリシア夫人は一時離婚、一人の同居者となりながらも終始ナッシュ博士を支えたと、いう。

 

22歳の時のゲームの理論が評価され94年、2人の学者と共にノーベル経済学賞を受賞するが、この賞金で生活困難な状態から脱したとも言われる。

 

博士自身は、自分は数学者でありノーベル経済学賞はそれほど大事な賞とは思っていなかったとも述べている。

 

ナッシュ博士の死去は突然だった。

今年5月23日アリシア夫人と共に乗ったタクシーの事故で夫人と共に死去。

博士が最も研究に没頭した、その数学界最高の賞、数学界のノーベル賞とも言われるアーベルAbel賞を受賞。

5月19日授賞式のためノルウェー・オスロを訪れ帰国した直後だった。

博士が数学界、経済学界で画期的な業績を挙げたのは若い10年ほどの間、世界に評価されるのはその何年も後のことだった。

 

日本では、映画「ビューティフル・マインドbeautiful mind」のモデルとして知る人も多い。

 

 

(文:大貫康雄、写真:By Economicforum (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons)