自主避難者から住まいを奪うな~住宅無償提供打ち切り報道で広がる怒りと危機感(鈴木博喜)
福島第一原発事故による被曝の危険から逃れようと福島県外に避難・移住した「自主避難者」が追い詰められている。一年ごとに延長されてきた住宅の無償提供が、2017年3月末で打ち切られると朝日新聞が報じたためだ。〝兵糧攻め〟によって汚染地への帰還を促そうとする国の思惑が透けて見えるだけに、全国の自主避難者たちは、住宅の無償提供延長を求める声を日に日に強めている。内堀雅雄福島県知事は今こそ、自主避難者たちの声に耳を傾けるべきだ。
【県職員は「何も決まっていない」】
「悔しくて腹が立って、泣いてしまいました」
福島市から娘を連れて京都府に避難した40代の母親は振り返る。今月17日の朝日新聞は、福島県外へ自主避難した人々に対する住宅無償提供を、福島県が2017年3月末をもって打ち切る方針を固めたと一面トップで報じた。穏やかな日曜日は一転、全国の自主避難者たちに衝撃が走った。彼女もその一人だった。
「馬鹿にするにも程があります。以前、復興庁の担当者は『福島県からの要請があれば、住宅の無償提供は延長できる。あくまで福島県次第だ』と話していたのに…。結局は、国も福島県も避難者を帰還させたい。余計なお金なんてビタ一文払いたくないのでしょうね」
この記事が出る2日前、京都に自主避難している人たちが福島県庁を訪れ、住宅無償提供の延長を要請した。賛同の署名は4万を超えた。だが、対応した県職員の歯切れは悪かったという。「こちらが何を言っても『国と協議中』の一点張りだったそうです」。そして翌日、福島県庁に電話をかけた母親に対し、県職員はやはり、明言を避けた。「終了とか延長とか、まだ何も決まっていないんです。現在、国と協議中ということでして…」。 原発事故から4年が過ぎ、自民党を中心に「被災者の自立」が急に叫ばれ始めた。「自立という名の切り捨てじゃないですか。『財源は国民負担』と復興庁のホームページにも書いてあるけれど、私も働いていて、わずかな給料の中から所得税も復興税も払っているんですよ。被災者だって税金払っているんですから。本当にはらわたが煮えくり返ります」。母親の怒りはもっともだ。
やはり福島市を離れ、東京都内で避難生活を続ける30代の母親は、3人のわが子の気持ちを第一に考えている。「国も福島県も福島に戻そうとしているのだろうけれど、子どもたちも環境に慣れたから『友達とは離れたくない』と言っています。未曽有の出来事で逃げてギリギリながらも生活をしてきて、ようやく居場所を見つけた途端に打ち切りで路頭に迷わされるのは、子どもには酷だと思います」と話す。
「こんな状態で、安定した子育てなど出来るでしょうか。子どもたちの未来を考えてくれるのならば、どうか避難者の話に耳を傾けてください」
【繰り返された「1年だけ」の延長】
福島県避難者支援課によると、2014年2月末現在、福島県外で自主避難者に無償提供されている住宅は1万3758戸。例えば民間アパートの場合、避難先の自治体が家主から借り上げ、避難者に無償で貸し付ける。自治体は負担した家賃を福島県に請求。福島県は各自治体に支払った家賃を国に請求する仕組みだ。
初めから長期の住宅支援が約束されていたわけではない。住宅の無償提供期間が5年、10年と長期間で区切られていれば〝自立〟へ向けた生活設計も立てられよう。だが、福島県は毎年、わずか1年間の延長を発表し続けた。
「阪神大震災を機に作られた『特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律』で『一年を超えない範囲で』と明記されている以上、1年ずつしか延長できないのです」(同課職員)。
現行法令が原子力災害での避難を想定していないため、被曝の危険を避けるために県外へ逃げた人たちの住宅も、地震や津波で自宅を失った人々のための「仮設住宅」と同様に扱われた。大規模災害時の仮設住宅は、建築基準法や景観法の特例措置として1年間の使用延長が可能となる。行政マンは愚直に法を遵守し、その結果、避難者たちはいつ終わるともしれぬ住宅支援に一喜一憂させられてきたのだ。
しかも、この制度を利用できているのは2012年12月28日までに申し込んだ避難者のみ。原発事故からわずか1年9カ月で受け付けが終了したため、「政府の避難指示も無いのに勝手に逃げた」として、家賃も含めて全て自己負担を強いられている避難者も少なくない。中通りから関西地方に娘を連れて避難した40代のシングルマザーもその一人。「いま、家賃が本当に重くのしかかっています」と語る。「公営住宅に優先的に入居できるという話もありましたが、実際にはなかなか実現しません。家賃の安い家を探さなくては…。給料のほぼ半分が家賃で消えてしまいますから」。
【「移住先で落ち着きたい」】
「いろいろな選択肢を残すためにできれば住宅の無償提供は打ち切らないで欲しいとは思いますが、避難者一人一人が自立できるようにしないと、結局は苦しいままなのではないでしょうか」。避難ではなく福島での生活を選んだ30代女性は語る。「自立できるまでの時間は人によって異なるので、4年ではまだまだ足りない、決められないという方もいると思います。それぞれに合った自立の方向性を一緒に考えられるようなサポートがあると良いですよね」。帰還ありき、支援打ち切りありきの国の姿勢からは、自主避難者へ寄り添おうとする温かみなど感じられない。 時間をかけてじっくりと─。中通りから岡山県に母子避難した30代の母親も同様の意見だ。「移住せざるを得ないと覚悟して一からのスタート。落ち着くには時間もお金もかかります」。2人のわが子と共に、被災者向けの団地で暮らす。「身寄りも知人もいない土地に移住することを決めることが出来たのは、何より住まいがあったからです」と話す。「母子避難は大変だけど、子どもたちは新しい友達が出来たりして前に進んでいる。何とかここで落ち着きたいです」。
朝日新聞の記事が出た翌日に開かれた内堀雅雄福島県知事の定例記者会見。当然、記者クラブからは質問が相次いだが、ここでも内堀知事は「国と協議中」と繰り返して明言を避けた。「結論ありきということではなくて、しっかりと協議を進めることが今は重要だと考えています」。
避難者支援課が発行している「故郷とあなたをつなぐ情報紙 ふくしまの今が分かる新聞」。今年1月に配られた第27号では、内堀知事が昨年12月に山形県を訪れ、避難者たちと懇談した時の様子が紹介されている。
「それぞれが抱える課題や思いについて率直なご意見をいただきました」
「避難されている方お一人お一人の思いを受け止め、県としてなすべきことは、国、東京電力と対峙してしっかりと対応してまいります」
何とも頼もしい決意表明ではないか。さあ、内堀知事。被曝の危険から逃れようと新天地での生活を選んだ県民のために、今こそ国と対峙する時だ。
〈文・写真:鈴木博喜〉