【50カ月目の福島はいま】「汚染は継続中」~帰村促進・賠償打ち切りへ高まる飯舘村民の怒り(鈴木博喜)
原発事故が過去の話だと誤解していませんか─。16日、神奈川県藤沢市の日大生物資源科学部でシンポジウム「あれから4年 震災・原発災害克服の途を探る」が開かれ、飯舘村からの避難を強いられている村民たちが、国や東電、村への怒りを語った。進む風化、国や福島県、村の帰還政策。そして賠償打ち切り…。人災の責任をだれもとらないまま経過した4年で、残念ながら汚染の解消には至っていない。避難は不要と言われ続けた挙げ句に一方的な帰村促進。飯舘村にとどまらず、汚染地・福島全体に共通した構図と言える。
【「除染で震災前の村には戻らない」】
「ふるさとは二度と戻りません。かつての飯舘村はもう無いんです」
飯舘村から福島市に避難して農家を続けている菅野哲さん(67)は、きっぱりと言った。「原発事故による飯舘村民の悲惨な現状、そしてこれからは」と題したレジメの中で、こう綴っている。
「2011年3月25日:長崎大・高村昇氏の『安全だ安心だ』の講演(約400人)で安全神話の浸透策。避難を求める村民の声に、村は『指示がない』の一辺倒」
「2011年3月31日:京都大の今中先生が村長に避難を提言、村長はこれを拒否⇒命の尊厳を無視」
「原発事故は、全ての夢と希望を、育んできた財産をも一瞬にして奪ってしまったのです」
「福島原発事故はいまだに収束していないし、今後も何年かかるのかも確定していない」
伊藤延由さん(71)は、震災前年の2010年に村に入植。「いいたてふぁーむ」の管理人をする傍ら「農業見習い」として農業に従事してきた。昨年、収穫したというマツタケを手に「笠は1万ベクレルを超えます。村の動植物にはすべて、セシウムが入っている。いつもこう言うと叱られるが、除染で震災前の村には戻りません」と語った。「放射線量は確かに下がりました。よく『下がったね』と言われます。でも、依然として震災前の10~20倍の高さです」。
自身も福島市内の仮設住宅で暮らしているだけに、村民の抱えるストレスがよく分かる。「仮設住宅の取材に来た新聞記者に『東京の安アパートならこんなものですよ』と言われました。ぜいたく言うな、と言わんばかりです。しかし、飯舘村のロケーションを見てください。家と家は離れ、自然豊かな集落です。狭い空間に押し込められたらストレスになるのは当然です」。
「放射能は測れば測るほど分からない」と話す伊藤さん。村は再来年にも避難指示を解除して帰村を促す方針だが「放射線量の低い場所に復興住宅を建てて新しいコミュニティを作る方がいい」と話した。
【「低線量でも長期的な被曝の影響ある」】
シンポジウムを主催したのは「飯舘村放射能エコロジー研究会」。
東北大加齢医学研究所の福本学さん(被災動物線量評価グループ)が牛や猿の被曝調査に関して報告。「放射性物質は胎盤を通って仔牛に移る。しかも濃縮される」、「ヨウ素やセシウムばかりが注目されるが、他の核種にも着目しなければならない」などと話し、「まだ4年。もう少し時間が経たないと被曝の影響は目に見えない。息の長い調査が必要だ」と強調した。
兵庫医科大講師で内科医の振津かつみさんは、いわゆる「被曝者手帳」を交付するよう訴えた。「国の責任で全ての原発事故被害者に『健康手帳』を交付し、広島や長崎の『被曝者援護法』(原子爆弾被曝者に対する援護に関する法律)に準じた、法的根拠のある支援策を行う。これは今すぐにでもやるべきです」。さらに、どんなに低線量であっても長期的な被曝の影響はあるとして「ガンや白血病だけでなく他の病気も調べて欲しい。原発事故の影響でないとは言い切れません」と語った。
京大原子炉実験所の今中哲二助教は、事故後のチェルノブイリに何度も足を運んだ経験もふまえ「原発事故と健康被害の因果関係がはっきりするのを待っていたら間に合わない。行政は、原発事故の影響であるというアプローチをするべきだ。縮小するどころか、日本全体の健康調査をするべき」と話した。「汚染が無いなら、なぜ、余計に不安をあおるような除染をするのか。汚染は風評ではなく実害です」。
日大生物資源科学部教授で環境建築家の糸永浩司さんは、飯舘村の宅内線量を調査した。「除染するのとしないのとではケタ違い。効果はあると言える」としながらも、除染済みにもかかわらず深さ5㎝までの土壌で1万ベクレルを超す個所があったことについて言及。「15㎝くらいまで土壌を取り除けば大幅に線量が下がる。しかし、森に近い部屋では宅内線量も高く、何回も除染を行わないと1mSv/年にはならない」と述べた。「もう大丈夫、人が住める、という状況ではない」とも話した。
福島県内では、農林業系放射性廃棄物を燃やして減容する事業が進められている。「放射能汚染ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会」アドバイザーの藤原寿和さん(千葉県放射性廃棄物を考える住民連絡会事務局長)が「稼働済みのものも含め、福島県内では19市町村で24基の仮設焼却炉設置が計画され、その費用は5000億円を超える。初めから焼却ありきの世界でも例のない実証実験だ」、「飯舘村蕨平に予定されている焼却炉は大変規模が大きい。環境アセスメントの適用が除外されており、廃棄物の量も過大に見積もられている」と問題点を指摘した。排気ガス中の放射性セシウムについて、環境省は「バグフィルターで99.9%取り除ける」との姿勢を崩していない。
【進む風化と帰村・賠償打ち切り】
飯舘村から伊達市に避難中の長谷川健一さんは、集団ADR「原発被害糾弾飯舘村民救済申立団」の団長を務め、3020人の先頭に立って東電と闘っている。スローガンには「償え」という意味の「まやえ」を採用した。
「講演会に呼ばれる回数が少なくなってきた。福島から遠くの街では『福島の事故って、もう終わったんじゃないか』と言われることさえある」
風化を肌で実感するなか、「村民はおとなしすぎる。原発事故を過去形にしてはいけない。あの時、村で何が起きたのかはっきりさせなければ」と集団申し立てに奔走した。当初は酪農仲間でもあった菅野典雄村長にADRを進言したが断られたという。「村ではやらないが、村民のADRには口を出さないという話だった。それなのに、村民からのADRに応じないよう裏で東電に緊急要望書を提出した。目を疑うような動きだった。国ベッタリの村役場の脅威になるように声をあげていきたい」
最近、「被災者の自立」を合言葉に帰還や賠償金の打ち切りの動きが加速している。〝原発長者〟なる言葉が口にされ、原発事故の被害者が賠償金で優雅な生活を送っているとの誤解も少なくない。
長谷川さんは言う。
「親父がクワ一本で苦労して開拓した土地。俺だって帰りたいし、いつかは避難指示が解除される。しかし、生活の保障も何も整わないまま放り出され、若者のいない年寄りだらけの村に戻ってどうやって生活しろと言うのか。元の生活を回復できる人がどれだけいるか」
シンポジウムは、今中助教のこんな言葉で締めくくられた。
「日本は民主主義の危機に瀕している。原発事故は人災だ。もっと怒らなきゃアカン。責任ある人間をしかるべき場所に引っ張り出そう」
(鈴木博喜)