独・イスラエル国交樹立50年、不信と謝罪、賠償と協力を経、率直にモノ言える関係に(大貫康雄)
イスラエルのリヴリン(Reuven Rivlin)大統領が5月11日から13日にかけ3日間のドイツ公式訪問を終えた。両国の国交樹立50年記念の訪問でドイツ側はガウク大統領、メルケル首相、ランメァト連邦議会議長がそれぞれ個別に会談。ベルリン・フィルは記念演奏会でリヴリン大統領を迎えた。
戦後、分断国家として出発した西ドイツは新しく建国されたイスラエルに対し、既に強制収容所の生存者とイスラエル(国家)への賠償の支払いを始めたが、ユダヤ人の間にはホロコーストの長本人ドイツに依然として警戒と不信の念が強かった。
50年後の今、ドイツはアメリカと共にイスラエルの強い同盟国となり、イスラエルとの間には政治・経済、外交・安全保障、文化交流、貿易で多角的な交流を推進する「特別な関係」を築いている。その一方で両国は、パレスチナ和平やイスラエルの核兵器保有問題などで対立。双方が率直、大っぴらに反対意見を言い合いながらも、多角的交流が堅持される“揺るがぬ関係”にもなっている。
冷たい雰囲気が支配する当時の状況を考えると隔世の感がある。
*)リヴリン大統領の訪問3日目はシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のキールを訪問。州首相との会談の後、地元の造船所を訪れた。この造船所ではイスラエル向けの潜水艦が建造され、これからイスラエル向けに4隻の軍用艦船が建造される。
国是として紛争当事国への武器輸出を禁じる一方で、パレスチナ和平を推進しないイスラエルへの武器輸出は潜水艦、地対空ミサイル、艦船、戦車など多岐にわたりドイツ国内で再三問題になっている。
メルケル首相は学生との対話で、“ドイツはナチスによる600万人のユダヤ人虐殺の歴史に責任がある”としてイスラエルの安全保障のための武器輸出に理解を求めている。
*)ドイツとイスラエルの国交樹立は1965年5月12日だが、それより13年前の1952年のいわゆる「ルクセンブルク合意」に基づき、ナチス強制収容所の生存者やイスラエルに対し賠償金の支払いを開始していた。
この合意で、同時に鉄道・道路網などインフラ整備の支援を進めていく。
*)ルクセンブルク合意の後、幾つかの問題が起きるが、西ドイツはイスラエルにとって欠かせない存在となっていくのが判る。幾つかの問題を挙げておく。
1) 1960年3月14日、西ドイツ初代首相アデナウ
アーKonrad Adenauerとイスラエル初代大統領ベン・グリオンDavid Ben-Gurionがニューヨークで初めて会談。
張り詰めた会談の後、西ドイツはイスラエルに総額1億ドルの融資を決めるが、ベン・グリオンは帰国後内外のユダヤ人から激しい非難を受ける。
2)西ドイツとの関係は着実に発展、イスラエル政府関係者には、西ドイツとの正式な外交関係を確立したい意志が強まって行く。
逆に西ドイツのエアハルト首相は通商・貿易量が大きいアラブ諸国との関係を考慮、国交樹立には消極的だった。
アラブ諸国は、西ドイツがイスラエルと国交を樹立すれば、関係を断絶すると示唆していた。
それを変えたのが、1965年2月、東ドイツの最高指導者ウルブリヒト第一書記のエジプト公式訪問だった。ウルブリヒトはエジプトのナセル大統領の国賓としてエジプトを訪問、この場で西ドイツによるイスラエルへの武器供与が明らかにされる。
3)これを気に西ドイツ国内だけでなく、アメリカのユダヤ人社会などからもイスラエルとの早期国交樹立を求める声が強まる。
エアハルト首相は決断を迫られ1965年5月12日国交樹立に踏み切るが、その後も当初はトラブル続き。
西ドイツの初代イスラエル駐在大使パウルスRolf Paulsが旧国防軍将校だったため、イスラエルでは「帰れ!」の抗議で迎えられる。また次席大使はハンガリー系の旧ファシスト活動家、エアハルト政権の失策が続く。
(アデナウアーが嘆いたように、当時の西ドイツ政府官僚の大半はナチズムに染まっていた)
4)1990年ドイツ統一の際は、一段と強くなったドイツが再び同じ過去の道を歩むのではないか、と懸念する声がイスラエル国内で強まる。
勿論、そのようなことは無かったのだが、それ程にナチスの影は大きく、ドイツに対する警戒の念や嫌悪の情を抱くユダヤ人が依然としている。
2008年メルケル首相がドイツ首相として初めてイスラエル国会(クネセト)で演説した際は5人の議員が、メルケル首相がイスラエル国会内でドイツ語で演説した、と抗議し議場を退出している。
*)現在のドイツ・イスラエル関係はこうした事件が信じられない程だ。
ドイツが支払った強制収容の犠牲者、生存者への賠償金の額は2007年までに250億ユーロ(凡そ3兆4000億円)と言われる。
それ以外インフラ充実支援の融資、武器供与も巨額に上る。イスラエルにとってドイツはヨーロッパ最大の貿易相手国。アメリカに次ぐ、武器供与国。イスラエルの安全保障にとって欠かせない同盟国となっている。
歴史教育、文化面での交流も無視できない。
両国学生、生徒がアウシュヴィッツなど強制収容所を訪れナチスの残虐行為の過去を学ぶ企画も途絶えることが無い。
2013年にはホロコーストの歴史教育を更に充実させることでドイツの全16の州政府が合意している。
自治体間の姉妹都市提携や青少年の相互交流事業も盛んに行われている。
*)国交樹立50年、確かにドイツ・イスラエル関係は堅固で友好関係は変わらないが、“現在両国関係は最低”だ、との指摘がある。
原因はイスラエルの核兵器保有問題とパレスチナ和平を巡る意見の対立。
イスラエルは自国の安全保障の最後の手段として核兵器保有は譲れない。一方ドイツはイスラエルが核兵器に依存せずに安全保障を確かにするために武器を供与する、との方針。
ドイツはイスラエル、特にネタニヤフ政権の入植地拡大政策を常に批判するが、ネタニヤフ政権は一切無視。
今回のリヴリン大統領のドイツ訪問でもドイツ側がパレスチナ和平推進に、イスラエルによるパレスチナ国家の承認を求めた。
これに対しリヴリン大統領はパレスチナ国家樹立を認めず、パレスチナ人を取りこんだ一国家の政策を変えて無い。
ドイツ国内には他のヨーロッパ諸国と同様、パレスチナ人の基本的権利が損なわれている現状は国際法違反であり、人道に反する犯罪だと見る世論が強まる一方だ。
世論調査で、イスラエルに好感を持つ国民は今や10%以下と言われるまでに低下している。
ユダヤ人に対するナチスの残虐な過去を反省・謝罪し、民主化と人権尊重を基本的な価値観とするドイツであればこそ、今のイスラエルによるパレスチナ人の権利無視の政策に目をつぶることは出来ない。
両国の報道を調べる限り、両国首脳や議会関係者の意見は明白に対立する場合が頻繁に起きている。双方とも意見の対立を隠さない。
国交樹立50年、両国間の基本的な信頼が揺るぐことは無いが、パレスチナ問題などでの厳しくなるドイツ国内世論を受け、ドイツ・イスラエル関係はかつてない難しい局面に入っていると言える。
〈著:大貫康雄 、写真:חיים צח/ לע"מ [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons〉