【再掲載】富士山噴火の可能性とその報道(上杉隆)
※この記事は2012年6月9日にデイリーノーボーダーに掲載した記事を再掲載したものです。
最近の「富士山噴火」のニュースに接して再び思い出した。
そういえば、5年前、ダイヤモンドオンライン(http://diamond.jp/articles/-/6080)で記事を書いた時も同じ心境に駆られた。
いったい日本の言論空間、とくにメディアはなぜこうも遅れ、幼稚で、そしてアンフェアなのだろうか。
「富士山噴火」について、5年前の記事を再掲しよう。
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週刊新潮の記事(「特別読物」300年前の悪夢「富士山」宝永の大噴火)を読んで、約15年前の出来事を思い出してしまった。
〈「この1万年の中で富士山は100回以上の噴火が起こっているが、空高く噴き上がるほどの大噴火は3、4例しかない。その1つが宝永の噴火で、非常に大規模なものです」と語るのは東大名誉教授で富士山ハザードマップ検討委員会委員長の荒牧重雄氏――(略)〉(週刊新潮/12月13日号)
宝永の大噴火は1707年12月、今からちょうど300年前の大災害である。
当時の噴火によって富士山周辺には巨大な火の玉が降り注ぎ、東麓の須走村などは4メートルもの灰に埋まって壊滅したという。大量の溶岩は猿橋まで流れ、噴き上げた火山灰は江戸に到達し、数センチ積もった。
仮に、現在だったとしたら、どうなるのだろうか。農業、観光業のみならず、ライフラインや交通網が分断され、情報産業や電子化された日常生活への打撃も計り知れない。
美しい富士は、その雄姿とは裏腹に、その内奥には強烈な悪夢の可能性を秘めている。
今年6月、富士山は世界遺産の暫定リスト入りを果たした。山麓に点在する富士五湖を含めた一帯の登録も検討されている。富士北麓の樹海はすべて溶岩の跡で、本栖湖、精進湖、西湖、河口湖なども、噴火によって流れ出た溶岩が作り出した火山湖である。
その最東端に位置する山中湖は、風光明媚で、観光客の途絶える冬の美しさは息を呑むほどだ。1980年代末からの約5年間、その自然美に魅せられた筆者は、山中湖村民として湖畔に居を構えていた。
80年代前半まで、富士山は〈死火山〉と呼ばれていた。ところが、筆者が山中湖に住み始めた頃には、こっそりと〈休火山〉に変わっていた。理由は、日本列島にはそもそも〈死火山〉はない、という学術的な見解の変更に伴うものであった。
当時、四輪駆動車を走らせて富士の林道などで遊んでいた筆者は、行政によるそのさりげない変更に疑問を抱いた。
これまで言われていた〈死火山〉であるならば確かに心配はない。だが〈休火山〉となると話は違う。そうなると、いつ噴火するか分からくなる。仮に噴火したとしたら、この一帯はどうなるのだろうか? いまの生活は? 近所の人々は? なにより生命は……?
早速、村役場に尋ねてみると、「噴火はしない」という。それならば〈死火山〉ではないのか、と重ねて問うたが、要領を得ずに「県に聞いてくれ」と言うばかりである。仕方なく山梨県庁に問い合わせると、今度は「県としては特段の対応をしていない。各自治体に任せてある」という答えが返ってきた。
そこで、富士箱根伊豆国立公園内にまたがる富士山周辺の11市町村(当時)に問い合わせてみることにした。結局そのすべてで「噴火は想定していない。よって準備もしていない」という回答であった。
まったくおかしな話だった。なぜなら、念のために、休火山を抱える日本全国の国立公園内の自治体を調べてみたところ、そのすべてで、万が一の噴火に備えたハザードマップを作成、もしくは作成中であったからだ。
富士山周辺の自治体に、他地域の状況を伝えながら再度問い合わせた。だが反応は鈍い。そこでNHKに、ハザードマップを作成していない危険な現状を報告したのだ。
しばらくすると、調査の際に親しくなった富士吉田市の職員から連絡が入った。
「キミは、マスコミにぺらぺらとしゃべっているようだが、あんまりそういうことはしないほうがいいな。キミのやっていることは『風説の流布』といって、犯罪に当たるんだよ。観光産業で生活しているこの地域全体に想像もつかない打撃を与えるかもしれない。そういったことを不用意に、また無責任にしないほうがいい」
半ばその忠告に呆れながらも、再びNHKに、行政による解せない「忠告」を報告した。すると思いもよらないことが起こった。今度は当のNHK記者から忠告が入ったのだ。
「おまえ、山梨に住めなくなるぞ」
住民の生命・財産よりも、観光の方が大事――。だが、住む人間がいなければ、観光業ですら成立しないではないか。当時の筆者は、地域住民を守るためのハザードマップ作りが、タブーだとは露とも知らなかった。
つまり、1990年代前半、いまから約15年前、富士山は「風説の流布」という勝手な理屈に守られて、決して噴火をしない〈火山〉に認定されていたのだ。
だが、残念ながら、有史以来、富士山は何度も噴火している。それは隠しようのない事実である。政治や行政、そしてメディアはその現実を伝えなければならない。
生命・財産を守るため、噴火の際の溶岩流出ルートや降灰エリアなどの特定は、地域住民が知っておかなければならない最低限の情報である。しかし、危機意識の低い日本ではこうしたことは放置されがちだ。大抵、危機が眼前に近づいてきてはじめて慌て始めるのである。
案の定、2000年10月、富士山で低周波地震が相次ぐと、いきなり状況が変わりはじめた。半年間で数百回にわたる地震が鈍い危機意識をようやく呼び覚ますことになる。
地震は、火山性のものではないという見解が述べられるが、年が明けてもなお続いていた。さすがに住民も不安に陥る。提供される情報の不足がますます不安に拍車をかける。
ここにきて「風説の流布」を強調していた自治体もやっと動きだした。そしていつものように共犯関係にあるメディアも連動する。
2001年1月、読売新聞の正月スクープ「富士山ハザードマップ検討委員会の設置決まる」という報道をきっかけに、NHKはじめ各メディアは、一斉に「富士山噴火時の防災マップの早急な作成」と「行政の準備不足」を訴えるニュースを報じ始めたのだ。
2003年9月には、北東斜面で噴気が確認され、微小ながらも火山性活動が認められた。こうなると自らの不作為の記憶など遠い過去に消えている。追い詰められた末に、ようやく現実を直視しようということになったのだが、もちろんそんなことは認めない。
2004年、防災マップの試作版が完成し、内閣府に報告された。現在は協議会を設置し、常時の監視体制がとられている。結果としては良いことだ。
だが、今回の週刊新潮の記事を読んで、改めて思い出してしまった。
行政とメディアが共犯関係を結んで、知らせなければならない情報を国民から覆い隠す、こうした行為はこれまでに繰り返し行われている。
それは富士山の事例に限らない。たとえば、現在の政治状況を軽く振り返ってみても――。
5000万件の消えた年金、防衛省と武器専門商社との利権、道路特定財源の時限性など、行政がひた隠し、一部の記者クラブメディアが知り得ていたにもかかわらず表沙汰にしてこなかったことばかりである。
行政はいつでも都合の悪い情報を隠し、記者クラブはそのお供をする。だが、いったん疑惑が明らかになると、メディアだけは一転して手のひらを返し、逆にかつての「共犯者」たちを攻撃するのだ。
いったい日本でのこうした状況はいつまで続くのだろうか? 少なくとも筆者の知る限り、15年前となんら変わっていない。
「富士山は噴火しない?行政とメディアの情報隠蔽は昔も今も」(ダイヤモンドオンライン2007年12月12日)
http://diamond.jp/articles/-/6080
(文・写真:上杉隆)
※この記事は2012年6月9日にデイリーノーボーダーに掲載した記事を再掲載したものです。