対立と和解の可能性を示唆したロシアの第二次大戦勝利・祈念70年の5月9日・10日〈大貫康雄〉
ロシアの第二次大戦の対ナチス・ドイツ勝利70周年は、ウクライナ危機で米欧との対立が続き、各国首脳・政府代表の出席は中国、インド、エジプトなど20カ国余りにとどまった。
10年前の60周年には米・英・仏の旧連合国をはじめ旧敵国ドイツ、日本も含め50カ国以上の首脳がモスクワ・赤の広場の壇上に立ったのとは比べようも無い。
ロシアのプーチン大統領はロシア軍の最新鋭兵器を、覆いを外して次々に登場させ、1万6000人の兵士を行進させ武力を誇示するなど、欧米との対立にも一向に動じない姿勢をした。
式典後は50万人の市民がそれぞれ第二次大戦で犠牲になった家族の写真などを持ってモスクワの中心部を埋め尽くし、プーチン大統領も父親の遺影を掲げ、先頭に立った。
対ナチス・ドイツ戦勝式典だけは多民族社会のロシアで皆が揃って祝える式典でもあるが、プーチン大統領がナショナリズムを煽った印象が強い。
中国との間ではロシアの最新兵器の売却や、中国のロシア高速鉄道網建設参加などで合意し、欧米に対し中ロ親密化を印象付けた。(中ロ両国海軍は11日、地中海で共同訓練を始めてもいる)
しかしプーチン大統領の9日の演説には欧米への強硬姿勢だけではなく一方で和解を意識した部分がかなり見られた。両国関係が最も冷え切った中でも、翌10日の無名戦士追悼式にドイツのメルケル首相が訪れるのを意識していたのかも知れない。追悼式典後の首脳会談は予定を大幅に過ぎて続いた。
プーチン大統領は、“式典には来てもらいたい人達が皆揃った”、と式典を欠席した欧米諸国など眼中にないような姿勢を示した。
しかし一方でプーチン大統領は、アメリカ、イギリス、フランス、と名前を挙げ第二次大戦勝利に貢献したと謝意を述べると共に、ドイツ国内でナチスに抵抗した人たちまでをも讃えた。(対ドイツでなく、ドイツ人もナチスという抑圧体制に闘い犠牲になったことの意義を押し出した)
またEU加盟国で式典に参加したチェコのゼマン大統領にプーチン大統領は、“(ウクライナ危機で欧米による経済制裁などを実施し)関係を悪化させたのは我々ではないが、欧米にも関係を元に戻し更に前進させようとする首脳たちがいる”と関係修復に後ろ向きではないことを示唆した。
(経済制裁を続けるEUへの呼びかけだ)
そして10日の無名戦士追悼式に出席するため、メルケル首相がモスクワに降り立った。
確かに、両国関係が悪化しているのを象徴するかのように、空港で出迎えたロシア政府代表は外務省の一担当部長だった。クレムリンの歓迎式でも儀仗楽隊ではなく軍楽隊の演奏だった。
しかしクレムリンの壁近くの無名戦士の墓前での追悼式ではメルケル首相とプーチン大統領が揃って献花。ロシア国営テレビは、その後両首脳が会話を交わしながら歩いて戻り、途中一般市民と交流し写真に収まる場面を紹介している。(ロシア国営テレビは“両首脳の間に言葉の壁は無い”と報じた)
追悼式典後メルケル首相は言う、“(第二次大戦の)辛く苦い経験から学んだ。(いかなる困難も軍事でなく)平和的、外交的な手段で克服しなければならない”
予定を大幅に超えて続いた首脳会談。
その後の共同記者会見では、両首脳が更に和解への可能性を口にし、これ以上の関係冷却を避けただけでなく、関係改善の兆しを伺わせた。
プーチン大統領は先ず、メルケル首相が第二次大戦の犠牲者に敬意を払うためにモスクワに来てくれたことに感謝。
その上で、ドイツなど欧米の経済制裁で両国の経済関係も悪化したが、これは両国双方に良くないと指摘。
しかし“ウクライナ危機の解決には今も多くの問題があるが以前より平穏になった。停戦で合意したミンスク合意による話し合いは進展している”と述べ、ウクライナ危機克服に親ロシア派武装勢力に影響力を行使する姿勢を示した。
(ドイツZDFは新ロシア武装勢力が支配するドネツク州で住民が戦勝記念と住民投票成立一周年を祝う式典を、指導者のインタビュー付きで報道している)
これに対しメルケル首相は、先ず(こうした形での訪問にも拘わらず)会談する機会を作ってくれたプーチン大統領に感謝を述べた。
しかしクリミアの一方的併合については“併合は犯罪的で、国際法違反である”と断言する一方“第二次大戦の教訓を活かし、(如何なる状況下でも)平和的な話し合いによる解決”が必要なことを強調した。
両首脳の記者会見はロシア人記者の質問が最も多く、ロシア国営テレビが厚めに報道。ロシア国民には欧米との対立でロシアが完全に孤立しているのではないことを示したかったかのようだ。
(ドイツ・ロシア間の貿易は欧米諸国の中で最大、経済制裁の中で相当影響を受け、特にロシア経済への打撃は大きい。プーチン大統領が経済関係の悪化を口にしたのも、現状を打破したいロシア側の思いが見える)
ドイツのメディアは、ウクライナ危機でどんなに対立していても、ナチス・ドイツが引き起こした第二次大戦で、旧ソビエトで犠牲となった2千6百万から7百万の人々の冥福を祈り謝罪は別問題であり、メルケル首相の訪問は当然のこと、との論調だ。
(ソチにはアメリカのケリー国務長官が訪れ、ラブロフ外相との会談も始まった)
アウシュヴィッツ解放70周年で始まったドイツの戦後70年の一連の外交日程はこの10日のモスクワでの追悼式典山場を越えたが、ドイツの存在感が一段と大きくなった印象を受ける。
(大貫康雄)
〈写真:ロシア大統領ホームページより〉