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戦後70年、独政府首脳、ユダヤ人虐殺の歴史の陰で忘れられがちだった、旧ソビエト軍戦死者、戦争捕虜の犠牲者墓地などを相次いで訪れ慰霊

5月5日、ドイツのガウク大統領は旧ソ連圏諸国など20カ国の大使と共に、北西部の町ホルト=シュトゥーケンブロック(Holte-Stukenbrock)のソ連兵戦争捕虜収容所跡地を訪れた。

ここでは戦時中30万のソ連兵戦争捕虜が収容され、極悪な待遇で6万5000人が飢えや病気で死亡したと言われ、現在はソ連軍兵士らの墓地となっている。

大統領は犠牲者の名を刻んだ墓地に花輪を捧げると共に、新たに身元が判明した900人の犠牲者の名を刻んだ石板の除幕をした。

 

この慰霊式典でガウク大統領は、“ナチスの過酷な処遇で多くのソ連兵捕虜が死亡、殺された。ここだけではない。各地のナチスの収容所で何百万もの赤軍兵士が亡くなった、と述べた。

同時に大統領は、ヨーロッパ各地のユダヤ人六百万人がナチスによって虐殺された。

そのホロコーストの陰にされる形になっているが、何百万もの赤軍兵士捕虜や、シンチ・ロマ人が、そして心身に障害を持つ人たちや同性愛の人たちも虐殺された事実も、忘れ去れてはならない”と呼びかけた。

 

そして70年前、連合国(5月8日)とソ連(5月9日)ナチスが打倒されたことにドイツ国民として謝意を表した。

 

またガウク大統領は、ナチスは東部戦域で当初から意図的に皆殺し、殲滅作戦を遂行していたこと。しかし戦後ソ連の拡張主義的政策と共産主義体制の下、ドイツでは東部戦域で起きた暗い歴史を忘れようとしていたこと、などを指摘。ドイツ人はこうした歴史を陰に置き忘れていてはならない、も述べた。

 

スターリン体制下の戦争捕虜の運命も辛酸をなめるもので、ドイツ人捕虜の相当数が収容所内で死亡している。

一方でナチス・ドイツの戦争捕虜となった後、生き延びた旧ソ連軍兵士の運命も過酷そのものだった。戦後帰還した兵士達を待っていたのは祖国の収容所だった。スターリンは彼らを“裏切り者”、とか“敵前逃亡”、“敵国に寝返ったスパイ”として強制労働を強い、多くが収容所で死亡している。

 

戦後70年のヨーロッパは、ロシア側の歴史認識との違いやウクライナ問題でロシアと対立状態にあり、ロシア政府主催の70年式典には各国首脳の出席は無い。

しかし旧ソ連ではナチス・ドイツとの戦争で捕虜だけでは無く一般市民も含め三千万人が死亡しており、ドイツ政府はこれを無視しない。

シュタインマイヤー外相はこの7日、東部戦域最大の激戦地だったヴォルゴグラード(旧スターリングラード)の戦没者慰霊碑を慰霊に訪れている。

 

またメルケル首相は、ウクライナ問題で西側と対立しているロシア政府が5月9日に主催する対ナチス・ドイツ戦勝記念日への出席は見合わせたが、翌日9日、モスクワを訪れプーチン大統領と共に戦没者の慰霊碑に花輪を捧げる予定。

 

戦争犠牲者の慰霊は別問題であるとの姿勢だ。

またロシアとウクライナ問題で対立していればこそ、ロシア国民が被ったドイツとの戦争の過去を忘れてはならないからだ。

 

著:大貫康雄

〈写真:ドイツ大使館ホームページより〉