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“アルメニア人虐殺はジェノサイド!“、100年後の歴史認識でトルコ孤立か

これはトルコの歴史認識の問題。第二次大戦時の事件の前、第一次大戦中に起きた悲劇だが、トルコ政府が歴史を直視し、“ジェノサイド”と認めない限り、アルメニアや各国は100年経っても忘れず、今もアルメニアとの間だけでなく国際的な論議を呼んでいる事件。歴史認識の問題は明快に解決しない限り、当事者・当時国に何時までも迫ってくる。

 

第一次大戦中、当時のオスマントルコ帝国内で起きたアルメニア人大虐殺では犠牲者は数十万から150万以上に上るとも言われている。この大虐殺事件から今年で満100年、欧米では改めて、大虐殺はオスマントルコ帝国による制度的組織的な虐殺、民族殲滅事件だったと断じ、トルコ政府にジェノサイド・民族殲滅事件であったことを認めるべき、との声が高まっている。

 

これに対しトルコのエルドアン大統領は、虐殺は戦争の過程で(偶発的に起きた)悲劇で犠牲者の数も20万人など、と激しく反発。欧米やロシアとの関係も悪化しているが、右派・民族主義者の支持が欠かせないエルドアン政権は国内世論を考慮、打開策が打てない状態が続き、国際的に孤立すると懸念されている。

 

“アルメニア人虐殺“は突然勃発したのではなく、18世紀後半から幾つもの戦闘や虐殺事件が相次ぐ複雑な経緯の後、1915年4月24日オスマン帝国の首都コンスタンチノープル(現イスタンブール)でアルメニア系著名人が300人逮捕・追放され、殺害される。アルメニアや欧米諸国は、この事件がその後、アルメニア人のシリアの砂漠への集団追放、その過程での殺害・死亡、男性の強制労働と集団殺害、女性の集団レイプと性奴隷化の末の殺害など一連の虐殺の契機となったと見て、4月24日を犠牲者の追悼祈念日と定めている。

 

大虐殺から100年の今年4月24日アルメニアの首都エレバンでは追悼祈念式典が催され、フランスのオランド大統領、ロシアのプーチン大統領をはじめ各国政府代表も出席するなどアルメニア人大虐殺事件が国際的に認知されている。

 

事件から100年の今年、トルコ政府に“アルメニア虐殺はジェノサイド(制度的・組織的な民族殲滅)”と認める求める声が高まるのは必至だった。

4月12日、教皇フランシスがサン・ピエトロ寺院にアルメニア正教会の聖職者を招待したミサで“アルメニア人虐殺は20世紀最初のジェノサイド”と発言した。これに対しトルコはヴァチカン駐在大使を召還、外交問題になった。

 

教皇フランシスに留まらず、次いでオーストリア、それからフランス、ドイツ、ロシア、アメリカの各国政府が、“ジェノサイド”と認めないトルコ政府の対応を批判。

15日にはEU議会もジェノサイドと呼びトルコ政府に再考を促した。既にヨーロッパの20カ国以上の議会が、あの事件をジェノサイドと呼ぶ決議を採択している。

 

アメリカのオバマ大統領はアルメニア人虐殺100年の声明の中で、アルメニア語を使いMedz Yeghern、大破局great calamity、と述べたが“ジェノサイド”との言葉は避けている。トルコがNATO加盟国で対ロシア、シリア、イラン政策上、トルコの協力が欠かせないこと、またISIS対策でぎくしゃくした両国関係をこれ以上悪化させたくないためと見られる。

 

こうした欧米各国の批判に対し、トルコのエルドアン大統領は激しく反発し、それぞれの国に歴史的な汚点があり、トルコを批判する資格があるのか?などと反論しているが、説得力が無いのは明白だ。

ただ6月7日に総選挙を控え、エルドアン政権としては右派、民族主義的与党の勝利のため、対外的に強硬な態度を国民に示さざるを得ない。

 

第一次大戦時帝政ドイツはトルコの同盟国で各地の領事館が各地で展開された追放・殺戮の模様を詳細に詳述、“大規模に進められたアルメニア人殲滅・根絶やし政策はトルコの名を永遠に汚し続けるだろう”などと本国政府に報告した資料がある。

 

フランスではアルメニア系国民の支持を得るべく時の政権が、ジェノサイドを認める法案を国民議会に提出(12年には法案が可決したが法成立には至っていない)。

パリのセーヌ河左岸にはアルメニア人虐殺者の慰霊碑が作られ、またマルセイユには”4月24日広場“が作られている。

 

“フランス国営F2は、トルコ政府が“ジェノサイド”と認めたくないのは、認めると巨額の賠償が問題となってくるからだろう、などと報じている。

 

ドイツの公共放送ZDFは、“当時の資料を調べてみても、大量殺戮は政策として段階的に組織的に行われており“ジェノサイド”であることは疑いようがない“、などと報じた。

 

年年高まる一方の国際世論に押されるかのようにトルコ政府も徐々にアルメニアとの和解に乗り出し、2009年10月10日に両国間の国交正常化が実現したが、虐殺事件や領土紛争など基本的な問題は未解決のまま。

凡そ1年前の2014年4月23日、アルメニア人虐殺の犠牲者に対しエルドアン大統領が初めて哀悼の意を表明した。

また事件から100年となる今年4月24日にはイスタンブールのアルメニア正教会で行われた追悼ミサにエルドアン政権のEU担当相が初めて参列、“アルメニア人と共に犠牲者の苦痛を共にする”とのエルドアン大統領のメッセージを伝えてもいる。

 

ドイツではベルリンで犠牲者の追悼祈念式典が行われ、ガウク大統領が、虐殺はジェノサイドだったと指摘。

またドイツ連邦議会は、アルメニア人虐殺事件100年の決議を近く可決するべく審議が続いている。ドイツはホロコーストを引き起こしたナチス・ドイツの継承国家として、また第一次大戦中、虐殺の悲劇を目撃しながら止めようとしなかった過去がある。

 

ランメァト議長らドイツ連邦議会での審議を幾つか拾ってみる。

*)第二次大戦中のドイツによるホロコーストはトルコによるアルメニア人虐殺よりも遥かに酷いものだった、と指摘した上で、アルメニア人虐殺もやはりジェノサイドだった。

*)各国の歴史について、他の国がとやかく教えることではない。アルメニア人虐殺事件の解決は、トルコ自身がすべきこと。しかしドイツは自身の苦い体験があり、それを克服しようとしてきた。であればこそ自分自身を傷つけることになっても、歴史と向き合うよう励ますことが出来る。

*)過去の歴史を直視するからこそ、犯罪は犯罪と認め、解決を促す誠実な国としてあるべきなのだ。

*)歴史は言い逃れやごまかし、相対化をしている限り、何時までも当事者に迫ってくる。

 

 過去を直視し、克服したドイツをトルコが参考に出来るのか。

 確かに第二次大戦中の70年前のことではない。100年前のことである。

 

 〈写真:トルコ国旗 By David Benbennick (original author) [Public domain], via Wikimedia Commons〉