SJJA&WSJPO【西サハラ最新情報】No117 ゲルニカ平和貢献賞が西サハラ大統領に
日本国会議員有志が3月27日に出した共同声明は、国際社会を動かしています。 4月1日には分かっていたのですが、「マジ~~?」と言われては困るので、三日遅れのニュースとなりました。 以下、本当の話をお伝えします。
(1)2015年3月27日(AU/PSC)、アフリカ連合AUの平和安全理事会PSCが、第496回会合で「西サハラの脱植民地化を実現させるため、国連安保理は必要なあらゆる手段を講じるべきだ。それも早急に、、」と、決議をした。この決議はアフリカAU連合本部があるエチオピアのアジスアベバで、 4月1日、全世界に向けて公表された。
(2)3月29日、西サハラ難民軍ポリサリオ戦線がテイファリティ第2軍事基地で軍事演習を行った。テイファリティはモロッコ地雷防御壁で東西に分断された西サハラの東側にあり、西サハラ難民政府が実効支配している。砂漠の真ん中にある重要な隊商中継点だったが、町はモロッコ軍の空爆でスペインのゲルニカの様に完全に破壊され、以後、住民はいない。西サハラ難民政府が細々と遅々と町の再建を続けている。「この軍事演習は、4月に予定されている西サハラ協議に向けて、国連安保理に贈る西サハラ人民の強いメッセージだ」と、西サハラ難民軍当局が声明を出した。
(3)3月31日、アルジェリアの首都アルジェで会談したアルジェリア大統領アブデルアジズ・ブーテフリカと南アフリカ大統領ジャコブ・ズマが共同声明を出し、アフリカ連合AUの西サハラ脱植民地化決議を強く支持した。「我々は、アフリカ連合AUの平和安全理事会PSCが出した、西サハラ脱植民地化決議に大変満足している」と、南アフリカ大統領ズマは記者会見で述べた。
(4)3月31日、西サハラ難民政府RASD(サハラ・アラブ民主共和国)大統領兼ポリサリオ戦線議長のアブデル・アジズ氏に<ゲルニカ平和貢献賞>が贈られる。授賞式は4月26日にスペインのゲルニカ市で行われる。ゲルニカ市は、スペイン反乱軍とドイツ・ナチの大空襲で破壊され市民が大虐殺されたという悲惨な歴史を持っている。スペイン内戦中の1973年4月26日にフランコ反乱軍がドイツ空軍コンドル軍団に空爆支援を要請したのだが、フランコとナチはゲルニカ破壊の責任をアナーキストとバスク民族主義者に擦りつけた。この捏造宣伝に怒った画家ピカソが<ゲルニカ>の壁画を描いた。1950年にはフランス人のアラン・レネが短編映画<ゲルニカ>を発表している。
(5)4月4日、パリで西サハラ脱植民地化を支援するデモが行われる。デモ隊はトラコデロ広場からモロッコ大使館まで行進する。さらに、4月中旬にある<政治犯への国際連帯週間>期間内にフランス国会前でのデモを予定している。
2015年3月30日、テッド・ケネデイー研究センターがボストンのケネデイー大統領博物館の敷地内に創設されました。オバマ大統領夫妻とバイデン副大統領夫妻がオープニング式典を主催し、オバマ大統領は民主主義の権化であるかのように、テッド・ケネデイーを絶賛しました。そのテッド・ケネデイーこそ、2009年、当時のオバマ新大統領に西サハラに関する超党派上院議員の共同声明を提出した、西サハラ脱植民地化の主唱者なのです。
テッド・ケネディー作成の共同声明を真似て、2013年に最初の日本国会超党派議員の共同声明を出しました。 今回の共同声明はナンバー2になります。 三つの共同声明は、アフリカ最後の植民地・西サハラの一日も早い脱植民地化を謳っています。 そして、西サハラ住民の民族自決権行使となる国連西サハラ住民投票の実施を促し、国連が主導する平和的解決を支持しています。
2015年4月2日、「我々の外交努力で交渉の席を設ける事が出来た」とのオバマ宣言は、イラン核交渉の成果を鼓舞するものでした。 が、「まず、交渉ありき」は、アフリカ最後の植民地・西サハラにもピッタリ当てはまります。
モロッコは、今から24年前の1991年に国連が出した国連西サハラ住民投票案を呑んで、西サハラとの交渉の席に着きました。 しかし、2000年に入るとモロッコは国連西サハラ住民投票を嫌い、2012年5月17日には国連と国連特使を拒否し国連交渉の席に着かなくなってしまいました。 「西サハラ?そんなもんナイ!どこの馬の骨ともつかない奴と、モロッコ国王陛下の賎民が同席できるか!!」というわけなんでしょうか?
「お呼出し申し上げます。モロッコ交渉団の皆様、モロッコ交渉団の皆様、早急に交渉の席にお戻りください!!」
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2015年4月4日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子