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【4年目の福島はいま】「これからは悲劇を光に変えたい」~葛藤抱きながら母子を描く伊達市の画家

 黒や赤で放射線に貫かれた子どもを描いたあの頃。画家は葛藤が続いているという。渡辺智教さん(40)=伊達市霊山町掛田=は、初心に帰ろうと自主避難先から帰郷。黄色や緑色を基調とした優しい絵を描き始めた。「原発被害者のかわいそうな画家」でなく、「怒りをストレートに描く画家」でもなく、原発事故という悲劇を「光」に変えたい─。再出発を機に、4年間を振り返ってもらった。

 

【明るい絵にも「3.11」の影がある】

 自宅の一角に設けたアトリエには、優しくわが子を抱きしめる母親を描いた作品が並んでいた。マスクをしたわが子の頬に、そっと手をあてる母親の姿は、渡辺さんの原点とも言える作品。改めて2年ぶりに改めて描いたが「マスクをしていることに意味があるのです。原発事故は収束なんかしていないのですから。僕の絵には必ず、『3.11』『福島』の影があるのです」。

 霊山町に生まれ育ち、福島東高校から早稲田大学教育学部へ。漫画研究会に所属していたことはあったが、「美術の成績はずっと『3』でした」。父親との軋轢もあり、うつ病で大学を休学したことも。その際、レシートの裏面に動物の絵を描き始めたことがきっかけとなった。アルバイトをしながら絵画教室に通い、デッサンとイラストレーションの勉強をした。

 母子や動物を描き続けていたところに、予期せぬ大地震と原発事故。画家として、本能的に原発事故後の子どもたちを描いた。黒や赤を基調とした当時の絵は、原発事故がもたらした被害を鋭く伝えている。「まだ手探りの最中です。葛藤しています」。画家として表現者として、どのように福島の状況を発信していくか。見る人が後ずさりせずに伝えるにはどうすればいいか。模索している毎日だ。

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避難の末、初心に帰ろうと故郷に戻ってきた渡辺さん。温かいタッチで子どもの命の大切さを訴えていく=伊達市霊山町掛田

 

【黒い絵は時に人を傷付ける】

 今年に入り、避難先から福島に戻ってきた。「画家として初心に帰るためかな」。原発事故直後、原因不明の体調不良が続いた。頭をよぎったのは被曝への不安。当事者として多くの市民運動に参加し、避難先の兵庫県では地元の人々の前で福島の状況を話すこともあった。「原発事故に対する怒りのエネルギーで突っ走ってきました。でも、怒りを吐き出すことに疲れてしまったんです」。

 福島から離れて、県外の人々がどこかで他人事としてとらえていると感じてしまう事があった。無関心に対するいら立ち。原発事故が起こした「怒り」は、倒れた幼い子どもが放射線に貫かれている絵、「ぼくたちは“モルモット”なんですか?」というコピーとなって表現された。それらはインターネットで拡散され、時に誹謗中傷の対象にもなった。

 「黒い絵は、そこに込められた波動の力が大きすぎます。時に見る人を傷付ける。ただ叫ぶだけ、吐き出すだけでは『作品』とは呼べない」

 当時の感情を否定はしない。見る人が引いてしまうような絵を描いていて良いのか。他人をなじることも、それはそれで自ら〝放射線〟を放っていることになっているのではないか…。自身の怒りの源が、幼い頃の父親からの抑圧であったのではないかとも感じた。転機になったのが2013年6月、沖縄を訪れたことだった。

 「福島に対する無関心と言うけど、僕たちも沖縄に対して無関心だったんですよね。捨て駒の福島、捨て駒の沖縄…」

 広島や長崎にも行った。そして決めた。「原発避難者である絵描き」、「かわいそうな絵描き」ということで自分を売り物にするのはやめようと。ただ、これだけは譲れない。「原発事故後の体調不良。その自覚症状を経験していない人に、僕の絵を評価されたくはない」

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原発事故直後に渡辺さんが描いた作品には赤や黒が使われ、被曝の危険性をストレートに訴えていた。「当時の感情は否定しないけれど、これでは怒りを吐き出しているだけ。作品とは呼べない」と振り返る

 

【誰にも裁けない県外避難の是非】

 市民運動から離れることにした。「デモに参加しない人の中にも、脱原発を訴える人は多いですからね」。かといって原発事故の被害、とりわけ被曝の危険性を否定しているわけではない。「親が子どもを必死に守ろうとしていることは、風の記憶に子どもに、しっかりと残っています。放射線防護に取り組むことが正しいのか、福島県外に避難することが大げさかどうかなんて、誰にも裁けませんよ」。

 放射能というフィルターを通して福島を見ると、すべてが美化されてしまうようにも映るという。「『福島』は自分を特別視させてしまう」とも。放射能というフィルターを外してこそ見えてくる原発事故後の福島。それをどう表現していくか。昨年はスランプでほとんど描けなかったが、少しずつ見えてきたものがある。

 「僕たちの世代で悲劇を光に変えたい」

母親がそっと手をあてるわが子の絵から、一日も早くマスクが外れる日が来ることを願って。

 

(鈴木博喜/文と写真)<t>