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ユネスコさん、メソポタミヤ世界遺産を守って ニネベ、ニムルド、ハトラ、コルサバ―ドの次はどこ?

 「おいおい、まだやるのかよ!!」

 まさかと思っていたのに、過激派組織ISはニネベ遺跡破壊に続いて3月5日はニムルド遺跡を、3月7日にはハトラ遺跡を、3月9日にはコルサバ―ド遺跡を破壊しました。

 この解体屋たちは何を壊しているのか、知らないんだ! その価値を知っているのはユネスコ(国連教育科学文化機関)です。

 ユネスコがメソポタミヤ世界遺産の値踏みをするのだから、その破壊を傍観してないで、現場にでかけてください。体を張ってIS戦闘員が振り上げる斧を止めてください。世界遺産を守るという振れ込みで世界中から金を集めているユネスコが、メソポタミヤ世界遺産の破壊を止めないのなら、ユネスコの黙殺は、振り込め詐欺?破壊犯罪幇助??

 かって取材した諸遺跡のうち、イラク北部の最重要古代遺跡・ニムルドを紹介します。

 

(1)ニムルド遺跡:

 イラク戦争直前のニムルド遺跡は、囲んでいた鉄条網がそこかしこで破られていた。守衛所は廃屋となり、門番もいない。入口には形だけの南京錠がかけられていて、「立ち入り禁止。用があるものはイラク軍駐屯所に連絡のこと」と、張り紙があった。ニムルド村のイラク軍駐屯所に行ってイラク兵士に案内をお願いする。

 1990年の湾岸戦争に始まった12年間のイラク国連経済制裁で、来るたびに遺跡の疲弊度は酷くなる一方だった。

「ここには、ヒマラヤスギ、イトスギ、ネズ、ツゲ、クワ、タマリスクでできた宮殿があった。ここには、銀、金、鉛、銅と鉄、などなど、王が侵略した土地からの戦利品を納めてあった」と、兵士は落とし穴のように散在する元宮殿跡を説明してくれる。

 が、他のメソポタミヤ古代遺跡と同様に、泥の上に建てられたので、風化した跡地にはきらびやかな宮殿の面影など全く残っていない。

「女王様の首飾りはどこに?」と聞くと、「運べるものはみんな盗まれた。宝物はトルコやシリアを経由して密売された」と、兵士は国際遺物密売シンジケートの話をした。

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(2)ニムルド遺物の盗掘

 ニムルドの諸王たちは、白い石灰岩やアラバスターでできた山や海の獣たちの像を作って門に置き、宮殿を守らせた。

 しかし、石の門番たちはニムルド遺跡を守れなかった。

 ニムルド遺跡に初めて手を付けたのは、イギリスの考古学者・外交官ヘンリー・レヤード(1817~1894)で、1845年から1851年にかけて巨大な宮殿の守り石像、アラバスターや石灰岩の石碑、象牙の彫刻などを盗掘して、イギリス本土に送った。

 10組近い人頭有翼獣(ラマッス、顔は人で翼をもち獅子や雄牛の体をしている)の中から、10トン弱の重さの像2組を、ヘンリー・レヤードは1847年にロンドンへ持ち帰っている。

 特製の艀や荷車を用意し、運送に18カ月かけて、ようやく大英博物館の館内への搬入に成功した。

 30トン弱の重さがある像はフランスの外交官ポール・エミール・ボッタがコルサバードからパリへ1853年に搬送した。

 1928年にはイタリア系アメリカ人考古学者のエドワード・チエラが、40トン弱の巨像をシカゴへ搬送している。

 第二次大戦後にはイギリスの考古学者マックス・マローワン(1904~1978)が、1949年から1957年かけてニムルド遺跡を盗掘した。

 マロ―ワンがつとに有名なのは、14才年上の姉さん女房で推理小説作家アガサ・クリスティ―(1890~1976)が旦那の作業場ニムルド遺跡に押しかけてきて居候したからだ。女房が死んだ翌年、マロ―ワンはニムルド遺跡で助手をし、長年の愛人兼秘書でもあったバーバラと結婚した。事実は推理小説よりミステリアス。中東体験のおかげで、アガサ・クリスティ―は<メソポタミヤの殺人>や数編のオリエント・ミステリー書き上げた。

 「イラク及びシリアの遺跡調査に携わっている多くの友に、この書を捧げる」と、アガサ・クリスティ―は<メソポタミヤの殺人>の冒頭に書いている。

 過激派組織ISも遺跡調査をして盗掘してんだけど、彼らも<友>になるのかなあ?

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(3)残酷なアッシリア帝国(西アジア最初の世界帝国 紀元前9世紀~紀元前612年):

 その後、イラク考古学総局を中止とした発掘が、1956年、1959年~60年、1969年~78年、1982年~92年、と続き、楔形文字による文書を発見したりしている。

 楔形文字の文書や石碑から、紀元前13世紀頃から紀元前710年頃までニムルドを首都としていたアッシリア帝国を垣間見ることができる。

 ちなみにその頃の日本は?縄文時代かな??

 

 紀元前883年から紀元前859年にかけてアッシリアを治めたアッシュール・ナツィルパル2世はニムルドに宮殿や首都を改造した。

 数千数万の人々が市と大宮殿を囲む8kmの長さの城壁建設に動員された。王の治世や征服祝宴などのことも石に刻まれている。その中で、王は自ら「朕は捕虜を奪いその多くを火の中で燃やした。生かしておいた者のうちいくつかは手首を切り落とした。残りの者からは鼻、耳、指を切り落とした。兵士たちの多くからは眼を取った。捕虜の若者、娘、子供らを焼いて殺した」と、碑文に書いた。

 さらに征服祝宴で、「朕は、反抗した敵国貴人たちの皮膚を剥ぎ、彼らの皮膚を広げて積み上げた。」と、王は恐怖を与える戦術宣伝をした。

 まさか、IS戦闘員たちがアッシリア王の残虐性を学んだわけはないよね?

 そんな事ないない、彼らは楔形文字など解読できないもんね。

 

(4)<アリババ・身ぐるみ剥ぎ取られたメソポタミア遺跡>:

 メソポタミヤとはギリシャ語で<川の間>を意味し、イラクではチグリス川とユーフラテス川の間にある豊かな土地を指す。

 人類初の文明が生まれ、数々の古代遺跡と遺物が残されていた。

 残念ながら、過去形だ。イラク南端のウル遺跡から北端のニネベ遺跡まで全長約700キロメートル、平均巾約200キロメートルの間に、無数のメソポタミヤ古代文化遺跡が埋まっていたといわれている。しかも悲しいことに、この人類初の文明の地・メソポタミヤは、今や外国人傭兵が蔓延る戦場になっているのだ。運べる遺物で金めのものの大部分を、19世紀半ばから英仏外交官に始まって2015年3月の過激派組織ISまで、主として国外の盗賊が持ち去った。

 しかし、石造りの遺跡は重くて運べない、土くれの丘状遺跡も脆くて運べない。過激派組織ISは、重機でメソポタミア古代遺跡を更地にして、世界がアッと驚くパフォーマンスを企画しているのだろうか?

 

 友人のイラク人サラームは2005年にドキュメンタリー映画<アリババ>を作りました。<アリババ>は、千夜一夜物語でお馴染みの残酷な盗賊を巡るお伽噺です。サラームと一緒に、イラク戦争以前、数度にわたりイラク遺跡を取材しました。

 サラーム作<アリババ>の主人公は、盗掘で素っ裸にされたメソポタミヤ古代遺跡だそうです。

 

(平田伊都子/文と写真提供)<t>

写真

上)ニムルド遺跡の遠景、遠くにジグラット(聖塔)が見える。

中)首をもぎ盗られた有翼人面獅子像

下)胸の部分を切り盗られた有翼神人のレリーフ