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【4年目の福島はいま】出口見えぬ里山汚染。田村市の原木シイタケ農家が失った「山の恵み」

「出口が見えないんだよ」。30年以上、原木シイタケの露地栽培に取り組んできた宗像幹一郎さん(64)=田村市船引町=は言う。味も大きさも自信のシイタケ。だが、「50ベクレルの壁」が立ちはだかる。叶わぬ出荷。再びお客さんに喜んでもらえるのは5年後か?10年後か?─。未曽有の原発事故から今日で丸4年。「復興」「前向き」だけでは語れぬ現在進行形の汚染被害が、福島にはまだまだある。

 

【基準値下回らない「ほだ木」】

 「原発事故直後に比べれば、表面的には前に向かって進んでいます。その点では4年前とは大きく異なります。でも、私個人としては何ら変わっていない。自信とこだわりを持って届けてきたシイタケを売ることができないのだから」

 自宅横の里山に組まれた1000本のほだ木を前に、宗像さんは静かに語った。

 福島県内で購入したナラのほだ木は当初、20ベクレルだった。木を砕いて、おがくず状にして測定。50ベクレルを下回れば栽培に使用できることが、福島県の「安心きのこ栽培マニュアル」で定められている。だが、購入して2年を経た昨年10月、測定結果は130ベクレル。基準値を大きく上回った。木は表皮が一番セシウム濃度が高く、芯に近づくにつれて下がる傾向があるという。かといって、表皮を剥いでしまっては菌がそだたなくなってしまう。

 「土から吸うのか降り注ぐのか、メカニズムは分からないが…。結局、露地栽培では、ほだ木を50ベクレル以下に管理することなんて現実的には無理なんですよ。これが福島の里山の実態なんです」。副会長として切り盛りする「福島県原木椎茸被害者の会」のメンバーも、軒並み50ベクレルを上回った。田村市以外の、出荷制限区域外でも結果は同じだった。シイタケを育ててきた愛着ある里山。原発事故直後の土壌汚染は1㎡あたり1万~1万5000ベクレルあった。少し離れた都路地区の仲間の山は5万ベクレルにも達していた。

 わずか4年では、かつての「恵みの山」には戻らない。空間線量だけでは伝わらない汚染の現実。実際、宗像さんの傍らで、手元の線量計は0.15μSv/h程度だった。「空間線量が下がったからといって安全だと言えますか?この環境で、本当に子どもたちが安全に暮らせるのでしょうか」。

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自宅横の里山に組んでいるだけで130ベクレルに汚染した宗像さんのほだ木。桜の季節に向けてシイタケも順調に育っているが、仮に100ベクレルを下回ったとしても出荷は叶わない

 

【「里山の汚染は過去の話ではない」】

 「露地栽培が無理なら、施設栽培に切り替えてはどうか」。失礼を承知で、あえて尋ねた。しかし、これは愚問に過ぎなかった。

 「ハウスで管理すれば確かに楽ですよ。でもね、自然の中で育ったシイタケと人工のものでは、質が全く違うんです」

 こだわり続けた露地栽培。だからこそ、胸を張って、お客さんに届けることが出来た。今なお「基準値を超える放射性物質が検出されても良いから、宗像さんのシイタケを送って欲しい」という声が届くのが、何よりの証だ。福島第一原発から38kmの里山に降り注いだ放射性物質は、宗像さんのこだわりをも打ち砕いた。

 年齢の問題もある。「後継者がいるのであればまだしも、64歳を過ぎた私が、広大な土地や設備投資をするための多額の資金を用意することは難しい。10年後は74歳。元気なうちはシイタケの出荷は無理かな…」。

 あきらめて、賠償金を受け取るだけの生活を続けることもできる。「それでは悔しいからね」と宗像さん。里山の現状を伝えていくことをライフワークにしようと決めた。2013年9月には、シイタケ農家の仲間たちとチェルノブイリを訪れた。ゴメリ州のリンゴ農家の言葉が忘れられない。「事故から27年経っても、ゴメリ州で収穫されたというだけで買ってもらえない」。里山の除染など不可能であることも良く分かった。帰国後、札幌や東京で写真展を開き、シイタケ農家が置かれた状況を訴えた。「風評被害を助長するからやめろ」という声もあった。だが、もっと哀しかったのは、原発事故の風化を実感させられるような来場者の言葉だったという。

 「福島に対する関心が薄れているんですよ。写真展の会場で『あの頃は大変でしたね』と声を掛けられました。『あの頃』じゃない。『今も』なんです。汚染は現在進行形なんです」

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汚染が確認されたほだ木は、里山の一角に保管されている。朽ち始めているが、搬出先も費用の請求先も何も決まっていない。

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大きく育ったシイタケを割ってみせてくれた宗像さん。「大きい?いやいや、こんなもんじゃないよ」と笑ったが、「元気なうちは市場に出せないだろう」とも

 

【首相は汚染された里山にこそ来て】

 テレビをつければ「復興」「復興」の大合唱。汚染の現実など、「後ろ向き」な言葉を口にするのは難しくなっているという。

 「復興と言うけれど、原発事故前の山の状態に戻すことは出来ない。これまで、里山で山の恵みを得て生活をしてきたが、4年経っても何も変わらない春ですよ」。前向きな話題だけで良いのか。葛藤は続く。

 「だって、ようやく4年ですよ。4年分のデータがようやく揃った段階。山の汚染はいつまで続くのか予想できないんだ。山に対する考え方が…甘いんだな」

 秋には、都内の大学で学園祭に参加することが予定されている。当事者だからこそ語れる汚染の実態。報道だけでは伝わらない里山の現実を若い学生たちにどうやって伝えようか、楽しみにしている。

そして、政治家にも伝えたい。

 「目に見える、分かりやすい場所ばかり訪れて福島の汚染が解消されたと思わないで欲しい。地味な場所にも足を運んで欲しい。もちろん、安倍さんにもね」

 

(鈴木博喜/文と写真)<t>