アウシュヴィッツ解放70年式典にドイツ・ロシア首脳、対照的な対応
70年前の1月27日、ナチス・ドイツ最大の強制収容所アウシュヴィッツが解放されたのを祈念し、世界各国の首脳や政府代表が出席し現地で祈念式典が行われた。
生き残った人たちは大半が80歳以上、節目の年の式典で出席できるのはこれが式典になると見られ、“悲劇を繰り返すなかれ”、“歴史を忘れさせるなかれ”、と訴えた。
各国首脳、政府大統領と共にドイツからはガウク大統領が出席し、負の歴史と向き合う決然としたドイツの姿勢を示した。一方ロシアのプーチン大統領は欠席。生き残った人たちの前でロシアが未来に向かい連帯し協力する姿勢を示す機会を失った。泥沼に陥っているウクライナ紛争の解決への主導権を示す外交の機会になる筈だったが、それも逸した。
*)アウシュヴィッツ解放70年式典はアウシュヴィッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)国立博物館と国際アウシュヴィッツ評議会が主宰し、今年の式典には地元ポーランドのコモロフスキ大統領、ドイツのガウク大統領、フランスのオランド大統領、オーストリアのフィッシャー大統領など世界60カ国の元首や首脳・政府代表が出席。
式典の前面に立ったのは、80歳を超える生き残った人たちで各国から300人が出席。父、母、肉親の目の前での死などの恐怖やおぞましい体験を語り、“平和は話し合いと協力こそ平和への鍵、戦争では実現できない”、“今も再び偏見と憎悪が横行している。これが齎す危険を見過ごしてはならない”、“あの悲劇を次の世代に繰り返してはならない”、などと各国首脳の前で訴えた。
ロシアのプーチン大統領はモスクワのユダヤ博物館で行われた式典に出席したが、アウシュヴィッツを解放したのはロシアの前身旧ソビエトの軍隊だ。解放者の後継者として出席し、平和に協力する姿勢を見せて外交の孤立を脱却する格好の機会を逸した。
*)一方、加害者ナチス・ドイツの後継国家ドイツでは、前日の26日午後ベルリンでアウシュヴィッツ解放70年式典を、続いて当日の27日午前中には連邦議会で解放70年祈念の特別議会が開かれた。
また、公共放送ARDとZDFをはじめマスコミはこぞってアウシュヴィッツ解放70年に際し、ドイツ人が行った歴史上の惨劇を検証する特集報道を行っている。
この内、ベルリンでの解放式典には収容所の生存者の代表と共に60カ国以上の駐在大使らも出席し、アウシュヴィッツ解放70年の式典が催された。式典でメルケル首相は述べた。
“アウシュヴィッツは忌まわしきホロコーストの象徴であり、「文明の崩壊」というべきもの”で、ナチス・ドイツの犯罪なのだ“、“歴史は(直視するもので)忘れてはならない。何百万人もの犠牲者に対する責任があるのだ”。
テレビ・ニュースで、メルケル首相を囲んで式典に招かれた生存者が座り、信頼から生まれる老婦人の微笑みが印象に残った。
また特別議会ではガウク大統領が、“第二次大戦の歴史を忘れてはならず、アウシュヴィッツを抜きにドイツを語ることは出来ない、我々ドイツ人はホロコーストの記憶と共に生きるのだ”と語り、一方、“(今はウクライナ紛争で対立状態にあるが)アウシュヴィッツなどの解放は当時のソ連軍(ロシアは後継国家)の功績である”などと歴史的事実に念を押すのも忘れなかった。
ガウク大統領には、現在は対立しても将来はロシアもヨーロッパという共通の社会に加わるであろうし、その努力を忘れない、という信念があるようだ。
*)ナチス・ドイツが各地に設置した強制収容所で犠牲になった人たちは650万人とも言われる。アウシュヴィッツでは110万人が犠牲になったと言われ、7000人が生きて解放された。
アウシュヴィッツ祈念館のシフィンスキ(Piotr Cywinski)館長は、生き残った人たちが大勢出席できる節目の祈念式典は恐らく今年が最後の機会になるだろう、と語っている。
東欧各地の強制収容所を解放したのは旧ソ連軍で解放後、生存者のために食糧や衣服を提供するなどしており、生き残った人たちは今も感謝の気持ちを忘れない。
ドイツのガウク大統領、メルケル首相らが生き残った人たちと抱擁を交わし信頼と協力の絆を確認した。
一方のプーチン大統領、解放60年式典には出席しているのに、今回は欠席、旧ソ連軍が解放し生き残った人たちと世界が注視する場で会う最後の機会を逸してしまった。
(大貫康雄)
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