パン職人が怒りの閉店「子どもを守らない政府や行政、業界に抗議」~東京・西荻窪の廣瀬満雄さん
「抗議の閉店」。パン職人は苦渋の決断をした。子ども達を被曝から守るために─。福島第一原発事故以降、「ベクレルフリー」を掲げてきた東京・西荻窪のパン店「リスドォル・ミツ」が30日夕、閉店する。子どもたちを逃がさず「食べて応援」「福島は安全」ばかりを強調する国や行政。ベクレル検査もせずに料理を提供する外食産業…。経営者の廣瀬満雄さん(63)は、「店を閉じれば売名行為にもならない。今後もますます脱原発・脱被曝の声をあげていきますよ」と力を込める。
【つきまとった「売名行為」の中傷】
「政府、行政のやり方が尋常ではないですよ。実に酷い」
閉店を控えた忙しい最中、廣瀬さんは吐き出すように怒りを口にした。
「チェルノブイリ基準でいけば、事故のあった原発から半径280km圏内は、強制避難区域にするべきなんだ。もちろん、東京も含まれる。だから福島県全域に鉄条網を張り巡らせて人の出入りを禁じるくらいでいい。それが出来ないのなら、せめて中通りと浜通りの住民を全面的に疎開させるべきなんです」
地域経済の都合で大人は残らなければいけないのであれば、せめて子どもたちだけでも疎開を。未来を担う子どもたちだけでも被曝の危険から遠ざけたいと常に考えてきたが、実際の施策は逆行している。「国は有名タレントを起用して『食べて応援』などと宣伝する。東電は東電で、汚染水を海に垂れ流している。このままでは国が滅びてしまいますよ。私は左翼ではありません。むしろ愛国主義者なんです」
汚染が福島だけの問題とは考えていない。「原発事故直後、店舗の雨どいは100μSv/hくらいありました。西荻窪だってホットスポットはあるんです。でも公表されない」。せめて自分が売るパンはきちんと検査をした食材で作りたい。そう考えて取り組んできた。店舗の前には「ベクレルフリー」と大きく表示し、検査結果も掲示した。営業しながら発信し続けるという方法もあるが、何を言っても「結局は、自分のパンを売りたいだけの売名行為ではないか」との誹謗中傷がつきまとう。「物を売っているから正論を言っても叩かれる。自分も宣伝になるのは嫌だから、じゃあ、閉店して退路を断ってものを言おうと考えたんだ。繁盛している最中の閉店はインパクトも強いしね」。
独りだけの抗議行動は“焼け石に水”なのは分かっている。しかし、多くのお客さんでにぎわう店を閉じることで、食にかかわっている者としての想いを世間に伝えたかった。まさにパン職人が命をかけた“抗議の閉店”なのだ。
(左)国や行政への抗議の意味を込めて店を閉じる廣瀬さん。(右)JR西荻窪駅近くの店舗には、閉店を惜しむファンからの花束が飾られていた
【福島の弟子が悩む“村八分の恐怖”】
福島では、2人の弟子が開業している。電話で話をすると「脱被曝を言いたい。ノンベクレルを掲げたい。でも、そんなことをしたら村八分にされてしまう」と苦悩を打ち明けられる。「もの言えない空気」は年々、濃くなっているという。
叩かれる相手は同業者であり、食材の業者であり、そして消費者。「福島でいろんな人に話を聴くと、ほとんどの人が『逃げられるものなら逃げたい』という想いを口にする。でも、それを言わず、何事も無かったかのように生活している。国や行政が安全だと言っている以上、そうせざるを得ないんだね」。
そんな苦悩を知ってか知らずか、大手パンメーカーは食材を検査していないという。「パンの主要食材は小麦粉、牛乳、バター、水、卵です。しかし、どこも検査などしていませんよ」。食材の原産地の表記も無し。それは外食産業や弁当などの中食産業も同じだ。「現状を一番喜んでいるのがバイヤーですよ。国が安全だとお墨付きを与えているから、福島の広大な農地で栽培された野菜を二束三文で買い叩いていく」。
消費者も、時間の経過とともに原発事故を忘れて行く。「『のど元過ぎれば熱さ忘れる』は良くも悪くも日本人の国民性だけれど、今回はその悪い部分が徹底して出てしまったね」。
3月には64歳になる。自身にまだ孫はいないが、孫の世代のことが本当に心配だ。子どもたちを守らずして、この国の未来はないと考えるから。実は、米国の友人から「ロスに来ないか」と誘いも受けた。「ミツ、まだ日本にいるのか。あれだけの事故があったのに信じられないよ」と。だが、日本に残って声をあげていく道を選んだ。「福島に住む60歳以上の人々は、もっと腹をくくってものを言って欲しい。自分の孫を守れなくてどうするんですか」。
外部機関で1ベクレル以下であることを確認した食材だけを使ってきた。福島でも弟子が開業しているが「同じことをしたら村八分にされてしまう」と憤る
【妻は賛成。「あなたらしい決断」】
抗議の閉店は、1年ほど前から考えていた。夏ごろ、想いを妻に伝えたが反対はなかった。「むしろ、賛成をしてくれました。あなたらしい決断ですねって。別に貯えがたくさんあるわけではないけれど、妻は『スーパーのレジ打ちでも何でもやります。生活の心配はいりませんよ』と言ってくれた」と目を細める。
愛着ある店舗。店名は「輝くユリ」からとった。30日午後5時に幕を閉じる。店舗で配られた挨拶文にはこう、綴られている。「今まで可愛がってくださったお客様に申し訳ない」、「凄く無念であり、残念至極です」。
通信販売は既に完売。店舗には連日、多くのお客さんが訪れる。「さびしくなるわね」と女性客。店員の女性は「涙が出ちゃうから、閉店の話はしないで」と泣き出しそうな表情になった。
少しのんびりしたら、腹部に見つかった大動脈瘤の手術が3月に予定されている。7年前には脳梗塞を患っているため手術のリスクは7割と高いが、「残りの3割に賭けたんです。でもね、私の命なんてどうなったって良いんですよ。福島に残っている子どもたちと、その昔、ガス室の前に裸で並ばされていた人々と何が違いますか? 私にできることは何かを考えました。それが反旗を翻すことだったんです」と廣瀬さん。「もし、生きて帰って来られたら、今まで以上にますます声をあげていきますよ」と力強く話した。
(鈴木博喜/文と写真)<t>