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政治・社会問題解決に教皇フランシスコ強い意欲、今度はヴァチカンの官僚制を批判

 一昨年3月就任した教皇フランシスコ(Franciscus)、宗教者の立場から貧困や社会的不平等を撲滅しようとの姿勢には一般の我々にも強い決意が感じられる。

 22日、教皇フランシスコは教皇庁のクリスマス前の集会で高僧たちを前に、ヴァチカン(カトリック教会)官僚は“貪欲で偽善的”、と厳しい言葉で批判し改革を促した。

 

 この集会はクリスマス前の挨拶を交わす場だが、教皇フランシスコはその慣例を破り、教皇庁は今や病魔に引き裂かれている、と次のようにカトリックの聖職者たちを厳しい言葉で批判した。

 

*)枢機卿、大司教を問わず、己の経歴を権力や富を得るのに利用し、聖職者として、人々にあるべきことを語りながら、自分自身はそれを否定するように秘密裏に放蕩、自堕落な生活を送っている。何人かの高位聖職者は、徐々に精神的なものを失い、神と結びついていることを忘れ、物質的情熱・欲情、気まぐれや酔狂の奴隷になっている。

 

 この教皇フランシスコの強いヴァチカン官僚への批判は地元イタリアのコリエーレ・デラ・セーラは元よりヨーロッパの主要メディアがこぞって報じ、教皇フランシスコは居並ぶ最高位の聖職者たちの目の前で強い言葉で直接批判した、と。

 

 教皇フランシスコは昨年3月14日選任翌日の初めての記者会見で「貧しい人々のための貧しいひとびとによる教会を」目指すと語るなど、貧困に苦しむ人たちの救済に強い姿勢を打ち出した。

 また19日の就任式では、“貧者と環境を守る事こそ、死と破壊に勝利すること”と述べ、重要な教会の役割として、貧困に苦しむ人たちなど社会的弱者の救済と環境の保全を強調した。

 

 教皇フランシスコの際立つ点は、何と言っても言行を一致させようとする姿勢だ。

 アルゼンチン時代から豪華な司教館ではなく普通のアパートに住み、司教用のリムジンではなく自転車やバスなどで通勤していた。教皇の宮殿には住まず、他の聖職者たちが宿泊し、観光客も泊まれるホテル住まいにした。代わりに教皇の宮殿を一般に開放した。国際的儀礼ではローマ教皇は列記とした元首扱いだが、“聖務の高級車は必要ない“と教皇の公用車も300万円程度の普通車にした。

 

 路上生活者に手を差し伸べ、低賃金に苦しむ労働者への連帯を示し、失業の解決は全社会の問題だと訴える。

 宗教上のドグマに必ずしも囚われずに現実を無視しない。異なる宗教間の協力にも積極的。同性愛者や未婚の母など社会的差別の被害者への支援も不可欠だと言い、社会的諸問題の解決に政治の立ち遅れを指摘する。

 

 その教皇フランシスコ、疑惑がささやかれてきた不透明なヴァチカンにメスを入れ、マフィアの反発を覚悟で財政部門の透明化に乗り出した。6月にはマフィアを“反社会的”と批判している。ヴァチカン銀行などの財政部門改革委員会を作り、2015年2月には報告書が出る。

(この教皇の強い姿勢を受けるかのように、イタリアではこれまでになく強いマフィア摘発が進んでいる)

 

 就任以来1年8カ月、エルサレムを訪問し、キリスト教3派との和解やユダヤ教聖職者たちとの交流。イスタンブールを訪問し、靴を脱ぎはだしでモスクに入りトルコのイスラム聖職者との協調を謳う。そしてアメリカとキューバの国交回復交渉への橋渡しの役割も演じた。

 

 教皇フランシスコには貧困や失業、差別など社会的諸問題の解決には今や政治に任せるだけでは不十分、解決できないのではないか!との危機感があるようだ。

 内外での言動はダイナミックでさえある。言葉だけでなく理念を実践していく姿勢は確かなようだ。

 

 貧困や失業、差別、人権侵害など政治的・社会的諸問題は今や世界中で放置されたまま。

 教皇フランシスコには、諸問題の解決には今や政治に任せるだけでは不十分との危機意識があり、宗教者も積極的に関わるべき、との覚悟がうかがわれる。

 

(大貫康雄)

PHOTO: presidencia.gov.ar [CC BY-SA 2.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)], via Wikimedia Commons