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本人不在のままスノーデン氏らに人権貢献賞

 米NSAの膨大な通信盗聴・傍受事件を明らかにしたスノーデン(Edward Snowden)氏、日本では肝心のマス・メディアが政府に従い、事件を過小評価、極小報道に終始したが、ヨーロッパは忘れていない。スノーデン氏ら膨大なデータを報じた3人が人権擁護に貢献したとして国際人権連盟から今年の「カール・フォン・オシエツキ賞(メダル)(Karl von Ossietzky)」を送られた。

 

 御存じの通りスノーデン氏は、ロシアに亡命状態でドイツへの入国を認められずベルリンでの授賞式には出席できずビデオでの挨拶となった。またスノーデン氏の膨大なデータを英ガーディアン紙上でいち早く報道したブラジル在住のジャーナリスト・グリーンウォルド(Glenn Greenwald)氏も欠席。

 スノーデン氏のデータを受け取りグリーウォルド氏ら世界のメディアに提供したベルリン在住のドキュメンタリー・プロデューサー、ローラ・ポイトラス(Laura Poitras)氏だけが授賞式に出席、メダルを受け取った。

 

 授賞式にはドイツのゲルハルト・バウム(Gerhart Baum)前内務相らも出席し、“3人は良心に基づき、自分自身の自由を危険に晒すのを覚悟で大変な勇気をふるい、アメリカ政府やドイツ政府の権力の乱用を世界に知らせ、人権擁護に多大な貢献をした”と讃えた。

 

 スノーデン氏らが受賞した賞は、20世紀初めのドイツのジャーナリスト、カール・フォン・オシエツキの功績を讃えてベルリンに本部がある国際人権連盟(International League for Human Rights)が1962年創設、これまでにノーベル賞作家のギュンター・グラスやハインリヒ・ベルなどが受賞。

 

 オシエツキは第一次大戦前の1913年、ドイツ帝国の裁判所の軍国主義的な姿勢を雑誌上で批判して拘束されるなど、平和と自由を擁護するジャーナリストとして知られる。戦後は平和主義ジャーナリストとして活動を強め、1931年ドイツ政府がヴェルサイユ条約に違反して空軍を創設しようとしていると批判。このため国家の秘密を暴露したとして逮捕され、1年余り収監される。

 ヒトラー率いるナチス政権が成立するとオシエツキは再び強制収容所に収監される。

 

 35年収監中にノーベル平和賞を贈られた時、オシエツキは既に重い結核で健康が悪化していたがナチスは授賞式への出席を禁止。1年後ノーベル賞を受け取るが38年、収容所内で死亡する。

 ナチス政権は表向き、オシエツキがノルウェー行きのビザを取得できると発表しながら、実際は出国を認めずオシエツキには授賞を拒否するよう迫る。オシエツキはナチスの強要を拒否し平和賞を受け取るメモを公表するが、ナチスはドイツのメディアに、オシエツキのノーベル平和賞受賞に関する一切の報道を禁止した。

 

 カール・フォン・オシエツキ賞の授賞式に出席できなかった受賞者は、他に2010年の受賞者、イスラエルの核開発施設を公開した平和活動家モルデカイ・ヴァヌヌ(Mordechai Vanunu)氏がいる。イスラエル政府は国家の安全保障上の秘密を暴露したとして氏の出国を認めず、ベルリンでの授賞式に出席できなかった。

 

 オシエツキの生涯やオシエツキ賞受賞者を巡る展開は、国民が目を光らせないでいると秘密は一つでも作られると次々に増え、刑罰も強化されて行くのを考えさせる。

 

(大貫康雄)

画像:Edward Snowden Facebookページより