給餌続ける女性の涙。「アホな人間のせいでごめんね」~飯舘村の犬猫たちが強いられる孤独と被曝
原発事故の犠牲者は人間だけではない。家族同然に生活を共にしていた犬や猫たちも孤独や被曝を強いられているのだ。15日、飯舘村に残された犬や猫たちに無償で給餌を続けている野口圭子さんに同行した。全村避難中の同村は、仮設住宅でのペット飼育を禁じている。犬たちが震えているのは厳しい寒さのせいか、寂しさか、はたまた怒りか。「これこそ人災ですよ」。涙ながらに食事を与えながら野口さんは動物たちを抱きしめる。「アホな人間のせいでごめんね」。
【犬は泣く。「独りぼっちにしないで」】
犬は泣いた。かん高い声でいつまでも泣いていた。それはまるで、「もう、独りぼっちにしないで」と叫んでいるようだった。「私も、いつもここで泣いてしまうんですよ」。野口さんの目にも涙が浮かんでいる。「ずっと一緒にいられなくてごめんね」。犬を抱きしめながら謝る。胸に去来するのは哀しみであり、悔しさであり、人間の愚行に対する謝罪。原発事故さえなければ、この子たちにこんな想いをさせずに済んだ。しかし、感傷に浸っていては他の動物たちに会うことが出来なくなってしまう。「どうしよう…。帰れない」。意を決するように車に乗り込む。ルームミラー越しに、車を目で追う犬たちの姿が見える。「この瞬間が本当につらいです。耐えられないですよ。この子たちには何の罪もないのですから」。
福島第一原発の爆発で拡散された放射性物質は飯舘村にも降り注ぎ、全村避難が続いている。日中の出入りは自由だが、宿泊は不可。加えて、福島市などに用意された仮設住宅へのペット同行が禁じられたため、犬や猫たちは高濃度に汚染された自宅に取り残される形となった。被曝と孤独を強いられながら、暑い夏も寒い冬も飼い主の帰りを待つ。バケツの水は、数センチの厚さで凍っていた、「4年もああやって待っているんですよ…。本当に酷いです。飼い主の方だって、大変な想いで避難しているんですよね」。
4年間で犬や猫たちの名前を覚えるまでになった。犬の散歩も飼い主から託されている。積雪が深くなり始めたためわずか十数分間だが、つかの間の散歩でも犬たちの表情は大きく変わる。「また私と一緒に散歩してね」。そう言う野口さんに、犬たちは「もっと一緒にいて」と甘える。そして再び、涙。猫たちも遠くから見つめている。「これこそ人災ですよね」。総選挙もアベノミクスも無縁な動物たちは、ただ人間の身勝手さに振り回されるばかりなのだ。
原発事故以降、無償で給餌を続けている野口さん。孤独と被曝を強いられている動物たちからは熱烈な歓迎を受ける。野口さんは「一緒にいられなくてごめんね」と涙ながらに謝る=飯舘村
【六ケ所村で見た電力会社の不誠実】
この日は郡山市内を午前6時に1人で出発。自らレンタカーを運転し、午前8時すぎには飯舘村に入った。トランクには動物たちの食事がぎっしりと積み込まれている。「雪道の運転には慣れてなくて時間がかかってしまいました」。連日の雪で道路は真っ白。青空が広がるが、氷点下の寒風が吹きつけ地吹雪が舞う。真冬の給餌は寒さと時間との闘い。午後5時には完全に真っ暗になってしまう。一軒でも多く巡りたい。除染作業員の間を縫うように先を急いだ。
都内在住の野口さんは、動物保護団体などに属することなく2011年4月から1人で動物たちの世話を続けている。若い頃、映画「チェルノブイリクライシス」の日本上映に携わったことが、原発問題に触れるきっかけとなった。青森県六ケ所村にも足を運び、使用済み核燃料の再処理工場反対運動を目の当たりにした。「あの時の日本原燃社員の不誠実さは、今の東電と一緒でした」。だから福島第一原発の爆発事故は他人事とは思えなかった。自分に何ができるか。動物看護師の資格を持つ野口さんが選んだのは、飼い主と離れ離れにされてしまった動物たちの世話だった。
百円ショップでホワイトボードを買い、訪れた家に用件と電話番号を書き残した。飼い主から礼の電話をもらったり、返事が書き残されてあったりして徐々に交流が深まっていった。動物の怪我や病気に気付いた時には、了承を得て病院に連れて行ったこともある。「置き餌も良し悪しなんです。イノシシなどを引き寄せてしまう。だから、頻繁に帰宅なさっている家では量を少なめにしています」。
1回にかかる費用は3万5千円ほど。多い月は10万円を超す出費となる。寄付を募っているわけでもなく、「月給の半分以上を給餌に使ってます」と苦笑するが、愚痴は一切こぼさない。昼食は、おにぎりを車内で食べて済ます。「勝手に体が動いてしまう。気付いたら村に来ているんです」。
26軒目の給餌と犬の散歩を終えた時、時計の針は午後5時を回っていた。「真っ暗になってしまったので仕方ないですね。後は明日にします」。そう言って、野口さんは郡山市内の宿へ戻った。
レンタカーに餌をたくさん積んで飯舘村を訪れる。犬だけでなく猫やニワトリ、豚の食事も。多い月は10万円ほどかかるが、すべて自前。「逢いたくて来てしまうんです。私は遊んでもらってるだけですよ」
【避難先に連れて行かれない苦悩】
帰宅中の飼い主との会話は楽しみであり、励まされる。
福島市の民間借り上げ住宅で暮らす男性は、愛犬に食事を与える野口さんに「いつもすみません」と頭を下げた。「家主さんは飼っても良いって言ってくれてるんだけど、何だか『飯舘から避難して来て犬まで連れて来ている』って周りから思われるのが嫌でね…」。愛犬が食べ残した食事をキツネが狙ってくるが、「吠えることもなく、仲良く一緒に食べてるよ」と目を細める。
別の60代男性は、数匹の猫を自宅に残したまま、福島市内の仮設住宅に避難した。先祖代々、農家を続けて来た。かつては葉たばこであり、最近はインゲン豆。しかし、再び自宅で暮らすことも野菜作りも見通しが立たないまま4度目の正月を迎えようとしている。「この家を30代の息子に引き継ぎたいけど、ここに帰ってくるかどうか分からないからね…。総選挙なんかやってないで、早く何とかして欲しいよ」。
給餌を終え、次の家に向かうまでの間の景色は常に同じ。除染作業員と真っ黒いフレコンバッグの山、山、山。しかし、除染が済んだという家でも、地表真上で10μSv/hを超すことも珍しくなく、犬と同じ視線の高さで1.4μSv/hを超した家もあった。孤独と被曝の二重苦を強いられている動物たちの世話をすることで、「少しでも一緒の時間を共有できれば…。ほんの一瞬ですけどね」と野口さんは話す。
「再び飼い主と一緒に暮らせる日が来るまで、給餌を続けて行きます」。野口さんの足元では、2011年に飯舘村で初めて出会った犬の「クマ」が、あおむけになって気持ちよさそうに撫でられていた。
(鈴木博喜/文と写真)<t>