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異常なノーベル賞報道と平和賞受賞者の主張との落差

“ノーベル物理学賞受賞者は3人の日本人!”

 素晴らしいニュースだ。しかし発表以来のテレビ報道は“異常”と言えた。

 3人の業績がいかなるもので、如何にして画期的な発明が可能になったのか、それを報じるのは当然だ。

 

 授賞式までの数日間は、礼服の具合とかお土産の買い物など、科学的業績ではなく、3人の日々の生活を同じ映像を使って繰り返した。

 一方で総選挙の報道が片隅に追いやられた。日本の抱える課題を取り上げ、検証し、各党候補者の政見を比較して有権者の判断材料を与えるべき時間帯の筈だが、NHK報道はまるで3人の受賞者の一挙手一投足だけを追うワイドショーと化した。

 

 それでいて化学賞受賞者は、医学生理学賞は誰に贈られたのか?文学賞は?経済学賞は?

 平和賞を除き他の分野の受賞者の紹介は殆ど無かった。テレビ局は何故こんな報道をしたのだろうか?

 

 今年のノーベル平和賞受賞者は、いずれも子どもの人権を守る活動に貢献した二人。授賞式では二人の不退転の言葉が胸に響いた。

 一人は既に世界的に知られるマララ・ユスフザイさん(17歳)と、もう一人は知る人ぞ知るインドで子どもの奴隷労働を無くす活動を進めてきたカイラシュ・サティヤルティさん(60歳)。

 二人の言葉からは、なるほど平和賞受賞者に相応しい、経験に裏打ちされた重みが感じられた。

 

 最年少受賞者のマララさんについては昨年、英BBCと米CNNが彼女を受賞者にすべきとのキャンペーンを繰り広げた。

 マララさんの勇気と活動は多くの人たちから称賛され、筆者もそれは否定しないが、BBCとCNNは報道機関の一線を越え当事者になってしまった。

 

 これに対し、ノーベル平和賞委員会は、有力メディア自体が圧力団体化した状況下で化学兵器禁止機関OPCWを受賞者に選び、見識を示した。

 

 今年はそのマララさん一人だけでなく、長年の実績を誰も否定できないサティヤルティさんにも平和賞が贈られ、ノーベル平和賞委員会は一つの見識を示した。

 

 サティヤルティさんはインドで30年に亘り子どもの奴隷を撲滅する活動を時には命をかけて推進し、これまでに8万人もの子どもたちを奴隷労働から救い出した。

 大変な数だ。救われた子どもの中には今や大学の教員も出るなど社会の第一線で活躍し、サティヤルティさんのNPOに加わり、奴隷労働の子どもを救出する立場になった青年もいるという。

 

 授賞式でマララさんは、2年前少女の教育を認めないタリバンに頭を襲撃され瀕死の重傷を負った時を振り返り、“あの時、私の弱さが死んだ!”、と強く覚悟したことを振り返り“賞は私だけに与えられたのではない”などと語った。

 授賞式に参加できず、教育を受けられないで苦しむ何千万の少女たちがいる、と空席の椅子を示したのが印象的だった。

 

 サティヤルティさんは、5~6歳の時、同じ年代の子どもが学校にも行けず奴隷労働を強いられているのに衝撃を受けたこと。この体験が後に電気技師の職を投げ打ち、奴隷労働の撲滅と子どもの救援活動に身を投じる動機になったこと。

 そして“子どもの奴隷労働の最大の敵は無関心である!”、と、我々一人一人が社会の問題に関心を持たなければ何も解決できないことを指摘した。

 また“沈黙するな。問題があれば声を上げるべき“、と一人一人の力が必要なことを訴えた。

 30年間、時には子供の雇い主から銃撃されるなど命を危険に晒した、その実績から発せられる言葉だった。

 

 メディアの中にはインド人とパキスタン人二人の同時受賞でインド・パキスタン両国の敵対関係を終わらせたい狙いもあるとも解釈する所もある。

昨年以来マララさんの応援団となったのか英BBCと米CNNなどは、タリバンに襲撃される劇的な体験を経たマララさんを主体に平和賞の授賞式を報じていた。

一方独ZDFは二人を交互に、ほぼ同じ時間を割いて二人の功績を等しく讃えていたのが対照的だった。

 

 それにしてもノーベル賞報道も掘り下げがなく浅薄になってしまった、日本のマスコミの矜持は一体どこに行ってしまったのだろう?

 

(大貫康雄)

PHOTO by Claude TRUONG-NGOC (Own work) [CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons