ありがとうケトランジ大使 駐日アルジェリア大使シド・アリ・ケトランジ氏帰国
駐日アルジェリア大使シド・アリ・ケトランジ氏が、2015年1月16日付けで日本を去られる。日本大使を9年半以上も務められていたから、もうそろそろかな?と覚悟はしていた。しかし、アルジェリアの友人や日本アルジェリア協会員の間で大使交代の噂が飛び交い、大使秘書から具体的な退官日程や後任大使の名前を知らされ、とうとう大使自身の口から帰国を聞かされてくると、だんだん悲しさがこみ上げてきた。
「セラヴィ(それが人生さ)」と、大使は言うけど、「人生って辛いのね」とうなだれてしまう。百万遍のありがとうを籠めて、大使に助けて頂いたSJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)の小史を綴ってみる。大使はSJJAのイベント全てに参加された。まことに、ケトランジ大使のお助けがなかったら、SJJAは存続しなかったかもしれません。
【2010年6月7日<日本西サハラ友好議員連盟設立総会>】
6月7日 、<日本西サハラ友好議員連盟設立総会」が設定された。ところが6月2日 に突然、鳩山元内閣総理大臣が辞任し、政界は大激震。しかも<日本西サハラ友好議員連盟設立総会>と同じ7日の 午後4時から民主党両院議員総会が急決定されたのだ。誰もが設立総会の開催を疑った。しかし、何故か流れは止まらず、十数人の議員と関係者約20名が駆けつけた。そして、シド・アリ.ケトランジ駐日アルジェリア大使が、アルジェリアに居候をしている西サハラ難民の事と、そのキャンプに拠点を置く西サハラ難民政府の事を話した。大部分の参加者が西サハラの事を知らなかった。
【2010年7月2日アルジェリア大使のメッセージ】
アルジェリア独立記念日を祝して、ケトランジ大使から以下のメッセージを頂いた。
「過酷な闘争を経てアルジェリアが独立を果たした時、私は11才だった。その直後に、植民地当局から何年も獄に繋がれていた父が帰還した。そして、長い迫害と人格否定の後に、アルジェリアの人々は自由を満喫した。尊厳の回復とともに、人々が国家再建という新しい使命を全うするため、団結すべき機が熟していた。
青年期に私は、勝利に輝いたアルジェリアの独立運動は、全アフリカ大陸解放の活力を躍進させるのだと、強く感じるようになった。それは国連が提唱していることでもある。その主旨に添ってアルジェリアは人権問題に取り組んできた。
今日、我々アルジェリア人民は、経済的社会的発展と民主的社会の構築を前進させつつ、国際協力と連帯に向け不断の努力を惜しまないと、誓う。例えば、マグレブ圏構築のための協力、それから西サハラ人の民族自決権施行を基本にした、国際法に基づく西サハラ問題の解決などなどがそれだ。私は、恒久平和と安全保障は、なによりも人権問題の解決いかんによると、固く信じている。私の言う人権とは、国連が規定しているように、全ての人々の権利を指すものである。」
【国連脱植民地化50周年国際会議】
2010年12月13日、14日とアルジェで開かれた「国連脱植民地化50周年アルジェ国際会議」に、ケトランジ大使が招待してくれた。
2010年12月13日午前11時、「国連脱植民地化50周年アルジェ国際会議」は1時間遅れで始まった。ひな壇には会議の議長オバサンジョ元ナイジェリア大統領、ゼリホウン国連事務総長代理(当時)、ムーサー・アラブ連盟事務局長(当時)、ジャン・ピン・アフリカ連合議長(当時)、メッサール・マグレブ・アフリカ・アルジェリア担当大臣(当時)などが並ぶ。そして、半円形の来賓席には、ムベキ元南アフリカ大統領、カウンダ元ジンバブエ大統領、故ベンベラ初代アルジェリア大統領などアフリカ諸国独立の志士たちが坐る。
そして、その真ん中に西サハラ難民亡命政府大統領アブドル・アジズがいた。
この日の午後には、ワークショップNo.1で国連決議1514「植民地独立付与宣言」の意義と適用が検討され、ワークショップNo.2で「国連脱植民地化運動」を巡るプレスの役割が討議された。ワークショップNo.2で、アルジェリア政府は招待したプレス関係者に発言を強要した。筆者も飛行機代や宿泊費を支払ってもらった手前、スライドショーを見せながら日本での西サハラ問題を巡る動きを報告する。そして、「日本ではほとんどの人がアフリカ最後の植民地.西サハラ解放運動のことを知らない」と、訴えた。
【2011年4月1日、8億円東日本大震災義捐金を渡す】
シド・アリ・ケトランジ駐日アルジェリア大使が東日本大災害のため、8億円の義捐金を日本赤十字に献上した。他のアラブ諸国に比べ高額なので、筆者はアルジェリアに駐在していた友人の商社マン、吉田光彦さんにアルジェリアの思惑や現地の反応を聞いてみた。その答えは、「アルジェリアも地震国で、2003年のブーメルデス地震の際、日本が援助したことが背景にあると思う。あまり政治的な背景はなく、単に困っている人に対して協力したいというアルジェリア人一般の考えがベースにあるのでは…。」
本当に「アルジェリア人はいい奴」だ~! その義侠心は、1975年に西サハラ難民を受け入れ、今日まで面倒を見てきたことにも現れている。西サハラ難民キャンプはアルジェリア最西端にあるチンドゥ―フ軍事基地の外れにある。35年前、約5万人の西サハラ難民を迎えたブーテフリカ外務大臣(当時)は現在アルジェリア大統領として、西サハラ難民が目指す「国連西サハラ住民投票」実現のため、惜しみない支援を続けている。
西サハラ難民は現在約20万人に膨れ上がっている。国連難民高等弁務官や世界食糧計画や國際NGOの支援食料を頼りに、西サハラ難民は細々と命を繋いできたが、たびたび食料危機に襲われてきた。そんな時、アルジェリアがいつも緊急援助をしてくれるのだ。
【2011年5月11日~16日、西サハラ難民政府全権大使ベイサットの訪日】
アルジェリア大使はベイサット西サハラ難民政府全権大使の訪日に関して、ベイサット大使の往復飛行機券を作ってくれ、大使館の宿を提供してくれた。 アルジェリア大使の心の篭った援助がなかったら、ベイサット大使の訪日が悲惨なものになっていたに違いない。
5月14日午後2時から京都大学で講演し、翌15日は京都見物などせず、早朝に伊丹空港から離陸。午前9時30分に仙台空港着、9人乗りのミニバスを借りきり仙台駅へ。石巻相川子育て支援センター避難所では阿部避難所所長と被災者の方々が、白いブーブー民族衣装の大使を明るく迎えてくださった。
アルジェリア大使はアルジェリアと日本の国旗にアルジェリアの風景をあしらった50枚のTシャツを配った。そして石巻の漁師さんたちにアルジェリア・ワインを約束した。日本で最後の5月16日、この日もベイサット大使のスケヂュールはびっしり詰まっていた。午前11時、宿泊先のアルジェリア大使館で、アルジェリア大使も含めてベイサット大使と最終日の打ち合わせし、将来の計画を語り合った。
「36本のアルジェリア・ワインを避難所に送ったよ」と、アルジェリア大使がこともなげに言った。「エッ、マジ!!」ベイサット大使と筆者は思わずアルジェリア大使の手を握った。アルジェリア大使は「たいしたことないよ」と照れ笑いした。アルジェリア政府からの8億円東日本大震災義捐金の話をしてくれた時も、大使は照れていたっけ…。
2011年12月12日~20日まで西サハラ民族大集合取材。ビザ無料の招待。
2012年10月19日~26日、難民キャンプ取材。ビザ無料の招待
2012年11月20日、TICADⅤに西サハラ招待要望書を浜田外務政務官に渡す
2012年12月20日、明治学院大学国際平和研究所の研究会で、大使も講演。
【2013年、イナメナス事件】
そして、2013年1月、イナメナス事件が起こった。
日本人10名がアルジェリアの砂漠にあるイナメナス天然ガス・プラントで殺された。最後の犠牲者、日揮最高幹部の新谷正法氏とは一度、アルジェリア大使公邸のパーティーでお目にかかったことがある。記念写真をお願いしたら、「いや~そういう事は苦手で、」と、しり込みされた。謙虚で誠実でシャイで、小柄なこの方が日揮の副社長(当時)として、世界を駆け巡る企業戦士とは思えなかった。
が、一番大変だったのは大使だった。<アルジェリアはテロ国家>という噂を、敵国は撒こうとしていた。しかし、駐日アルジェリア大使は鋭い外交感覚と、巧みな外交手腕でこの難しい事件を乗り切った。
【TICADⅤから仲間外れ】
2013年4月22日から27日まで、ムロウド西サハラ・アジア担当大臣が滞在した。大臣の来日目的は、6月1日から3日まで横浜で行われるTICADⅤ(第5回アフリカ開発国際会議)への参加を直訴するためだった。逢沢一郎議員、生方幸夫議員、笠井亮議員、柿澤未途議員、福島瑞穂議員、鳩山由紀夫元首相などの政治家に会った。明治学院大学では約200名の学生を前に、早稲田大学院では約50名の大学院生と教授を前に、京都の西サハラ問題を考える集会では活動家や有識者を前に、「西サハラをTICADに招待して欲しい」と訴えた。
しかし、モロッコの悪賢いロビー活動に妨害され、AUアフリカ54正式加盟国のうち西サハラ1国だけが、招待されなかった。
【2013年10月23日、西サハラへの誹謗中傷を玉砕】
CORCAS (モロッコ王室サハラ諮問機関)が、「日本の法務省によるテロリスムに関する年次報告で、南アルジェリアのチンドゥフにあるポリサリオを、40以上あるアフリカのテロリスト組織の一つにした」と、発表した。モロッコ・スパイ機関がつまみ出したこの短い文は、情報提供組織の一つである公安調査庁の膨大な<年次報告>の中の、<国際テロリズム>の中の、<世界のテロ組織等の概要・動向>の中の、7ページに及ぶ<イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ>の中の、隅っこに記述されている。この噂をネタにモロッコは、法務省や日本政府を登場させ、「日本の年次報告はポリサリオをアフリカのテロリストと位置づけた」という看板を捏造しようとした。
駐日アルジェリア大使は外務省や法務省や公安調査庁に直接掛け合い、この文章は単なる架空の報告にすぎないことを確認した。もともと公安調査庁には、政府見解を出す権限などない。
2014年1月9日~15日、難民キャンプ取材。ビザ無料の招待。
2014年1月30日、明治学院大学国際平和研究所の研究会で、大使も講演。
【2014年4月25日、「西サハラの会」で大使も挨拶】
一年ぶりでムロウド西サハラ難民政府アジア担当大臣が羽田に降りたった。
第二衆議院議員会館で旧知の笠井亮衆議院議員と再会を喜び、11時に隣の参議院議員会館に飛び込み、江田五月参議院議員の事務所で<西サハラ問題を考える会>の打ち合わせをする。12時、鳩山由紀夫元内閣総理大臣を迎えて会が始まった。途中参加した福島瑞穂参議院議員は<西サハラ民族の独立運動>を支持している。江田五月参議院議員は<日本西サハラ友好議員連盟>の初代会長だった。
そして、2014年4月28日、
「Thank you so much for sending me this report and photo. I regret very much that I was unable to join you to explain the role of the United Nations in this conflict, which has gone on far too long. (報告と写真を私に送ってくれてありがとう。あまりにも長い年月がかかっているこの紛争に関して、自ら国連の役割を話しかった。会に参加できなかったことが悔やまれる)
With best regards(敬具),
Christopher Ross(クリストファー・ロス、事務総長西サハラ個人特使)
Personal Envoy of the Secretary-General for Western Sahara」
と、国連事務総長西サハラ個人特使クリストファー・ロスから、筆者に連絡がきた。
筆者はケトランジ大使の生年月日や出生地など知らない。そんなもの、大したことではないし、あえて記すこともない が、大使が折に触れ筆者に投げかけてくれた示唆はぜひ書き起こして、共有したいと思う。
品の悪いことにかかわるな(モロッコの悪質な中傷や妨害に関して)
秘密はばれるもの(モロッコのスパイ活動に関して)
喧嘩を売るな!モロッコを正気に戻らせ国際秩序の中に呼び戻せ(国連平和交渉を拒否するモロッコに対して)
駐日アルジェリア大使シド・アリ・ケトランジ閣下、改めて、数年間にわたるご協力にとご指導、「ほんとうにありがとう」
(平田伊都子/文・写真提供)<t>