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【保養】送り出す側の苦悩、受け入れる側の葛藤~郡山で「いのちと希望の全国交流会」

 放射線防護の基本は放射線から遠ざかることだ。「保養」は、その手段の一つ。福島県郡山市で30日に開かれた「いのちと希望の全国交流会」では、福島県内で親子を保養に送り出している側と全国で受け入れている側が一堂に会し、それぞれの苦悩や課題について意見交換した。原発事故からもうすぐ丸4年。連携を強化して保養を息長く継続することが、子どもたちを守ることになる。

 

【「保養に行くのを邪魔しないで」】

 わが子を放射線から少しでも遠ざけるための保養。送り出す側の福島の関係者からは、その選択を尊重して欲しいという声が多く出た。

 「保養に行きたいということすら口にできない」のは、原発事故直後から変わらない。意思表示を躊躇させるのは家族であり、友人。「自分の住んでいる街が汚染していると思われたくない人々」「放射線のことなど気にしていないと自分に言い聞かせている人」の存在が大きな壁となることがあるとの指摘が出た。二本松市の女性は「夫が初めて講演会に足を運んでくれた」と涙を流した。「郡山に住んでいる妹に保養や避難を勧めたことで、溝が生じてしまった」と打ち明けた人もいた。

 「行政は汚染をなかったことにしたいのだろう」「あえて外運動を推進するなど、学校側の安全アピールも障壁となっている」という意見も。「保養に行くのを尊重しなくても良いから、邪魔をしないで欲しい」という切実な声まで出た。放射線防護や被曝回避という親として至極当然な取り組みが、福島では人目を気にしながら行われているというのが実態なのだ。

 「実害が出ないと動かない」という意見もあったが、既に取り組んでいる団体もある。北海道の受け入れ団体は「保養の意義を見える化するため」に尿検査を実施した。福島と保養先で採尿したものを比較すると、保養することでセシウムの減少が確認できたという。

保養先の誤解もある。

 ある団体は、地元住民から「福島の人達が来ると放射線量が上がる」と言われたことを受けて、精密な線量計で測定することで誤解を解いたという。「当然、通常の数値なのですが、変な概念が出来上がってしまっている」。国や行政が保養を積極的に推進して来なかった結果が、これだ。

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福島から送り出す側、全国からは受け入れる側が一堂に会して「保養」のあり方について意見交換した=郡山市・小原田地域公民館

【「受益者」は卒業しよう】

 一方で、受け入れる団体の経済的・人的な苦労も浮き彫りになった。

 「何が大変かって、続けられるかどうかですよ」と男性は言った。「保養貧乏」などという言葉も。一方で、福島から参加する親の中には無料参加にこだわる人も少なくない。「いつまでも被害者・受益者でいるのはやめよう。当事者になろう」という声が、郡山の母親から出た。北海道で受け入れ団体を切り盛りしている女性は「福島の人はわがままで良いと思う。泊原発から比較的近い場所に住んでいるが、いつ同じ立場になるか分からない」と話したが、保養参加者は「お客さん」ではない。「受け入れ側が傷つき、参ってしまうケースもある」という。ニーズのずれがあるという意見も出た。

 行政をどう巻き込み、動かすかも大きな課題だ。福島県川俣町の女性は「活動の原点は怒りや哀しみだが、怒りだけでは行政は動かせない」と話した。須賀川市の女性が言うように「どれだけこの国が子どもを守らない国か」という怒りはもっとも。しかし、行政を巻き込むことによって、チラシの全戸配布、学校での配布など「情報格差によって生まれる保養弱者」を少しでも減らすことができるのも事実だ。リピーターばかりで、保養にすら参加していない親子の掘り起しが課題であるだけに、行政と対立ばかりしてもいられない。

 宮城県丸森町の女性は話した。「町の姉妹都市である北海道北見市にこちらから行かれるように働きかけたい」。

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保養についてありとあらゆる意見が出された交流会。主催者側はこれらを冊子にまとめ、共有していく方針

 

【親のためにも必要な「保養」】

 交流会を主催した「311受入全国協議会」の共同代表・早尾貴紀さんは「保養には、これから長く取り組んで行かざるを得ない。どうしたら息切れせずに続けて行かれるか。送り出す側、受け入れる側がつながりながら一緒に考えて行く土台づくりができたのではないか」と振り返った。

 自身、山梨県で「いのち・むすびば」を運営し、福島などからの移住支援を続けている。「甲府盆地までは汚染が届いていないため、移住希望者がなくならない」と早尾さん。2012年11月から12月にかけて甲府市や大月市、北杜市などで土壌を採取したところ、ほとんどでセシウムが1kgあたり6ベクレル以下。100ベクレルを超えたのは124検体のうち2検体だけだった。早尾さんは「あくまで参考値」と話すが、保養や移住先としてふさわしい土地であることが分かる。

 福島大学の西崎伸子准教授は「保養は日本では未知の世界。水俣病は60年経ってもまだ終わっていない。原発事故から4年目のここでどう取り組むか」と問題提起した。前日に開催された保養相談会には、200組の家族が訪れたという。郡山の母親は言う。「お母さんは『反原発』ではない。今夜の食事のためにどうやって安心できる食材を手に入れるか、なんです」。福島などで必死に放射線防護に取り組む母親のためにも、保養プログラムは必要。だからこそ、送り出す側と受け入れる側の意見交換は持つ意義は大きい。

 参加者の一人が会場を見渡して言った。「全国からここに集まってきた人は、福島で必死に生きている私たちの希望なんです」。

 間もなく、原発事故から3年9カ月。

 

(鈴木博喜/文と写真)<t>