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国ごとに歴史評価の差が出る11月11日

 今年は第一次世界大戦勃発から100年、8月はじめ西ヨーロッパ各国では敵味方を越え、不戦と協力の誓いを新たにしたことはこの欄で先に紹介した。

その第一次大戦は各国の予想を遥かに超え4年間続き、1000万以上の戦死者を出した上1918年11月11日休戦が実現した(「停戦の日」Armistice Day)。

以来ヨーロッパでは大戦争Great War(英)、Grosser Krieg(独)、Grande Guerre(仏)などとも言われるほど、参戦国国民に深い傷跡を残し、この日を「停戦の日」とか「英霊祈念日」(第一次、第二次両大戦ともに)として毎年祈念されている。

 96年後の今年の「停戦の日」、西ヨーロッパ各国は敵味方を越え、戦死者を追悼し、戦争が如何に悲惨で人権侵害の最たるものかを考える機会にした一方、アメリカは「退役軍人の日(Veterans Day)」としてニューヨークの5番街などで退役軍人らがパレード、戦死者の追悼・不戦の誓い、というよりは、軍人たちの祖国への貢献を讃えた。

 旧東欧圏のポーランドには123年ぶりに独立を回復した日だが、右翼・国家主義者が今年も暴動を起こし、国によって過去の克服、歴史の見方・解釈の差が表れる日になった。

 

 フランスの「停戦の日式典」ではオランド大統領がパリの凱旋門下に眠る無名戦士の墓に献花をした後、フランス北部ベルギー国境に近い第一次大戦の激戦地アブレーン・サン・ナゼール(Ablain-Saint-Nazaire)に建立した祈念碑の序幕式典を催した。式典では軍人・兵士1000万人余りに数百万の一般市民も犠牲になったことを知らせ、祈念碑にはこの内敵味方、国籍を問わず58万の戦死者の名がアルファベット順に刻まれた。

 フランスの「停戦の日」式典には2009年ドイツのメルケル首相がドイツ首脳として初めて出席した。

 今年はドイツのフォン・デア・ライエン(Ursula von der Leyen)国防相、ノルトライン・ヴェストファーレン州のクラフト(Hannelore Kraft)首相、それにイギリス、ベルギーの外交官達が出席し、戦争に勝者も敗者もなく、人道上最悪の悲劇であるとして不戦とヨーロッパ各国の協力の誓いを新たにした。テレビ映像だけでの印象だが、オランド、フォン・デア・ライエン両氏が抱擁し見つめ合う表情には確固たる相互信頼が見て取れた。

 

 第一次大戦後、戦勝国となったフランスは報復主義にかられ過酷な賠償条件を突きつけ、ナチス・ドイツの台頭と第二次大戦の遠因となった。その歴史に学んだ各国であればこその祈念式典だったと言えよう。

 

 イギリスの「停戦の日」はロンドン塔横の広場が、88万8000本余りのセラミック製のケシの花で埋め尽くされ、英連邦諸国の戦死者を追悼した。大英帝国の時代とはいえ、カナダ、オーストラリア始め植民地各国の兵士を一方的に動員し多くの犠牲者を出した歴史を忘れてはならないからだ。

 

 第一次大戦後名実ともに世界大国となったアメリカでは「退役軍人の日」として祝日、ニューヨークでは退役軍人たちが軍楽隊と共に五番街をパレードし市民の歓迎を受けた。戦争の悲惨さを考え、戦死者を追悼する、というよりは、軍人・兵士の貢献を讃える行事になっていた。

 ワシントンではバイデン副大統領がアーリントンの国立墓地を訪れ無名戦士の墓に献花したが、近くのナショナル・モールではコンサートに大勢の市民が楽しむなど、一種のお祭りの日となり、西ヨーロッパ諸国と対照をなした。

 やはり(第二次大戦開戦時の日本軍による真珠湾攻撃を除き)国土が戦場にならず二つの大戦に勝利し超大国となった、その歴史の違いなのかもしれない。ベトナム戦争や朝鮮戦争の苦い事実が国民にどう記憶されているのかは判らないが)

 

 1918年11月11日、123年ぶりに独立を回復したポーランドの首都ワルシャワでは政府首脳が出席し独立記念式典を祝ったが、一方で2011年以来この日は右翼・国家主義者が自己主張を展開する日にもなってしまっている。ワルシャワでは今年もデモ参加者が外国人排斥を唱えながら警官隊に火炎瓶や石を投げつけるなどの暴動に発展した。

 1918年独立当時の政権も排外主義・国家主義政権で、それが近隣諸国の反感を買い、国家運営が失敗する一因にもなったが、コモロフスキ大統領ら政府首脳はまだ、その歴史を公の場で語るのをためらっているようだ。

 

(第一次大戦には日本も連合国側の一員として山東省やミクロネシアでドイツ軍を交戦、200人以上の戦死者を出してマーシャル諸島などを植民地にし、以後、山東省を手掛かりに中国本土侵略を始めている。しかし、その事実を我々はすっかり忘れたかのようだ)

 

 安倍総理はアメリカ・オバマ大統領に促され、福田元総理、高村自民党副総裁らの仲介で、それもAPEC・アジア太平洋諸国会議の中国主催の機会を利用する形で漸く、習近平国家主席と会談、パク・クネ大統領とも晩さん会で席が隣り合ったのを利用して“会談”にこぎつけた。

 しかし形だけの短時間の会談で中国、韓国の首脳との間に信頼関係が築けた訳ではない。

 

 来年は日本の第二次大戦降伏(中国の対日戦争勝利)70周年、日韓国交回復40周年、今の政権で日本は韓国(朝鮮)、中国や、アジア各国とのどこまで確かな信頼関係を築けるのか、「11月11日」の迎え方一つを取っても、歴史の節目節目の機会を逃さず、的確な手を打ってきた西ヨーロッパ諸国との間には歴然たる違いがある。

 

(大貫康雄)

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