フクシマの声〜浪江焼麺太国・代表 八島貞之さん
2014年10月18・19日の2日間、福島県郡山市の3会場で「第9回ご当地グルメでまちおこしの祭典!B‐1グランプリ in郡山~東北・福島応援特別大会」が開催される。
全国のまちおこし団体が集まり、ご当地グルメの提供とともにパフォーマンスやおもてなしを楽しむイベントとしてすっかり定着し、町の観光産業にとっても重要になっている。
昨年のゴールドグランプリを獲得したのは福島県双葉郡浪江町の「浪江焼麺太国(なみえやきそばたいこく)」。本来ならば浪江焼麺太国の本拠地・浪江町で開催するのがルール。しかし今年の開催地は郡山市。浪江町は福島第一原発事故による避難区域となっており、約2万1000人の住民全員が福島県内外で避難を続けている。そのため、この一大まちおこしイベントを地元で開催することができない。
ボイスオブフクシマラジオ版では、今年6月末に浪江焼麺太国・代表の八島貞之さんに話を聞いた。現在は福島県南相馬市で会社を経営しながら、この活動を続けている八島さんにこの活動に対する思いや、現在の状況などについて伺っている。
Q.震災前、商工会青年部のメンバーらが仲間づくりを目的に始めた浪江焼麺太国の活動。震災後はどのような形で復活させたのか。
―――「(震災前から)やっていくうちに町に対する郷土愛みたいなものが強くなっていきました。震災・原発事故で避難しメンバーみんながバラバラになってしまったんですが、私からまっさきにメンバーに何とか連絡を取り、無事を確認していったんです。
私たちは避難した際、避難所で食事を頂いたりと色々な方から支援を受けていました。そういった支援を受けながら、商工会青年部メンバーのようまだまだ若くて元気な自分たちが、“もっと地域のために何かやりたい、地域の人たちを元気にする活動をしていきたい”と思い、再び活動をしていこうと決めました。絶対にまたふるさとを取り戻して、浪江に戻って活動をしていきたいと思って始めました。」
「原発事故から一週間後、福島県塙町という所に私一人で避難していたんですが、そこの商工会青年部に混ざって炊き出しをしたんです。そこで浪江焼きそばを出したら思っていた以上に喜ばれて、“これならやれる”と思いました。震災から2週間後には浪江焼麺太国メンバーと連絡を取って3月中に活動を再開し、4月中旬のイベントに浪江焼きそばを出そうと決めました。浪江町の役場機能が福島県二本松市東和町に移転したんですが、その二本松市で開催される桜まつりに震災後初めて、焼きそばを出そうと決めたんです。」
「桜まつり当日は、焼きそばを200食分用意して、来た人たちに振舞おうということにしていました。うれしかったのは思いのほかメンバーが全国の避難先から集まってくれたことです。震災前33人だったメンバーのうち、連絡が取れたのが10名程度だったんです。ですがそのイベントには18人集まって来てくれました。さらに驚いたことに、焼きそばの振舞いは午前10時からと伝えてあったはずなのに、二本松市で避難生活を送る浪江町民が、朝の8時頃からぞろぞろ集まってきてくれていて、ものすごい行列ができてしまったんです。そして2時間以上待つ間にさらに行列が増えてしまい、200食では足りなくなってしまったんです。それで、『一口分ずつでもみんなに配りたい』ということで量を3分の1くらいにして500食にして、みんなに食べてもらうことができました。」
「この時のことで私が一番心に残っているのは『ふるさとの味をまた食べられてよかった』『こういう場があると、浪江の人がまた集まって情報交換の場になる、これからも続けてほしい』と言われたことです。何より印象的な言葉でした。行列を作って待っている間、自分たちの避難状況や現在の生活について近況報告をしていたんですね。
その時に、“絶対に私たちはB-1グランプリに出てゴールドグランプリを獲る、そして浪江という地域の魅力を売り、地域に人が来てもらえるようにする”と、“この活動は町を復興させるために続ける、必ず浪江町を取り戻すためにやるんだ”と心に決めました」
Q.現在の「浪江焼麺太国」の活動について
―――「震災があった2011年は、全国のイベントを回っていると、そこに避難先から双葉郡の方たちが集まってくれました。そこが原発事故避難者の再会の場になっていて、私たちが活動をする意味はこれだ、と思っていました。2年目は、もっと違う形で浪江焼きそばを出さなければいけないのではと考え、『避難の現状をわかってもらう』ことに重点を置き、浪江町の震災後や現在の写真などを集め、パネルを作ってブースに展示しました。これについては3年目も続けました。それに加えて“私たちは地元浪江町に思いがある、あきらめていない”ということを示すようにしています。そうでないと、私たちが未だに原発事故で避難生活を送っているということが、全国で風化してしまうと思ったんです。そして4年目となる2014年は“仕事も何もかも、今まで通りにできていない”ということも加えて発信しています。それは私たちが商工会メンバーとして伝えたいことです。
さらに浪江町から避難している子供たちのことも気がかりです。3年も経つと避難先の学校や生活に慣れていきます。そうすると浪江のことを忘れてしまうのではないかと思います。そういう子供たちの現状もイベント会場で伝えたいと考えています。」
「震災前まで浪江焼麺太国の活動は“町おこし”だったんですが、2013年の暮れから“まちのこし(町残し)”を目標にしてやっていこうと決まりました。この活動を3年も続けていると、応援してくれる人がいる一方で『町おこしと言っても興せるせる町がないのに、お前らは焼きそばなんか売ってどうするんだ』という声も多く聞かれるようになりました。私たち浪江焼麺太国メンバーは、町に帰れる日まで、町のために続けるという気持ちでしたが、やはり現状を見ると、避難先で家を建てて暮らし始めた人たちや、子供だけでなく大人も、もう町には帰らないと決めた人たちもいます。その中で(続けていくには)どうしたらいいのかと考えました。その中で、次の世代に何か残しておけるものを作ろうということになったんです。私たちの子どもや孫が“親は浪江の人だった”“浪江はどんなところだったんだろう、見てみたい”と思った時のために、何か形としてあった方がいい。我々の世代では浪江に帰れなくても、次の次の世代くらいに浪江を盛り上げたいという私たちの思いを受け継いでくれる人が出てくるんではないかと、その時のために必ず残していこうとなりました。」
浪江焼麺太国は、2014年のB-1グランプリ会場となる福島県郡山市に静岡県富士宮市の社団法人が開設したアンテナショップで、多くの人になみえ焼そばを食べてもらうことができる機会を作った。
それには、福島県を訪れた人たちになみえ焼そばを食べてもらうとともに、福島県内の状況を見てもらい、その情報を日本全国に広めてもらいたいという思いがある。
今年のB-1グランプリを訪れる予定のある方はぜひ、浪江焼麺太国のブースも見てほしい。震災・原発事故から3年半が経過した現在の双葉郡の状況がわかるはずだ。
(久保田彩乃/文と写真)