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私に選挙権があるなら~わが子を守るための避難で投票権を失った人々の「争点」【福島県知事選】

 26日投開票の福島県知事選。ふるさとから住民票を移して県外に避難した人々は、遠くから見守ることしかできません。福島を棄てて逃げて行ったお前たちが口を出すな?そうでしょうか。彼らはわが子を放射線被曝から守るために苦渋の選択を強いられたのです。原発事故さえなければ、今回の選挙で一票を投じる権利があったのです。不本意な県外避難で投票の権利を失った3人に、前副知事の圧勝ムード漂う県知事選について寄稿してもらいました。題して「私に選挙権があるなら」

 

【被曝回避が自由にできる福島を】

 未来を大事にする人に投票したい。

 何よりもまず、人間を大事にする先にしか福島の未来は存在しないと思う。産業も経済も、そこに人間がいなければ持続できない。大人も子どもも「ここまでなら放射線を被曝しても大丈夫」という目安は存在しないというのが、国際機関での合意だ。原発事故発生から3年半以上が過ぎて、ここから先は、「除染」では汚染を減らすのが難しいということも、国際的な合意だ。ならば「除染」以外の方法で、福島県民の命と未来を守る候補者に一票を投じたい。

 原発事故以降、福島県は一般住民への賠償に関して非協力的だった。県民が不安を抱くことを「不安になる方がおかしい」と抑え付けてきた。県内のメディアは県庁の顔色を意識した報道ばかりを流し、県民の目線での報道をしなかった。

 思ったこと、感じたことを互いに言い合える福島県をつくって欲しい。

 「不安だ」と自由に言えない状況と、家族を放射線被曝から守ることを許さない県庁。事実の一部しか報道しない県内メディア…。そういうものから逃れるために、私は県外避難を選んだ。

 今回の県知事選挙では、不安に思うことは自由に口にできて、被曝を防ぎたい人は避難も防護も自由にできて、原発事故と避難の実態が明らかにできるような、「本当がある福島県」をつくる人が選ばれることを願う。

(伊達市から北海道へ。男性・56歳)

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副知事として佐藤雄平知事とともに原発事故後の県政を担ってきた内堀候補が圧勝すると言われる福島県知事選。わが子を守るために県外避難を選んだ人々の願いはやはり、子どもたちを放射線被曝から守る県政だ

【今こそ一票の重みを感じて】

 原発事故直後から声高に「復興」が叫ばれてきたけれども、感じるのは福島県民を置き去りにした名ばかりの「復興」。「復興」という言葉だけが一人歩きしているように感じてならない。経済を取り戻さなければならない、その一心だけで県民を、またその未来をないがしろにしてはいないだろうか。果たしてそれは、真の復興といえるのだろうか。

 自宅の庭に置かれた真っ黒いフレコンバッグ。いったい誰が、汚染土の山と共に暮らしたいか。誰が好き好んで、すきま風が吹く壁薄い仮設住宅にいつまでも入居していたいか。誰が、我が子のこれからの健康を不安にさらすような生活を送りたいか。放射線の中で未来を見ることができるのか…。

 住民がいま、どんな想いで福島で暮らしているのか。それを真に分かろうとする候補者はいるのだろうか。現実に目の前にある様々な問題に取り組んでいかれる候補者はいるのか。

 恥ずかしながら、原発立地県に住みながら原子力発電について知識が無かった。事故直後も不安と恐怖を抱きながらテレビから流れる情報を与えられるまま信じていた。
 福島には全てがあった。全てが順調だった。できれば避難することなく暮らせたら…そう思っていた。

 しかし、時間の経過とともに少しずつ違和感を覚えるようになった。息子の通う小学校では、事故から1カ月も経たないうちに屋外活動が再開された。給食も始まった。担任に質問すると「県が安全と言っているから大丈夫」との答え。原発事故直後に配布された市の広報紙では、「このままの状態が1カ月続いたら妊婦さんや子どもは避難したほうがよい」という山下俊一氏の言葉を目にしたが、やがてそれも一変してしまった。

 心は決まった。「ここでは子どもは守れない」。縁もゆかりもない京都の里親さんの元に息子を単身疎開させたのは、2011年7月。しばらくして、私も京都に移り住んだ。

 有権者も託すだけの未来ではなく、一人ひとりが創りあげていく未来を考えて欲しい。一人ひとりが自分たちの暮らしを考え働きかけていく社会にこそ、自分たちの望む未来があるのではないだろうか。今こそ一票の重みを感じるべき時だろう。これは福島の選挙であって福島だけの選挙ではない。これからを生きる私たち一人ひとりの問題なのだと思う。今こそ答えを出すべきときなのだと思う。

(福島市から京都府へ。女性・40歳)

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放射線防護も選挙の主要争点のひとつであるはず。しかし、経済的な復興の陰に隠れてしまっている=福島市松川町

 

【被曝不安の中にいる子どもを主人公に】

 妊娠中だった妻と5歳の長男を連れて自主避難した。郡山は妻が生まれ育った土地。不本意な避難で住民票を移すことには抵抗があったが、子どもの教育など避難先での生活においては、住民票を移した方が無難であることが少なくない。このことは後悔はしていない。

 時に「非国民」とさげすまれようが「裏切り者」と後ろ指をさされようが、そんなことではビクともしない生活が今、ここに揺らぎなく存在する。ただ、そうは言っても、福島県知事選に心が騒がないわけではない。「お前らのような福島を棄てた奴が口をはさむことではない」とお叱りを受けたとしても、私たちには私たちなりの「忘れ物」をたくさん、福島に残してきているのも事実だからだ。

 私は原発事故当時、息子の通う幼稚園のPTA会長を務めていた。長年、勤めた職場を退職するよりもつらかったのが、避難にあたってPTA会長職を辞することだった。「俺は自分の子どもだけを連れて逃げるのか」と悩み、苦しんだ。そんな中、福島を去るにあたって心に決めたことがある。それは、「いつか必ず、この理不尽にけじめをつけてみせる」、「いつかきっと、この子たちを助け出す」ということだ。

 もちろん、これは私の勝手な想い。残った人々にとっては大きなお世話かもしれない。しかし今、改めて伝えたい。「原発事故による大量の被曝の中で生きていかざるを得なかった子どもたちを、低線量被曝地帯という不安の中で生活せざるを得ない子どもたちを、常に主人公とした県政が行われますように」ということだ。

 もし、今回の選挙で「原発」が争点にならないのであれば、せめて「福島の子どもたちの未来を心から憂い、考えること」を何としても争点にしていただきたい。そう願うばかりだ。

(郡山市から静岡県へ。男性・47歳)

 

(鈴木博喜/文と写真)<t>