インドへ行こう!【インドジャーナル(5)仏陀の足跡〜12億のIT先進国を訪ねて】
「インドにおいて、仏教はヒンズー教の一宗派という扱いなんです。あくまでヒンズーが幹、仏教は枝にすぎません」
仏教コンクラーベに参加した高僧のひとりはこう嘆く。仏教は世界三大宗教のひとつだ(キリスト、イスラム)。にもかかわらず、本当にそんな扱いなのだろうか?
「関係ありません。ヒンズーの方がずっと古いですし、お釈迦様のお生まれになった頃には、すでにヒンズーはインドの隅々まで土着していましたから」
差別はどの国や地域にも存在している。南アフリカのネルソン・マンデラが生涯をかけて戦ったアパルトヘイトは、大航海時代に欧州からの入植がはじまって以来500年近くにわたって続いて来たものだ。
世界の代表的な民主主義国家であるはずの米国も、黒人差別が法的に撤廃されてから、まだ半世紀しか経過していない。
もちろん日本も例外ではない。被差別部落問題は明治の解放令にともなって解消されたことになっているが、実際は厳然と残っている。
こうした差別との戦いは人々の意識変化が前提となるため、社会システムの変更だけではどうにもならないということは、各国の例からも明らかだろう。
だが、インドの場合はレベルが違う。というのも国家の成立とほぼ同時に階級制度がスタートし、それが3000年近くも続いて来たのだ。社会システムというレベルではなく、カースト制などの階級(差別)はインドそのものなのだ。
それでも、インドに惹かれる者は少なくない。なぜだろうか? 人類の根源的なものを感じるからなのか、悠久の歴史がもたらす錯覚なのか。
ヴェーダ(梵)、あるいはその一つであるウパニシャッド哲学は3000年以上前に最初の編纂がなされ、古代インドを形作った概念だ。
その概念自体を変えることがどれほど困難か。釈迦やその弟子たちが悟り、説いても、容易に変わらないのは当然といえば当然だろう。
そうした現実をひっくるめて、インドに触れよう。とくに現代日本人にとって、インドへの旅は自らを見つめ直す最高の機会になると信じる。
インドはこれから乾季に入る。旅立つならば、いまではないか。
*インド政府観光局 http://www.incredibleindia.org/
(上杉隆/文と写真)