罪の史実を直視した独映画「シャトーブリアンからの手紙」日本公開
10月、日本初公開となった映画「シャトーブリアンからの手紙」(独:Das Meer Am Morgen「早朝の海」、仏:LA Mer A L’Aube「夜明けの海」、英:Calm At Sea「海は穏やかに」)は、“独仏の真の和解がヨーロッパの平和に不可欠”との信念を持つフォルカー・シュレンドルフ(Volker Schloendorf)監督が、第二次大戦中ドイツ占領下のフランスで将校暗殺事件の報復に、捕虜達が集団処刑された事件を検証している。
1941年10月20日未明、一人のドイツ将校暗殺事件後、ヒトラーは報復に戦争捕虜150人の集団処刑を命令。22日シャトーブリアン(Chateaubriant)群のショワゼル(Choisel)収容所の17歳の少年を含む捕虜27人が処刑された。
映画は、独仏双方の関係者への聞き取り、資料の検証を元に、暗殺事件前の19日から処刑までの4日間の展開を、装飾も無く無慈悲なまでに刻んでいる。
この映画は公開とともに、冷厳な事実を元にした高い理念の説得力故にドイツ、フランスだけでなく欧米各国で高い評価を受けている。
歴史を直視し、受け止め、次世代にきちんと伝える真摯な姿勢が如何に信頼を獲得する力となるか。
壊滅的な敗戦から70年近く、近隣諸国の揺るがぬ信頼を獲得したドイツの戦後史、歩み、それに対し、未だに歴史を直視できない我々日本人の戦後の歩みを比較し考えさせられる。
暗殺事件後の最初の経緯は以下の通り。
・1941年10月20日未明、共産党活動家がナント(Nantes)地区ドイツ軍司令官ホッツ(Karl Hotz)を、不特定市民の犯行に見せかけて暗殺した。(ナントは収容所があるロワール・アトランティク(Loire-Atlantique)県の首都、この地区司令官ホッツは私生活も清潔で、地元市民の信頼を得ており、理由があって暗殺対象にされたのではない)
・20日、パリのドイツ軍司令本部では軍政司令官オットー・フォン・シュトュルプナーゲル(Otto von Stuelpnagel)将軍ら3人が、“犯人を早期逮捕しないとベルリン(総統府)が過度の報復を要求してくる”と懸念する。(3人の中には第二次大戦後ドイツの代表的な思想家と言われる若きエルンスト・ユンガー(Ernst Juenger)が書記官と従軍していた)
・そこに駐仏大使アベッツ(Otto Abetz)が現れ、“総統は正午までに報復案を求め、150人の処刑を望んでいる”と通告、将軍たちの懸念が早くも現実となってくる。
・21日、収容所の生活は穏やかで捕虜たちの運動会などが開かれている。釈放を明日に控えた捕虜の妻が面会に訪れる。しかしドイツ軍の動きが突然慌ただしさを増している。(当然、釈放の当日、処刑対象になる運命は未だ知らない)
・パリの司令本部では、ヒトラーの命令の阻止を試みるが、最初に50人、次の日に50人と分けるのが精一杯。
・シャトーブリアン郡庁舎では副知事が、“良いフランス人も犠牲にすることになる”と脅され、嫌々ながらも政治犯から順に被処刑者の人選を官僚的(事務的に)進められる。
・軍政司令官シュトュルプナーゲルはユンガーに、事件の一切を忠実に記録することを指示し、(日頃からナチスに批判的だった)シュトュルプナーゲル将軍はこの後辞任を決意、ユンガーに伝える。
ユンガーは(捕虜たちが敢然としていたことに触れ)過度の報復処刑後、(フランス国民の間に)変革の兆しが現れるだろうと予告する。(ユンガーは占領下のパリで多くのフランス知識人と交流を深め、心情を理解していた。事実この処刑後、イギリス亡命中のドゴール将軍のレジスタンス(抵抗運動)に加わる者が急増する)
・17歳の少年ギイ・モケ(Guy Moquet)も含めシャトーブリアン収容所の27人が銃殺されるが、全員目隠しを拒否する。(ホッツ司令官暗殺から集団処刑までの、所謂ナント事件ではナチス・ドイツは結局このほか、ナントで16人、パリで5人、ボルドーで50人を大量処刑する。ボルドーではシャトーブリアン収容所の集団処刑後、ドイツ軍将校が襲撃される事件が起き、その報復の処刑だった。モケ少年の恋人オデット・ニルス(Odette Niles)は現在も存命中で、当時をしる数少ない証人)
さらに、この映画は史実を出来るだけ忠実に再現しているので、当時の事情が良く判る。
・ドイツ占領軍将校達がいずれもフランス語に堪能なこと、ユンガーのようにフランスの知識人と交流を重ね、フランス人と恋仲になる将校も大勢いた。(ナチス・ドイツは将校兵士達に綺麗なフランス語の話し方を教える本を配ってもいる)
・将校達の会話に窺えるように、当時のドイツ軍将校の多くは独仏友好を望んでヒトラーに反対、暗殺計画も各方面で語られていた。
・ノーベル賞作家 ハインリヒ・ベル(Heinrich Boell)が下級兵士として現地に動員されていた事実を元に、シュレンドルフ監督は映画に、ベルを想定した兵士を登場させる。この兵士が銃殺命令を執行出来ず失神する場面も入っている。
さらに、登場人物が語る言葉も観る者に考えさせる。
・ヒトラーの大量報復命令に将軍たちが憤る、“ナチスは歴史を知らない!”、“私は殺し屋ではない!”、“こんな独仏協力は偽り(の協力)だ”。
・ユンガーはフランス占領のドイツ軍の思い上がりに、“ドイツの勝利は技術上の勝利(に過ぎない)”、“食と文化ではフランスが進んでいる”。
・ユンガーのパリの恋人カミーユ(Charmille)は“(占領軍の)軍服を着ていて泣き叫ぶ子どもを何故救えなかったのだ!”と詰問する。
・地元のモヨン(Moyon)神父が、処刑対象者の名簿作りをする副知事を問いただし、“君も(処刑に)加担しているのに何故気がつかない”、“銃殺は暗殺を呼び、暗殺は銃殺を呼ぶ、報復の連鎖になるだけだ”と。ドイツ軍兵士には“貴方は何に従うのだ、命令の奴隷になるな、良心の声を聴け!”、などと叱責の声が……。(今年のドイツ連邦軍の兵士就任式典でのガウク大統領の式辞は、この思想が指導者の間に流れているのを想起させる:“上官の命令が間違っていると思えば従うな”、“命令よりも君自身の良心に従え!”)
この映画は、ドイツ人にとっては過去の罪と言える事実を独仏双方の何人もの当事者に当たり、資料を調べて制作されている。
以前にもこの欄で述べたが、戦後ドイツが“最も成功した民主主義国家”と言われる背景は、自らの罪の歴史に目をそむけることなく、誤魔化すことなく向き合い、敢然と受け入れる真摯な姿勢を堅持してきたからである。
この映画は第二次大戦時の悲劇を元にシュレンドルフ監督をはじめとする戦後ドイツ、及びヨーロッパ各国の国民が培ってきた人権・民主主義の思想と共通の歴史認識を代表するだろう。
(大貫康雄)
画像:「シャトーブリアンからの手紙」公式HPより
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