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日本の仏僧と不可賤民の親子【インドジャーナル(4)仏陀の足跡〜12億のIT先進国を訪ねて】

 インドで、3000年もの昔から連綿と続くのが差別制度である。悪名高きカースト制度は、世界からみれば悪習だが、当のインドからすれば、国家の成り立ちとほぼ同時にはじまった「常識」にすぎない。

 

 カーストに入らないものはダリット(不可触賤民)と呼ばれ奴隷のような扱いを受けている。その様は現代では異様以外の何ものでもない。

 

 最初に産まれた女の子は、家族を助けるために身体を売って生計を立てることも少なくない。仮に、身分を隠してうまく他の職業に就けたとしても、ダリット出身と分かった途端に解雇され、結局、売春に行き着くしか選択の余地がないというのだ。

 

 そもそも、ヒンズーには売春の神(イェラマ)が存在し、ダリットの少女は合法的に寺院に預けられる。不可触民の長女は、初潮を迎えるとすぐに処女を奪われ、神に仕える身にされるというのだ。

 

 なんという絶望的な社会システムだろう。私が追及している記者クラブ制度の不公平さなど、微塵にもならないちっぽけなことに思えてくる(ならばこのちっぽけな制度を改めてくればいいのだが、日本のマスコミのジャーナリズム精神は塵よりも小さいので苦労してきているのだ)。

 

 さて、そうした差別を宗教の力で解決しようとしている人々はもちろんインドにも存在する。

 思えば、万人の平等を説いた仏陀はその先駆者ともいえる。当時は差別が差別とされない時代だ。仏陀の先見性を改めて感じる。

 

 時代が下り、不可触賤民を仏教に改宗させることで、カーストから救済しようとするアーンベードカル運動がはじまったのが20世紀である。

 その活動は、ガンジーによる独立運動など海外の目に晒されるものではない故に困難を極める。現在、インドにおいてその運動の先頭に立っているのはじつは日本人である。

 

「佐々井秀嶺さんがずっとインドでその活動をしてきています。もうかれこれ40年くらいになるんじゃないですか?」

 

 インド仏教界で佐々井の名を知らぬ者はいない。若くして単身インドに渡り、カースト制度との闘いというもっとも過酷な道を選んだ。

 ブッダガヤのマハボディ寺院奪回のためにヒンズーとの戦争にもなったという。なぜ、そうした道を歩んで来たのか、佐々井に直接尋ねたかった。

 

 結論から言えば、今回の旅で彼と接触することはできなかった。ヒンズーの力が圧倒的に強いインドでは、政府も穏健なインド仏教徒の多くのも、彼と私が接触することを望んでいないようだった。

 ある仏僧は佐々井から直接こう言われたという。

「私と会っていると、あなたもブラックリストに載るよ」

 思えば、現状を維持したいインド人の大半は権力とカースト制度のそれぞれの上位にいる。結局、社会を変えるには権力側からの改革か、あるいは上位からの革命しかないのだろう。

 

 シッダールダもクシャトリア出身、スジャータもカースト上位だ。彼らが当時、どのような扱いだったのかあまり伝わっていない。現在ならば、おそらく仏陀は社会から徹底的に干され、スジャータもブラックリストに載ったに違いない。2500年かかってもインドのカーストは変わらなかったのだ。その現実は何より重い。

 

 それでも納得はできない。地方都市ではいまだにカーストは頑強に残り、差別を受ける人々がそこかしこに見受けられる。

 それは、この国の歴史にあまりに深く長く刻まれすぎており、思い巡らせただけで途方に暮れてしまうほどだ。

 

(上杉 隆/文と写真)