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人間シッダールダと神様ブッダ【インドジャーナル(3)仏陀の足跡〜12億のIT先進国を訪ねて】 

 シッダールダが仏陀(ブッダ)になれたのは存外、スジャータのおかげかもしれない。

 

 女性の誘惑を瞑想で断ち切り、心の中の悪魔を征服したとされる仏陀に対して、こんなことを言うと怒られるかもしれない。

 

 だが、シッダールダにも子どもはいるし、苦難の旅の途上の若者が、娘と出会って恋に落ちるというストーリーも今風にいえば、悪くはないではないか。

 

 実際、今回の旅で知り合ったマルカスの父はその著書「インド流!」でこう書いている。

 

「日本ではお釈迦さまがすごい神さまになってしまって、お釈迦さまをありのままの人間として見ていないので、本当の姿が伝わらないのです。伝わらないということは理解できていないということでもあります」

 

 やはりそうか。それならば、若い僧に49日間の苦行を耐えさせる原動力になったのも、インド娘の愛の力によるものだったと想像する方が愉快ではないか。

 

 ここはインドだ。なんでもありなのだ。バスの車窓から外に目をやれば、プールを配した大豪邸の並ぶ一方で、寺院の狭い歩道で夜を明かす不可触民の貧しい親子の姿もある。

 

 よし、日本に戻ったらスーパーでスジャータのスープを買い占めよう。そして、不可触民のあの親子たちに送ってあげよう。私は密かに、だが、無意味に誓うのだった。

 

 スジャータの村のあるブッダガヤは、首都デリーから約千キロ、北東部ビハール州の中心に位置する。州都ガヤで飛行機を降り、肥沃な草原を10キロメートルも走ると、菩提樹のあるマハボディ・マハヴィハラの尖塔が見えてくる。

 

 高さ52メートル。花崗岩の門をくぐって庭園に入ると、お香と花の香りが漂ってくる。院内には、金色の仏陀像が8メートルの台座に乗っているのがみえる。寺院そのものは紀元前3世紀に建築されたものだが、5世紀に再建された可能性もあり、現在の建物はその後の洪水で埋まり19世紀に発掘されたものだと、政府か寺院のスタッフが早口で説明する。

 

 もはや800年や1400年の誤差など気にならない。いずれにせよ、遠い過去の話なのだ。

 

 誰もが現在にしか生きられない人間という動物の宿命からすれば、100年前だろうが2500年前だろうが同軸での歴史観に収まってしまうのだから不思議なものだ。

 

(上杉 隆/文と写真)