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オバマの同志、ホワイトハウスを去る エリック・ホルダー米司法長官の辞任?

 2014年9月25日木曜日午後4時30分、公式晩餐会が行われるホワイトハウス大食堂で<パーソナル・アナウンスメント(個人報告)>と銘打った集まりがありました。アメリカ司法省のスタッフを含む数十人の関係者を前に、黒人として初めてのアメリカ大統領は、初めてのアメリカ黒人司法長官の退陣を発表しました。

 本心を顔に出さない黒人オバマ大統領もウルウルで、目を真っ赤にした黒人エリック司法長官は絶え間なく鼻をすすり、会場の人々は誰もが泣きました。

 このシーンを見た全く関係ない日本の筆者も、もらい泣きをしました。

 黒人米司法長官エリック・ホルダーの別れの言葉がなぜ泣かせるのか?

 彼の言葉を紹介します。

 そして、彼の経歴を黒人オバマ大統領に紹介してもらいます。

 

*エリック、別れの言葉 

 「私はとても複雑な思いで、この瞬間を迎えています。この6年間を、私と共に全うしてくれた司法省の同志を誇りに思うと同時に、この省とこの大統領に、後2年の任期を仕えれないことに対して、悲しい思いで一杯です。大統領、あなたが私に国家奉仕をする機会と、私の職歴に大きな栄誉を与えてくれたことに深謝します。我々は凄い同志だった…。そして、我々の絆はこれからも、より一層深くなっていくのです。

良い時も悪い時も、私的にも公的にも、大統領、あなたは常にその地位にいて私を庇ってくれた…、感謝に絶えません。私はあなたを友人と呼べることに誇りを持っています…。

 この過ぎし6年間、我々の政権、いやあなたの政権は、基本的な法律を制定するため、歴史的な成果を上げることができました。国民の最も尊厳ある権利<投票権>、その権利をマイノリティーのために遵守するため、戦ってきました。LGBTの同志や彼らの家族に約束した、基本的な法制度の整備もやりました。それから、連邦刑法の改正やその改正法が地域社会を守る法に整合するよう働いてきました。(註:女性同性愛者レズビアン・Lesbian、男性同性愛者ゲイ・Gay、両性愛者バイセクシュアル・ Bisexual、そして性転換者・異性装同性愛者などトランスジェンダー・Transgenderの頭文字を取ったのがLGBT )

 幼い頃、故ロバート・ケネデイー司法長官が公民権運動のために働くのを見て、この司法長官の正義に対する働きぶりに憧れてきました。大統領、あなたが私を任命したその信頼とその栄誉と、さらに私とともに闘ってくれた人々の期待を、貶しはしなかったと信じています。

 最後に、私が夢を追うことに、もっとも献身的に付き合ってくれた女性に感謝の念を捧げます。我々親族全員の生みの親で(註:妻は産科医)、私が今日あるのも彼女のおかげです。それは、私の妻、シャロン、縁の下の力持ちです。人生の伴侶です。愛してるよ…。

 数か月後には、私は司法省を去ります。しかし、私は絶対に、絶対に、天職をほり出すことはしません。我々の人民のために、より一層、我々の理想を確立させるような手段を見つけて、奉仕し続けていきます…。

そして、私の旅に同行してくれた人々全員に感謝します。私の旅は、いま、異なった目標に向かおうとしています。しかし、正義に導かれ北極星を目指すことに、変わりはありません。」

*オバマ大統領の送る言葉

 「若かりしエリックと私は、法律を勉強した。私は彼を司法長官に選んだ。なぜなら、私と同様に、彼も正義は単なる抽象的な理論ではないと信じているからだ。それは呼吸をする、命のある道標なのだ…。

 市民権に対するテロ攻撃や白人犯罪に対する混乱に際して、エリックは情報省や治安当局と協力して超人的な能力を発揮し、我々をテロ攻撃や過激派の攻撃から守ってくれた…。

 彼は熱意を持って、我々の米国刑法を世界一のレベルに引き上げた。彼は、時代錯誤な処罰慣習法は、それがどんなに地域治安対策意図をもっていようとも、かえって地域に悪影響を与えると考えた。そこで彼は、不公平な判決をなくし、収監に関しても、最低限の期間でなくてはならないと強調した。彼のおかげで、40年来増加し続けてきた犯罪率と収監率が、共に10%以上減少した…。

 さらに彼の熱意は司法省市民権局の難しい仕事<平等な投票権>、<移民法>、<人間の移動>、<同性結婚>に向けられた…。

 エリックはアメリカ合衆国の法律家、人民の法律家だ…。

 そして、エリックの努力で、より多くのアメリカ人が、とりわけマイナリティ―と呼ばれてきたアメリカ人が、人種や性別や身体障害や諸々の差別を越えて法の下に公正で公平な扱いを受けられるようになった。エリックに深く感謝している」

 

*エリックと公民権運動

 エリック自身が「オバマ大統領の任期終了まで、司法長官を務める積もりはなかった。この数か月間、チャンスがある毎に、辞任の意思表示をオバマに伝えてきた」と、CNNの電話インタヴューに語っている。「最終的には9月1日の<労働者の日>を挟んだ週末に、一時間にわたってオバマとエリックは司法長官退陣に関して協議した」とホワイトハウスのスタッフが語っている。しかし、辞任は本人が切り出したにしても、あのエリックの涙は、オバマの唇をかんだ表情は、悔しさと無念を物語っている。エリックは次の司法長官が決まるまで、職務を続ける。

 

 エリックの半生史が、彼の<公民権運動>に対する執念を物語っている。

 エリック・ホルダーは1951年1月21日、ニューヨークのブロンクスで生まれた。両親の出身地はカリブ海の島国バルバドスで、父親は1916年2月24日に、移民としてニューヨークに上陸した。

 オバマの紹介によると、父親エリック・シニアは第二次世界大戦ではアメリカ陸軍航空隊に所属し、昼飯の時間以外は彼の全身全霊をアメリカに捧げたという。

 エリック・ジュニアは愛する妻シャロンとの間に3人の子供がいる。

 シャロンの妹ヴィヴィアン・マロンは、1963年のアラバマ大学黒人入学拒否問題で知られる二人の内の一人だ。

 その後、ヴィヴィアンは黒人公民権運動に貢献し、義理の兄エリックを薫陶した。黒人公民権運動とは1950年代から1960年代にかけて、黒人に対する公民権の適用と人種差別撤廃を求めて闘った黒人権利闘争を指す。優秀学生支援の対象児童に選ばれた貧民窟のエリックはコロンビア大学法科大学院に進み、大学院在学中の1974年には全米黒人地位向上協会の事務員として、1975年には司法省の事務員として勤務した。その後は弁護士として、司法省では副長官などを務め、米国法曹界で活躍を続けていく。

 2004年にオバマが上院議員に当選した時、その祝賀パーテイ―で初めてオバマに会った。それ以降、約10歳の年齢差を越えて二人の弁護士は、強い友情を育んでいく。2009年には、黒人米大統領オバマから黒人初の米司法省長官に任命される。

*エリックは辞めたくなかった…。

 エリックは辞めたくなかった、オバマは辞めさせたくなかったのでは…。では、誰が、何故、この時期に辞めさせたのか?

 最初から黒人司法長官に対して、米下院で多数を占める共和党下院議員たちは、攻撃を続けた。2012年6月28日、米下院本会議は、銃の取り締まり作戦の失敗に関する司法省の内部文書を議会の調査委員会に提出することを拒んだとして、エリック・ホルダー司法長官を議会侮辱罪で告発する決議案を255対67の賛成多数で可決した。(AFP発)。

 実は、この件に関してエリックは、9回も証言し、7,600以上の文書を提出しているのだ。

 

 しかし、エリックは信念を曲げることなく黒人の人権を擁護し続けた。

 2012年2月26日、フロリダでトレイボン・マーティン黒人少年を射殺した犯人に無罪判決が出された時、エリックは公民権法などに照らし合わせた司法上の検証を開始した。

 2014年8月9日、ファーガソンで起こった白人警官によるマイケル・ブラウン黒人少年射殺事件の時には現地に入り、「私は米国司法長官だが、一人の黒人だ」と自らの屈辱的な黒人差別体験を語って、公正な捜査を約束した。

 エリックが共和党議員の圧力や、エリックが提案する銃規制法案を嫌う全米ライフル協会の脅しで、辞任を決心したとは思えない。2014年3月にエリックは体調不良を訴えて入院している。

 そういえば頭が急に薄くなってきたし、凛とした容姿に影がさしてきた…。

 

 でも、外野が心配することはないかもしれません。

「l will never – l will never – leave the work(私は絶対に、絶対に、天職をほり出すことはしません)」と、エリックが涙で誓った言葉が頭に残っています。

「It’s on us(我々にかかっている)」とは、オバマの言葉です。

 

 エリック米司法長官を頼りにしてきた人々にとって、彼の辞任は悔しいけど、偏見との闘いを諦めるわけにはいかないですよね…きっと、元気を取り戻したエリックが、みんなの輪の中にひょっこり登場する…それも、近々に…そんな気がします。

 

(文:平田伊都子 ジャーナリスト・写真構成:川名生十 カメラマン)

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